goo blog サービス終了のお知らせ 

リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 七十四 仲哀天皇崩御と神託



古事記 中つ巻 現代語訳 七十四


古事記 中つ巻

仲哀天皇崩御と神託


書き下し文

 
 其の大后息長帯日売命は、当時神を帰せたまふ。故天皇筑紫訶志比宮に坐して熊曽国を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を控かして、竹内宿禰大臣沙庭に居、神の命を請ふ。是に大后に帰りませる神、言教へ覚して詔りたまはく、「西の方に国有り。金・銀を本と為、目の炎耀く種々の珍しき宝、多に其の国に有り。吾今其の国を帰せ賜はむ」とのりたまふ。尓して天皇、答へ白したまはく、「高き地に登り西の方を見れば、国土は見えず。ただ大海有り」とまをす。詐りを為る神と謂ひて、御琴を押し退け、控きたまはず、黙し坐す。尓して其の神いたく忿りて、詔りたまはく、「おほよそ茲の天の下は、汝の知らすべき国に非ず。汝は一道に向かひたまへ」とのりたまふ。是に竹内宿禰大臣白さく、「恐し、我が天皇。なほ其大御琴をあそばせ」とまをす。尓して稍く其の御琴を取り依せて、なまなまに控き坐す。故、幾久もあらずて、御琴の音聞こえず。すなはち火を挙げて見れば、既に崩りましぬ。


現代語訳

 
 その大后(おほきさき)・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)は、当時神(そのかみかみ)を帰(よ)せになられました。故、天皇は筑紫訶志比宮(つくしのかしいのみや)に坐(いま)して、熊曽国(くまそのくに)を撃とうとなさった時に、天皇は、御琴(みこと)を控(ひ)かれて、竹内宿禰(たけしうちのすくね)大臣(おほおみ)が沙庭(さにわ)に居(い)て、神の命を請いました。ここに、大后に帰(よ)りになられた神が、言(こと)教(おし)え覚(さと)して、仰せになられて、「西の方に国が有り。金(くがね)・銀(しろかね)を本(も)とと為(し)て、目の炎耀(かがや)く種々(くさぐさ)の珍(めづら)しき宝が、多(さわ)にその国に有る。吾が、今その国を帰(よ)せて、与えよう」と仰られました。尓して、天皇が、答えて、申し上げることには、「高い地に登り、西の方を見たが、国土は見えない。ただ大海が有る」と申しました。詐(いつわ)りを為(す)る神と謂(おも)って、御琴を押(お)し退(そ)け、控(ひ)きにならず、黙(もだ)して坐(いま)した。尓して、その神がいたく忿(いか)り、仰せになられて、「おほよそ、茲(こ)の天の下は、汝に知らすべき国に非(あら)ず。汝は、一道(ひとみち)に向かえ」と仰られました。ここに、竹内宿禰大臣が、申し上げることには、「恐(かしこ)し、我が天皇。なほその大御琴を奏でなさいませ」と申しました。尓して、稍(やくや)くその御琴を取り依(よ)せて、なまなまに控き坐した。故、幾久(いくひさ)もあらずして、御琴の音が聞こえなくなりました。すなはち、火を挙げて見れば、既に崩(かむあが)りしていました。



・熊曽国(くまそのくに)
現在の九州南部にあった襲国
・御琴(みこと)
神降ろしの呪具。
・沙庭(さにわ)
1・神を招いて、お告げを聞く清浄な場所2・神のお告げを承る人。 霊媒者。 さにわびと


現代語訳 (ゆる~っと訳)


 その仲哀天皇の皇后・息長帯比売命は、当時、神懸かりました。

故、天皇は、筑紫訶志比宮においでになられ、熊襲国を討伐しようとしていた時に、天皇は、琴を弾いて、竹内宿禰大臣がお告げを聞く清浄な場所にいて、神の信託を求めました。

ここで、皇后に憑りついた神が、語り教え諭して、
「西方に国がある。金・銀をはじめとし、目が輝く、様々なの珍しい宝が、たくさんその国にある。私が、今、その国を天皇に帰属して授けよう」といいました。

そころが、天皇は、答えて、
「高い場所に登り、西の方を見たが、国土は見えない。ただ大海があるばかりだ」といいました。

天皇は、偽りを言う神だと思い、琴を押しやり、弾くのをやめて、黙ってしまいました。

すると、その神がひどく怒ってしまい、
「もはや、この天下は、お前が統治する国ではない。お前は、一道に向かえ」といいました。

そこで、竹内宿禰大臣が、
「恐れ多いことです。我が天皇。琴を奏でてください」といいました。

そこで、ようやくその琴を引き寄せて、いやいやながら弾きました。

それから、間もなく、琴の音が聞こえなくなりました。

そこで、火をさし挙げて見たところ、既に亡くなっていました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「古事記・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事