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リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 百 秋山の神と春山の神


古事記 中つ巻 現代語訳 百


古事記 中つ巻

秋山の神と春山の神


書き下し文


 尓して其の兄に白して曰く、「吾は伊豆志袁登売を得つ」といふ。是に其の兄、弟の婚きつることを慷慨み、其のうれづくの物を償はず。尓して其の母に愁へ白す時に、御祖答へて曰く、「我が御世の事、能くこそ神習はめ。またうつしき青人草習へや、其の物を償はぬ」といふ。其の兄の子を恨み、其の伊豆志河の河嶋の一節竹を取りて、八目の荒籠を作り、其の河の石を取り、塩に合へて、其の竹の葉に裹み、詛はしむらく、「此の竹の葉の青むが如く、此の竹の葉の萎ゆるが如くして、青み萎えよ。また此の塩の盈ち乾るが如くして、盈つる乾よ。また此の石の沈むが如くして、沈み臥せ」と言ふ。かく詛はしめ、烟の上に置く。是を以ち其の兄八年の間に、干萎え病み枯れぬ。故其の兄患へ泣き、其の御祖に請へば、其の詛戸を返さしめき。是に其の身本の如くして安平ぎぬ。此は神うれづくの言の本ぞ。


現代語訳


 尓して、その兄に白(もう)して、いうことには、「吾は、伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)を得た」といいました。ここに、その兄が、弟が結婚したことを慷慨(うれた)み、そのうれづくの物を償(つくの)わず。尓して、その母に愁(うれ)え、白す時に、御祖(みおや)が答えて、いうことには、「我が御世(みよ)の事は、能(よ)く神習に従うべき。またうつしき青人草(あおひとぐさ)を習い、その物を償わぬとは」といいました。その兄の子を恨み、その伊豆志河(いずしのかわ)の河嶋の一節竹(ひとよだけ)を取り、八目(やつめ)の荒籠(あらこ)を作り、その河の石を取り、塩と合わせて、その竹の葉に裹(つつ)み、詛(とご)らして、「この竹の葉の青くなるが如く、この竹の葉が萎(しな)びるが如くして、青み萎えよ。また、この塩の盈(み)ち乾(ふ)るが如くして、盈ち乾よ。またこの石の沈むが如くして、沈み臥せよ」といいました。このように、詛らしめて、烟(かまど)の上に置きました。是を以ち、その兄は。八年の間に、干萎(ひしな)えて病み枯れました。故に、その兄は、患(うれ)え泣き、その御祖に請えました。その詛戸(とこいど)を返しました。ここに、その身体は、本(もと)の如くして、安平(やすら)ぎました。これは、神うれづくの言の本です。



・慷慨(うれた)
怒り嘆くこと
・うれづく
賭けをして負けた時に支払う品物、また、賭けをする意か
うつしき
「うつし」は「現い・顕し」の意。現に生きている
・青人草(あおひとぐさ)
国民や庶民、人民など
・伊豆志河(いずしのかわ)
比定地は、出石神社の西を流れる出石川に当たるとする説が一般的
・一節竹(ひとよだけ)
一節だけの竹の意か
・八目(やつめ)
編み目、刻み目などが多くあること
・詛(とご)
1・呪う、そしる、神かけてのろう2. ちかう、神かけてちかう
・詛戸(とこいど)
人をのろうのに用いたもの。のろいをするときに用いた置物


現代語訳(ゆる~っと訳)


 ここで、弟は兄に、
「私は、伊豆志袁登売神を手に入れました」といいました。

すると、兄は、弟が伊豆志袁登売神と結婚したことに怒り嘆き、賭けをして負けた時に支払う品物を支払おうとしませんでした。

そこで、弟が母に憂い訴えた時に、母親が答えて、

「我々神の事は、よくよく、神の世界のしきたりに、従うべきです。

また、現に生きている人民に習って、その賭け物を支払わないとは…」といいました。

母親は、兄のほうの子を恨み、その伊豆志河の中洲の一節の竹を取り、編み目の荒いカゴを作り、その河の石を拾い、塩と混ぜ合わせて、その竹の葉に包み、呪いをかけて、

「この竹の葉が青いように、この竹の葉が萎れるように、青くなったり、萎れよ。

また、この潮が満ちたり引いたりするように、栄えたり衰えたりせよ。

また、この石が沈むように、沈み臥せよ」といいました。

このように呪いをかけ、かまどの上に置きました。

こういうわけで、その兄は、8年の間、体が干からび、萎びて、病気になり、死にそうになりました。

そこで、その兄は、憂い泣き、その母親に許しを請うと、母親は、その呪いを解きました。

こうして、その身体は、元どおりになり、平安が戻りました。

これは、「神うれづく」の言葉の始まりです。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







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