リートリンの覚書

日本書紀 巻第三十 高天原廣野姫天皇 一 ・出自



日本書紀 巻第三十 
高天原廣野姫天皇 一

高天原廣野姫天皇
(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
持統天皇
(じとうてんのう)

・出自



高天原廣野姫天皇
(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)は、

少(わか)いときの名を、
鸕野讚良皇女
(うののさららのひめみこ)といいます。

天命開別天皇
(あめみことひらかすわけのすめらみこと)
第二女です。

母は、遠智娘(おちのいらつめ)と
いいます。

(更の名を、美美濃津子娘(みのつこのいらつめ)といいます)

天皇は、
深沈(しんちん)で、
大度(たいど)がありました。

天豊財重日足姫天皇
(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
三年に、

天渟中原瀛真人天皇
(あめのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
妃となりました。

帝王の女ではあるけれども、

禮節(れいせつ)で、
倹を好みました。
母儀(ほぎ)の德がありました。

天命開別天皇元年に、
草壁皇子尊
(くさかべのみこのみこと)を
大津宮(おおつのみや)で生みました。

十年十月、
沙門(しゃもん)となった
天渟中原瀛眞人天皇従い、 

吉野に入り、
朝の猜忌(さいき)を避けました。

語は、
天命開別天皇の紀にあります。



・天命開別天皇
(あめみことひらかすわけのすめらみこと)
=天智天皇
・深沈(しんちん)
人柄に深みと落ち着きとがあること
・大度(たいど)
広くて大きい度量
・天豊財重日足姫天皇
(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
=斉明天皇
・天渟中原瀛真人天皇
(あめのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
=天武天皇
・禮節(れいせつ)
礼儀と節度
・母儀(ほぎ)
母たる者の模範
・沙門(しゃもん)
出家の総称。髪をそり、悪を止め、善を勤める修行者のこと。僧侶。桑門。出家。法師
・猜忌(さいき)
ねたましく思ってきらうこと



(感想)

持統天皇は、
幼少の時の名を、
鸕野讚良皇女といいます。

天智天皇の第二皇女です。

母は、遠智娘といいます。
(更の名を、美美濃津子娘といいます)

天皇は、
人柄に深みと落ち着きがあり、
広くて大きい度量がありました。

斉明天皇3年に、
天武天皇の妃となりました。

帝王の皇女ではあるけれども、

礼儀と節度があり、
むだや贅沢をしないことを好みました。
母たる者の模範の徳がありました。

天智天皇元年に、
草壁皇子尊を大津宮で生みました。

天智天皇10年10月、
出家し僧侶となった天武天皇に従い、
吉野に入り、

朝廷に
妬まれ嫌われることを
避けました。

物語は、
天命開別天皇の紀にあります。

本日より、
持統天皇の条を読んでいきたいと思います。

お付き合いいただけたら幸いです。

持統天皇の御代は、
どのような時代だったのでしょうか?

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。





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