昔と今の大嘗祭の違い
現在の大嘗祭にはありませんが、
古儀には、神事当日に、
お供え物を運ぶ大行列がありました。
古儀を行っていた当時は、
悠紀・主基両地域・そのほかの地域から
神事で使う物を
一端北野の斎場に集めました。
そして、
神事当日になると
北野の斎場から神事に使う
稲、白酒、黒酒、御贄などを、
大嘗祭の行われる朝堂院に設けられた
大嘗宮へと運び出します。
北野の斎場から大嘗宮へ向かう大行列に
奉仕する人数は、約5千人。
当時の人口からいまの人口に換算すると
約10万人規模の奉仕者です。
この行列には「標(ひょう)の山」
がひかれました。
標の山とは、
山の形をかたどった模型で、
木綿(ゆう)をつけた榊を植え、
日像や半月像などを飾った物です。
また、稲は輿にのせて担ぎ運びました。
そして、悠紀・主基おのおの別ルートを通り朱雀門を目指しました。

感想
都の道に五千人の大行列。
そして、その沿道には、
大行列を見物する人々が
沢山集まったに違いありません。
ちなみに先ごろ行われた
「祝賀御列の儀」(パレード)の際、
沿道に集まられた人々の数が
約11万9000人です。
それをふまえて当時の様子を想像すると、
驚きですよね。
その大行列の姿は、
それは素晴らしいものだったことでしょう。
沿道に駆けつけた人々は、
各々祝福の思いを送ったに違いありません。
その想いを乗せながら大行列は
大嘗宮へと向かうのです。
人々の思いは、
その御贄宿され、
それを召し上がる神々に
届いたのではないでしょうか。
まさに、奉仕する者だけではなく、
日本に住む人々を一つにする大嘗祭。
大嘗祭に招かれる神は?
一般には広く
天照大神及び天神地祇
と言われています。
天照大神(あまてらすおおかみ)
天照大神、
または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は
日本神話に主神として登場する神様です。
高天原を統べる主宰神で、
皇祖神にして日本国民の
総氏神とされています。

天神地祇(てんじんちぎ)
天神地祇とは、
天の神、地の神。
天津神と国津神。
あらゆる神の総称です。
高天原にいらっしゃる神を
「天津神」といいます。
大国主など、
天孫降臨以前からこの国土を
納めていたとされる土着の神々の総称です。
いわゆる「国津神」です。
感想
一般に言われている論で
間違いないと思うのですが。
宮中祭祀は、
伊勢神宮の祭祀と連動していると
されています。
大嘗宮は、
悠紀殿と主基殿。
二つの神殿が造られることを考えると、
内宮と外宮に祀られている神様が
いらっしゃるのではないかと思います。
陰と陽。天と地みたいな…
何の根拠のない一論です(笑)。
続く