歴史だより

東洋の歴史に関連したエッセイなどをまとめる

《冨田健次先生の著作を読んで》その26

2014-12-31 16:28:14 | 日記
<むすび>
日本の英語教育および外国語教育の現状と課題について、鈴木孝夫は示唆的な講演をしている。それは「英語教育の目的」という1976年の全国英語教育研究団体連合会講演会である(鈴木孝夫『ことばの人間学』新潮文庫、1981年[1986年版]、153頁~171頁に所収)。
鈴木はイソップ物語にある“Dog in the Manger”という話を、例に引いている。牛小屋のかいば桶の中で犬が昼寝をしていると、牛がお腹をすかせて戻って来た。でも犬はその場所からどかないで、牛に向かって吠え立てる。すると牛は、「お前の坐っているその干草は、お前にとっては何にもならないが、私にとっては食物だ。私はお腹がすいている。お前はむこうでも寝られるではないか。」という。
これが“Dog in the Manger”という話であるが、鈴木は、日本の英語教育はまさに一種のdog in the mangerになっていると主張している。というのは、複雑化した国際関係に対処するための、英語以外の必要な言語の教育がはばまれているからであるという。例えば、アラビア語や朝鮮語を学生が勉強したいと思っても、それを学べる学校がほとんどないからである。この講演は1976年の講演であるから、約40年近く前のものであるが、今日の外国語教育にとっても考えさせられるところがある。
つまり、鈴木は、ある大学では英語の代わりにアラビア語が学べる、ほかの大学では英語をしなくとも朝鮮語をすればよいという風に、外国語教育を多様化しなければならないと主張している。そのためには英語、フランス語、ドイツ語といった伝統のある言語が、教育の場を少し譲らなければ、不可能であるというのである。
先のイソップ物語でいえば、英語などが犬、アラビア語、朝鮮語が牛になぞらえられる(冨田先生のご専門のベトナム語も、アラビア語、朝鮮語と同様、多様化されるべき外国語教育の一つである)。
鈴木は英語教育を軽視する意図は全くないと断りつつも、日本の外国語教育全体がおかれている実態を直視し、すでに1970年代において、このような発言をしていたことに注目したい。つまり、多様化した社会に対応するためには、外国語教育にもっと広く選択制を取り入れてもよいと鈴木は考えていたのである(鈴木孝夫『ことばの人間学』新潮文庫、1981年[1986年版]、160頁~162頁)。
2010年代の今日、外国語教育は幾分改善されたとはいえ、アラビア語、朝鮮語、ベトナム語を直接講師について学べる機会は決して多くはなく、今なお鈴木の講演内容は傾聴に値するものではないかと思う。

ところで小林秀雄は、「言霊(ことだま)」について次のようなことを述べている。
上代の人々は、言葉には人を動かす不思議な霊が宿っている事を信じており、「言霊」という古語は、生活の中に織り込まれた言葉だった。古代の人々は、人の心を動かすには、驚くほどの効果を現す言葉という道具の力を知っていた。それに対して「言霊信仰」という現代語は、机上のものであると、小林は大著『本居宣長』の中で述べている(新潮社編、2007年、230頁)。
ことばについて考えるとき、この「言霊信仰」のことを私は想起する。漱石は英語、鷗外はドイツ語、小林秀雄はフランス語に通じていた。卓越した日本語の文学作品・評論を執筆した作家は外国語に精通していた。彼らが得意とした外国語はいずれも西欧の言語であったが、今後アジアの言語に精通した作家が登場することを期待したい。
 作家ということで言えば、社会派推理作家として著名であった松本清張が、ベトナムに関心を抱いて、「ハノイで見たこと」(「ハノイからの報告」「ハノイ日記」「ハノイに入るまで」「あとがき」から成る)を1968年に書いている(松本清張『松本清張全集34 半生の記・ハノイで見たこと』文芸春秋、1974年、87頁~209頁に所収)。
その内容は「私としては、現地で見たこと、聞いたことをなるべくそのまま書くようにつとめた」と「あとがき」(208頁)で明記しているように、清張執筆のレポートであった。そして「われわれにとってハノイまでの道は遠かった」(208頁)と述べているように、物理的にも精神的にも、ベトナムは身近な国ではなかった。この清張の報告から半世紀近くの歳月が流れ、ベトナムとそれを取り巻く状況は一変した。ベトナムに関心を持つ世代も変わり、政治的側面より経済的・文化的側面に移った。まさに隔世の感を禁じ得ない。
作家ではないが、冨田健次先生のご専門であるベトナム語を大学で学んだアナウンサーがいる。夏目三久さんである。元日本テレビのアナウンサーの夏目三久さんは、東京外国語大学のベトナム語科卒業である(大学時代はフラメンコ舞踊部であったそうだ)。つまり、冨田健次先生や川口健一先生の“大”後輩である。彼女のような知的で、チャーミングな女性を輩出する時代となった。
夏目さんは、テレビ番組でベトナム人とともにベトナム料理を紹介しておられた。メディアでもベトナムの文化と歴史が取り上げられる時代となった。冨田健次先生の今回の著作を読みながら、彼女の活躍を祈るとともに、再び、ベトナムが脚光を浴びることを期待した。

《参考文献》
冨田健次『フォーの国のことば―ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ』春風社、2013年
冨田健次『ベトナム語の基礎知識』大学書林、1988年
桜井由躬雄・桃木至朗編『東南アジアを知るシリーズ ベトナムの事典』同朋舎、1999年
松本清張『松本清張全集34 半生の記・ハノイで見たこと』文芸春秋、1974年
大野晋『日本語の年輪』新潮文庫、1966年[2000年版]
白川静『漢字―生い立ちとその背景―』岩波新書、1970年[1972年版]
阿辻哲次『漢字の字源』講談社現代新書、1994年
阿辻哲次『漢字の社会史―東洋文明を支えた文字の三千年』PHP新書、1999年
藤堂明保『漢字の話 上・下』朝日選書、1986年
藤堂明保『漢字の過去と未来』岩波新書、1982年[1983年版]
遠藤哲夫『漢字の知恵』講談社現代新書、1988年[1993年版]
松岡正剛『白川静―漢字の世界観』平凡社新書、2008年
魚住和晃『「書」と漢字 和様生成の道程』講談社選書メチエ、1996年
青山杉雨『書の実相―中国書道史話』二玄社、1982年
真田但馬『中国書道史 上巻』木耳社、1967年[1972年版]
宇野雪村編『中国書道史 下巻』木耳社、1972年
榊莫山『書の歴史―中国と日本―』創元社、1970年[1995年版]
榊莫山『莫山書話』毎日新聞社、1994年
榊莫山『中国見聞記―書の源流をたずねて―』人文書院、1982年
平山観月『新中国書道史』有朋堂、1965年[1972年版]
平山観月『書の芸術学』有朋堂、1965年[1973年版]
伏見冲敬『書の歴史 中国篇』二玄社、1960年[2003年版]
天石東村『書道入門』保育社、1985年
堀江知彦『名筆鑑賞入門 中国風の書―日本の名筆・その歴史と美の鑑賞法』知道出版、1991年
堀江知彦『書道の歴史』至文堂、1966年[1981年版]
鈴木翠軒・伊東参州『新説和漢書道史』日本習字普及協会、1996年[2010年版]
石川九楊『書とはどういう芸術か』中公新書、1994年
石川九楊『中国書史』京都大学学術出版会、1996年ⓐ
石川九楊『書と文字は面白い』新潮文庫、1996年ⓑ
石川九楊『書を学ぶ―技法と実践』ちくま新書、1997年
石川九楊編『書の宇宙6 書の古法<アルカイック>王羲之』二玄社、1997年
石川九楊『現代作家100人の字』新潮社、1998年
石川九楊『書に通ず』新潮選書、1999年
石川九楊『書と日本人』新潮文庫、2007年
石川九楊『万葉仮名でよむ『万葉集』』岩波書店、2011年
神田喜一郎ほか編『書道全集』(平凡社刊、1965年~1968年、中国篇、全15冊、別巻2冊、計17冊。この全集は大学時代の恩師・寺地遵先生より譲り受けた。記して深謝の意を表したい)
神田喜一郎『墨林話』岩波書店、1977年[1978年版]
何平『中国碑林紀行』二玄社、1999年
松井如流『中国書道史随想』二玄社、1977年
鈴木史楼『百人一書―日本の書と中国の書―』新潮選書、1995年[1996年版]
鈴木史楼『書のたのしみかた』新潮選書、1997年[1998年版]
会津八一『会津八一書論集』二玄社、1967年[1983年版]
本田春玲『百万人の書道史―日本篇』日貿出版社、1987年
西川寧編『書道』毎日新聞社、1976年
西川寧編『書道講座 第二巻 行書』二玄社、1971年[1980年版]
青山杉雨「行書の歴史」(西川、1971年[1980年版]所収)
青山杉雨『明清書道図説』二玄社、1986年
西川寧『書の変相』二玄社、1960年[1973年版]
西川寧『書というもの』二玄社、1969年[1984年版]
疋田寛吉『近代文人にみる書の素顔』二玄社、1995年
武田双雲『「書」を書く愉しみ』光文社新書、2004年[2006年版]
上條信山『現代書道全書 第二巻 行書・草書』小学館、1970年[1971年版]
角井博ほか『中国法書ガイド34 雁塔聖教序 唐 褚遂良』二玄社、1987年[2013年版]
佘雪曼編『書道技法講座7 行書 王羲之』二玄社、1970年[1982年版]
吉川忠夫『王羲之―六朝貴族の世界』清水新書、1984年[1988年版]
大日方鴻允・宮下雀雪『人生を彩る書道』創友社、1987年
李家正文『筆談墨史』朝日新聞社、1965年
李家正文『書の詩』木耳社、1974年
吉丸竹軒『三体千字文』金園社、1976年[1980年版]
吉丸竹軒『楽しく学ぶ 四体蘭亭叙』金園社、2012年
小野鵞堂『三体千字文』秀峰堂、1986年[1999年版]
田中塊堂『写経入門』創元社、1971年[1984年版]
大溪洗耳『戦後日本の書をダメにした七人』日貿出版社、1985年
大溪洗耳『続・戦後日本の書をダメにした七人』日貿出版社、1985年
大溪洗耳『王羲之大好きオジさんの憂鬱』日貿出版社、1995年
岡安千尋『書の交差点―脱日本型思考・書の場合』日貿出版社、1987年
紫舟『龍馬のことば』朝日新聞出版、2010年
金澤泰子・金澤翔子『愛にはじまる―ダウン症の女流書家と母の20年』ビジネス社、2006年
村上三島『独習書道技法講座9 草書・十七帖』二玄社、1984年
春名好重『古筆百話』淡交社、1984年
加藤精一『弘法大師空海伝』春秋社、1989年
財津永次『書の美―新しい見かた―』社会思想社、1967年[1977年版]
鈴木小江『書道入門(行書編)』金園社、1987年
筒井茂徳『行書がうまくなる本 蘭亭序を習う』二玄社、2009年[2013年版]
金田石城『字のうまくなる本』光文社文庫、1985年
谷崎潤一郎『文章読本』中公文庫、1975年[1992年版]
川端康成『新文章読本』新潮文庫、1954年[1977年版]
三島由紀夫『文章読本』中公文庫、1973年[1992年版]
丸谷才一『文章読本』中央公論社、1977年
中村真一郎『文章読本』新潮文庫、1982年
向井敏『文章読本』文春文庫、1991年
井上ひさし『自家製 文章読本』新潮文庫、1987年
井上ひさし『私家版 日本語文法』新潮文庫、1984年[1994年版]
中村明『名文』ちくま学芸文庫、1993年
野口武彦『日本語の世界13 小説の日本語』中央公論社、1980年
高島俊男『漢字と日本人』文春新書、2001年
加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年
江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫、2004年
矢野憲一『魚の文化史』講談社、1983年
瀬戸内寂聴『源氏に愛された女たち』講談社、1993年
小林秀雄『現代日本文学大系60 小林秀雄集』筑摩書房、1969年
小林秀雄『文芸読本 小林秀雄』河出書房新社、1983年
小林秀雄『本居宣長』新潮社、1977年
河盛好蔵『現代日本文学大系74 河盛好蔵集』筑摩書房、1972年
西村貞二『小林秀雄とともに』求龍堂、1994年
川副国基『小林秀雄』学燈文庫、1961年[1979年版] 川副国基『小林秀雄』学燈文庫、1961年[1979年版]
西郷信綱『古事記の世界』岩波新書、1967年
安西篤子『わたしの古典21 南総里見八犬伝』集英社文庫、1996年
徳田武・森田誠吾『新潮古典文学アルバム23 滝沢馬琴』新潮社、1991年[1997年版]
山崎一頴ほか『文芸読本 森鷗外』河出書房新社、1976年
橋本芳一郎ほか『文芸読本 谷崎潤一郎』河出書房新社、1977年[1981年版]
新潮社編『人生の鍛錬―小林秀雄の言葉』新潮社、2007年
樫原修『小林秀雄 批評という方法』洋々社、2002年
高見澤潤子『兄小林秀雄』新潮社、1985年

追記
神田喜一郎ほか編『書道全集』(平凡社刊、1965年~1968年、中国篇、全15冊、別巻2冊、計17冊)という書道全集は大学時代の恩師・寺地遵先生より譲り受けた。この全集の内容は、今後一年間余りをかけて要約して、このブログで紹介してみたいと考えている。そして、「中国書史再考」と題して、改めて中国の書の歴史について考察してみたいと思う。


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