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リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 五十七古事記 上つ巻 天降り 天津日子番能邇邇芸命、 竺紫の日向の高千穂に降臨する


古事記 上つ巻 現代語訳 五十七


古事記 上つ巻

天降り

天津日子番能邇邇芸命、
竺紫の日向の高千穂に降臨する
 

書き下し文


 故尓して天津日子番能邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖、天の浮橋に、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき。
 故尓して天忍日命、天津久米命の二人、天の石靫を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、天の真鹿児矢を手挟み、御前に立ちて仕へ奉る。
 故、其の天忍日命、此は大伴連等が祖。天津久米命、此は久米直等が祖なり。
是に詔りたまはく、「此地は韓国に向かひ、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地」と詔りたまひて、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原に氷椽多迦斯理て坐す。



現代語訳


 故に尓して、天津日高日子番能邇邇芸能命(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、仰せになられて、天の石位(いわくら)を離れ、天の八重多那雲(あまのやへたなくも)を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖(いつのちわきちわきて)、天浮橋(あめのうきはし)に、宇岐士摩理(うきじまり)、蘇理多多斯弖(そりたたして)、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に、天降りなされました。

 故尓して天忍日命(あめのおしひのみこと)、天津久米命(あまつくめのみこと)の二人は、天の石靫(あめのいわゆき)を取り負い、頭椎大刀(かぶつちのたち)を取り佩(は)き、天之波士弓(あめのはじゆみ)を取り持ち、天真鹿児矢(あめのまかごや)を手挟み(たばさみ)、御前に立って仕えました。
 
 故に、その天忍日命、これは大伴連(おおとものむらじ)等の祖です。天津久米命、これは久米直(くめのあたい)等の祖です。

ここに仰せになられて、「この地は韓国(からくに)向かい、笠沙の御前(かささのみさき)に眞来通りて(まきとおりて)、朝日の直刺す國(たださすくに)、夕日の日照る国である。故に、この地は甚だ吉き地だ」と仰せになられ、底津石根(そこついはね)に宮柱布斗斯理(みやばしらふとしり)、高天原に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て坐しました。



天の八重多那雲(あまのやへたなくも)
幾重にも重なってたなびく雲。やえぐも
・伊都能知和岐知和岐弖(いつのちわきちわきて)
威勢良く道をかき分けて
・宇岐士摩理(うきじまり)
語義未詳。「浮島在り」の約、「浮き締り」の意など諸説あり
・久士布流多気(くじふるたけ)
霊妙な石が年月を経てなった山の意、あるいは「霊異ある」という意味
・天の石靫(あめのいわゆき)
堅固な靫(ゆき)。「靫」は、矢を入れる道具
・頭椎大刀(かぶつちのたち)
古墳時代後期に登場する倭装大刀を構成する把頭(つかがしら)の装飾。把頭が拳(こぶし)状にふくれたものをいう
・佩(は)き
腰につける。身に帯びる
・手挟み(たばさみ)
手や脇にはさんで持つ
・笠沙の御前(かささのみさき)
鹿児島県薩摩半島の北西端にある野間岬の古称)
・底津石根(そこついはね)
地の底にある岩。地の底。下ついわね
・氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)
垂木を高く上げ


現代語訳(ゆる~っと訳)


 そこで、天津日高日子番能邇邇芸能命に、仰せになられて、瓊瓊杵命は、高天原の神の御座所を離れ、

天の幾重にも重なってたなびく雲を押し分け、威勢良く道をかき分け、天浮橋に浮島があったので、そこにお立ちになられて、そこから筑紫の日向の高千穂の霊妙な石が年月を経てなった山に、天降りなされました。

 この天降りにあたって、天忍日命と天津久米命の二人は、天の堅固な石靫を背負い、把頭がこぶし状の大刀を腰につけて、天のはじ弓を手に持ち、天の真鹿児矢を脇にはさんで持ち、御幸の先頭に立って仕えました。
 
 ところで、その天忍日命、これは大伴連等の祖です。天津久米命、これは久米直等の祖です。

ここに瓊瓊杵命は、仰せになられて、
「この地は韓の国に向き合い、笠沙の岬にまで真の道が通じていて、朝日の真っ直ぐに刺す国、夕日の照り輝く国だ。こういうわけで、この地はとても吉き地だ」
と仰せになられ、

地の底にある岩に宮殿の柱を太く立てて、天空高く宮殿の垂木を高く上げて、お住まいになられました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







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