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お寺探しの旅~自分が求めるお寺とは?~

我々一般人にとって本当に「いいお寺」とは?
色んな情報を集めて、色んな角度から、色んな視点で追求してみたい。

仏教ブーム!?

2007-11-08 08:06:12 | お坊さんの気持ち
おはようございます。

今日は、ピンと透き通った寒さが案内人には堪える感じです。

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昨日は、ちょっとしたご縁があって仏教について考える時間を与えてもらった。

自分たちが生活している中で、いろんなつまづきがあって悩んだ時、ブッダだったらどう答えるのか?

お付合いしてくださったご僧侶の先生は、色んな質問に真摯に捕らえて答えてくださった。

一番「へぇ~」って思ったのは、仏教を考える時に恋愛や結婚を事例に考えるとわかりやすい。ってことだそうだ。

人は思い通りにならない。
どこかで自分の中で妥協して消化していく中で双方にとって良いことを見出してく。

あれ?これでよかったけかな。

とにかく皆に聞かせてあげたかったな。

そうだ、こういう身近な話題で仏教の良さを伝えられるとよいのにな。

ちまたは仏教ブームだそうで、昨日事務所を訪問してくださった御住職もそんな匂いを感じるとおっしゃっていた。

これまた偶然に、このブログに時々参加してくださる華笑山さんに

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NHK教育ー7日夜10時25分

玄侑 宗久  「やおよろず」 一見の価値有り。
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とお知らせいただいた。昨晩早速みさせてもらったが、宗久氏が青年だった頃、「お布施」について悩み、「自分は人の不幸からお金をもらって生活をしている」ということに疑問をいだいていたのだそうだ。

そんな時、ある臨済宗の高僧にその疑問をぶつけると
「いずれ大人になればわかる」
とおっしゃったそうだ。

その言葉が、昨日の昼間仏教について話をきいてきたばかりの案内人にとって奥が深く感慨深い答えだった。

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話は変わりますが、華笑山さんが昨年11月に寺院向けに企画したグリーフワークの講演会に参加してくださり、そこから刺激を貰ったといってくださって、

ホームページの中にグリーフカウンセリングをいれはじめてくださったそうです。
http://www1.ocn.ne.jp/~kashou/

皆さんも、一度、是非訪問してみてください。

先生らしいお言葉やなんとも優しく温かい感じがします。







将来のお寺

2007-08-30 06:36:04 | お坊さんの気持ち
みなさん、おはようございます。

急に涼しくなって、過ごしやすくなりましたね。おかげで、ようやく風邪が治ってきたと思ったのに、またしても喉が痛くなってぶり返してしまいました。

みなさんは、どうぞ大事になさってくださいね。

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先日、神奈川県仏教青年会の方々とお目にかかる機会を得た。

みなさんとお話しているとお寺の将来を本気で考えている方がいるのだと感心させられた。

檀家との係り方、一般生活者との係り方、そして僧侶としてのあり方を模索しながら進んでいらっしゃる。

菩提寺をこれから探す立場だとしたら、やっぱり真剣に自分と向合ってくれるお寺を選びたいと思う。ただし、すごく高い目線ではなくて比較的近い目線で付合ってくれるお寺。

仕事柄、数え切れないくらい多くのお坊さんとお話する機会がある。
「このお寺の檀家さんは幸せだな~。」
と思うお寺がいくつかある。

お寺を探す時、何を重要視するのか。

立地?交通の便?
住職の人柄?お寺の建築物?
心の癒し?

あなたがお寺に求めるものは何ですか?

そんな声にたくさん耳を傾けたいと思っているお坊さんがいてくれることは、お寺の将来に光のようなものを感じさせてもらった。


京都のお坊さん達にお会いしてきました

2007-06-25 15:33:05 | お坊さんの気持ち
ああ、時間が過ぎるのは、本当に早いです。
今日はすでに月曜日じゃないですか・・・

みなさんに、お伝えしたいことは山ほどあるのに、ブログを更新もせず、すみません。

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前回の京都:大阪出張にいったおかげで、新しい空気を胸いっぱい吸わせてもらってきた。

何が新しいのかというと、関東とはちょっと違うお坊さんのお話。

時間の都合で18日は4名だけお坊さんにお目にかかった。

いつも関心するのは、京都のお坊さんは、本当にフットワークが軽い。これって、やっぱり月参りをなさっているからだろうか・・・

お坊さんそれぞれ、口をそろえておっしゃるのは、京都はね、町が狭くて30分もあれば、だいたい何処でもいけるんだよ。とおっしゃっていた。

そして、それぞれの宗派の本山が京都に多いことを誇りとしていらっしゃる一方で、何処か東京のお寺さんにライバル意識をもっていらっしゃるような印象を受けた。

京都弁のせいだろうか、みなさんの話方はとてもソフトでフレンドリーな感じもした。

4人目にお会いした御住職は、現在、肺ガンのため病院に入院中だった。検査でガンが発見されたときには、かなりの進行状況で、一時は覚悟をと医師より宣告させたらしい。ラッキーなことに肺以外のところに転移がみられなかったので、抗がん剤治療を苦しみに耐えながら行っているとのことだった。

御住職の言葉の中で、こころに残ったのは、

「死を目前にすると、葬儀の形なんかどうだっていい。って思ったよ。本当に家族だけでおくってくれれば、それでいいってね。」

禅宗のご僧侶だったので、それらに関する分厚い本を何冊も枕元に置かれていた。

ある意味、それは心の支えのようにも感じられた。

僧侶だって、1人の人間だ。だから、死だって怖いって感じたっておかしくないと思う。けど、世間では、悟りを開いているんだから、人前で泣いたり叫んだりすることは自然ではないと勝手に思い込んでいる。

いつも思うけど、大変な職業だな・・・

どうか、また、京都に来た時に笑顔で合えますように。と願いながら、病院を去った。


お寺のあり方

2007-05-18 14:14:47 | お坊さんの気持ち
みなさん、こんにちは。

今朝の練馬はとても良く晴れていて、真夏のようでしたが、午後13:30現在ではすっかり曇って風がビュービューです。



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先日の講演会の後、懇親会を設けた。
11名のお坊さんと橋爪先生を囲んで、わきあいあいと和やかな会だったように思う。

懇親会の席だと、身近にお坊さん達と話が出来るので、こちらから疑問や質問などがあると、いろんな方の意見を一度に伺えるし、逆にお坊さん達の想い伺えるのでとても有意義な時間。

仏教会の組織で開くような会は、対面的なお付合いや組織に俗することがステイタスのような一面も若干あるのでは?と思うが、我々のような一般人が企画する勉強会にお越しいただくお坊さんは、基本的には、お坊さんとしてのあり方を模索している方でもあり、お檀家に対しても社会活動にしても、一生懸命活動なさっている方が多い。

各テーブルによって、話に花が咲いていたように思える。

あるお坊さんが、「橋爪先生は、なぜ、グリーフサポートやエンバーミングを勉強しようと思ったのか知りたい。」とおっしゃったので、先生にお尋ねしてみた。

先生の少年時代やご家族のことをお話くださり、色んな背景があって今があることをお話してくださった。先生は、ありのままのご自分をみなさんにお話してくださることで、そこに居合わせた者のハートをグッと引き付けた。

先生のお話をきっかけに、懇親会に居合わせていただいたお坊さん方に自己紹介と今感じたことや考えている事などをお1人ずつお話を聞かせていただいた。

グリーフサポートに関する感想
名古屋で置き去りにされる遺骨が多いことの事実
ご自身の活動状況
仏教とグリーフサポートの係りについて
グリーフサポートをするお坊さんのケアは誰がしてくれるのか
ライフデザイン研究所の活動の感想

など、色々聞かせていただいた。

そこには、お坊さんの活動の意欲や希望に満ち溢れている一方で、新しいものを切り開く勇気や孤独を感じた。

住職が100人いれば100通りのお寺のあり方があるのだろう。

私には、まだ菩提寺がない。
もしかすると、この旅は、自分の答えを出す為の旅なのかもしれない。

と、一瞬頭の中をその言葉が駆け巡った。






第2回公開講演会 テーマ「仏教とグリーフサポート」開催しました

2007-05-16 07:41:29 | お坊さんの気持ち
みなさん、おはようございます。

今日の練馬地区は晴れ。朝日が部屋に痛いほど差し込んでくる感じです。
光の強さで言えば、夏を感じさせるようなジリジリっていう・・・

こんな時、ああ、紫外線でシミができちゃうから、日焼け止め塗らなきゃ!とっさに考えてしまう年頃です。

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たくさんの方々のご支援のおかげで第2回公開講演会を開催することができた。

こういう会を開催する時、いつも思うのはたくさんの人や物に支えていただいているという事。

人でいうと、講演をしてくださる先生、お越しいただく僧侶の方々(毎回足を運んでくださる方や滋賀・京都・大阪・名古屋から来てくださる方もいる)、一緒に頑張ってくれるスタッフ、イスやテーブルなど会場を設営してくれる現地の人、深くたどっていくと本当に数え切れないほどの人がこの日に関わってくださっている。

心底感謝です。

講演会やその後の懇親会などを通して自分の中で、髪の毛が逆立ちそう(静電気で、ピリピリって立っちゃう感じ)なくらい刺激をうけ、みなさんにお伝えしたちことがたくさんある。とても、1回では収まりきれないので、この日のことを何回かにわけて、お伝えできればと思う。


まずは、講演会の様子。

今回は、全部で21名のご僧侶がお越しくださった。

練馬区での勉強会でもそうなんだが、お越しいただく皆さんのお顔を拝見するのは、本当に嬉しくて有難くてたまらない感じがする。

会の前半はライフデザイン研究所がどんな活動してきたかの報告と今後、取り組んでいきたいと思う事、社会の生の声を届けることを目的として会をすすめさせてもらった。

後半のメインでは、「仏教とグリーフサポート」というテーマで
講師は㈲GSI 代表取締役 橋爪謙一郎氏が講演してくださった。

心の中で印象に残った言葉だけちょっとご紹介したい。


●橋爪先生の話では、グリーフサポートとは、実は仏教の教えを参考にして作られているとのことだった。

そういえば、真言宗智山派のあるお坊さんが「僕は、仏教の年回忌法要が実はグリーフだと思っているんだよ。」っておっしゃっていた。

なるほど・・・

そういう意味では、お坊さんにはサポートできる場面が山程あるのだなぁ。

●とにかく、とことん話をきく

グリーフでは、話をとことん聴くことが何より大事なんだそうだ。
なんでもアメリカでは、遺族のための特別なお部屋があるらしい。防音で、周りの音を一切シャットアオウトできる。そこでは、電話も時計も一切ないらしい。悲しみや怒りやショックがどんなに深くても外を気にすることなく感情を吐き出せるお部屋。

そして、そこで、サポートをする方がとことん膝と膝を突き合わせて話をきいてあげるらしい。

そうすることで、遺された本人は少しずつ心を開いていくのだそうだ。

●話を聴く為に自分に余裕を持つ

人の話を聴くという事は、とてもエネルギーがいることなので、話を聴く本人が、時間の余裕を持つ事が何より大切だとの事。仕事の途中だったりすると、そちらが気になって落ち着かないこともあるから、相手の方にきちんと「あと、少ししたら話をきけるから待っていてね。」と伝える事が大事らしい。

へぇ~。相手を待たせたとしても、きちんと話を聴く体制を整えることの方が大事なのか・・・


こうした話を聴いている中で、お坊さんの様子を客観的にみていると、ご自身のやっていらっしゃる活動に確信をもたれている方、グリーフを熱心に勉強なさって言う方、睡魔とたたかいながらも必死に話をきこうと努力していらっしゃる方と様々。

何はともあれ、こうして勉強を常々されて、お檀家様のために何かして差し上げたいと努力していらっしゃるお坊さんを菩提寺にもたれている方は、本当に幸せだな・・・ってつくづく思う。

お坊さんの中には、みなさんの知らない所で、お檀家さんやみなさんのために一生懸命努力をなさっているの方々がいらっしゃることも知っておいてください。

そして、お寺探しをするとき、どうか、あなたの声をきいてくれるお坊さんにめぐり合ってもらいたいと切に願わずにいられません。


いろんな不安

2007-02-27 12:36:03 | お坊さんの気持ち
みなさま、こんにちは。

今日の練馬地区は、よく晴れてとても良い天気であります。
梅の花も今日には満開です。

昨日の晩、東京都内の某お寺の住職と話す機会を得た。

そのお寺は、檀家数400前後ぐらいのお寺だが、近い将来に檀信徒の世代の入れ替わりがありがあるのだという。

次の世代になったとき、果たして本当に檀家がお寺とつながっているのか。そして、継承者のいない墓地が、圧倒的に増えたとき、お寺として、どうしていくべきなのか。

そんな問題を抱えているのだという。

この話を聞いた時、多くのお寺が同じような不安をもっているのだろうな。と容易に想像することができた。

お寺のあり方。

難しいテーマである。

先日、「女僧へ求めるもの」というテーマでブログを書いた時、一般の方から、貴重な意見をいただいた。


企業は、消費者を満足させるために、莫大な投資をしたり、戦略をうち、過剰ともいえるサービスを提供する。だから、消費者は、それに対する対価としてお金を当然のように支払う。人々は仕事のために、残業をし、しまいには、うつ病になり、自殺まで追い込まれる人もいる。

では、お寺はどうなのだろうか。

いつも、考える。お寺は本当に必死なのだろうか。

布教布教といういうけれど、お布施はサービス料とは異なるというけれど、本当に
一般市民や檀家に対して、死に物狂いで布教をしているのだろうか。本当にお布施をお布施と感じさせる活動を行っている人はどれだけいるのだろうか。

素人の自分としては、

「じゃあ、釈迦やそれぞれの宗派の開祖は、いったいどんな動きをしたのだろう。」

こんなに時が流れても受け継がれている影響力って・・・。凄すぎる。

お寺の住職も我々一般人も、内容や程度は異なるけれど、きっと誰もが不安をかかえていると思う。けど、不安は感情だから、すぐに消す事はできないけど、不安を安心に変える行動を起こす事は誰にでも出来るはず。

どんなお寺がいいお寺なのか、まだまだ分らないけれど、こうして、歩いていればきっと何かあるにちがいない。

私のお寺探しの旅は、まだまだ続く・・・



女僧へ求めるもの

2007-02-23 15:28:06 | お坊さんの気持ち
皆さま、こんにちは。

今日の練馬地区は、朝は結構な雨降りでしたが、お昼すぎた今は、少し空も明るくなってくもりっています。


昨日、大阪の女僧さんとお話をする機会を得ることができた。

電話を通しての声は、とてもソフトでやさしい感じがした。僧侶というと、どうしても男性のイメージが強い。だから、葬儀や法要に女僧さんがくるとなると、なんとも重みが軽減してしまうような感じがする人が多いのも事実だろう。

だから、葬儀社から読経の依頼で、女僧を指定されたことは、未だかつて一度もない。男女平等のこのご時勢にあって、仏門の世界だけは、男尊女卑が根強く残っている。

その大阪の女僧さんに、普段どんな活動をしていらっしゃるのか尋ねてみた。

お寺の目の前が小学校で、お寺の塀や門をとっぱらってあるから、子供たちが大勢立ち寄るのだとか。そうすると、時々、子供たち相手にお話をして差し上げたりするらしい。

また、大阪では、月参りを行っているので、各家庭を回りながら、お年寄りのお話をとにかく聴いているらしい。その中には、
「あなたが、毎月きて、こうして話をきてくれるのが楽しみなんですよ・・・」
といってくれるおばあちゃんがいるのだとか。

「話を聴くのが仕事ですからね。」とその女僧さんは、やさしくいっていた。

素敵・・・

活動そのものに関しては、男性の僧侶と、これといって大きな差は感じなかったが、とにかく印象的なのは、あまりにも、あたりがソフトなので、話をしているこちらが何となく癒されたから不思議だった。

女僧だけの、何か悩み相談室があってもいいような感じを受けた。そして、女僧だけしかできない何か特別の事があってもいいんじゃないだろうか。

と、話をしながら漠然と思った時間だった。

渡り鳥信者

2007-02-16 19:14:08 | お坊さんの気持ち
皆さま、こんばんは。

今日の練馬地区は、日中は、コートだけでも充分過ごせる陽気でしたが、夜になって、急に冷え込んできました。

寒暖の差が激しいので、お体をくれぐれも大事になさってくださいね。

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今日は、大阪のお寺様から、表現として、とてもおもしろい言葉をいただいたので、そっくりタイトルにさせてもらった。


『渡り鳥信者』

どういう背景から、この言葉が生まれたのかというと、

大阪人は、気が短い方が多いので、「このお寺嫌だ!!」と思うと、さっさとお寺の檀家をやめて、次のお寺を探して移る。ということを、簡単にやってのけるのだという。

思わず、話を聴いていて、「へぇ~。さすが、大阪人は違うな~。」と妙に納得してしまった。

関東では、骨ジジとでもいうのか、檀家をやめて、お寺を移るということは、めったいにない。お寺を移る時、次のお寺に移るのではなく、恐らく、霊園に移る方の方がむしろ多いと思われる。

一度お寺とのしがらみに懲りたのだとすると、霊園という逃げ場?(しがらみなしに遺骨を埋葬できる場所)があるのであれば、そちらを選択するだろうと言う事だ。

渡り鳥信者を少しでも無くすには、やはり、一般市民自身が、もっと、お寺を理解していく必要性がある。この渡り鳥信者とのかかわりは、お寺も大変だが、何より、渡り鳥信者自身がエネルギーを必要とするからである。

葬儀社から紹介されたお寺が必ずしも、良いお寺とは限らないのである。
葬儀社から紹介されたお寺が必ずしも、自分にあうお寺とは限らないのだ。

後々のトラブルを避けるためにも、生前から自分の足で、お寺を見つける事をお勧めする。

自分の人生の最期を、他人任せにしていいのですか?

葬儀社選びもお寺選びも、とても大切です。

あなた自身が、「こんなはずではなかった」ということのないように、事前の下調べを心からお勧めしたい。




お寺の跡継ぎ問題

2007-01-27 14:54:52 | お坊さんの気持ち
今日の練馬地区は、1月とは思えない暖かさ。

3月上旬ぐらいの陽気で、コートがなくても、全く問題ない位。個人的な都合を言えば、寒さが苦手なので、とても助かる。

けど、その一方で地球温暖化は、一体何処まで進み続けるのだろう。と、不安を抱く。

仕事柄、日々、色んな人との出会いがある。

昨日は、テレビ番組の制作をしている企業の方、お二人とお目にかかった。

何でも、お坊さんを取材したいとのこと。

先方の主旨をよく、伺った上で、少しでも一般市民の方がお寺を身近に感じてもらえるなら・・・と快く協力することにした。
いずれ、機会があれば、みなさんに番組を紹介することができるかと思う。



お坊さんであっても悩みはある。

お寺は世襲制ではないが、それに近いような現状もある。だから、皇族のように世継ぎ問題は、結構深刻である。

例え、男子が生まれたとしても、その子供が必ずしも、お坊さんになるかというと、定かではない。

子供にも、夢はある。お坊さんになりたい。とはじめから思っている子もいるだろうけど、獣医さんになりたい、学校の先生になりたい、世界中を飛び回りたい、とい思っている子もいる。

そういう意味で、彼らには、生まれたときから、自分の好き嫌いとは別に、お寺の歴史を守るという、重たいものを背負わされているから、なんとも気の毒な話だ。


その子が、仮に僧侶という道を選んでくれたとしても、必ずしも結婚して、子供を授かってと順調にいけば良いけれど、そうでなかった時、そこには、また大きな苦悩がある。

女性の立場からすると、お寺にお嫁に行くことは、それなりの覚悟が必要だ。

年間通して、決まった休日もないし、お寺をルスにすることが出来ないから、住職が出かけたら、自分が留守番をしなければならない。檀家の顔も、その人の人間関係も知り尽くしておかないと、お寺の奥さんは務まらない。

安易にお嫁に行ってしまった人は、「こんなはずではなかった・・・」と離婚する人が、思いのほか結構多いことも事実。

結婚生活が上手くいき、女の子だろうと子供さえできれば、それなりの解決策はあるが、子供ができなかったとき・・・

お寺の歴史を守る為に、養子縁組をしたり、後を継いでくれる、在家出身のお坊さんを探さなければならない状況も生まれてくる。

もし、それができなければ、お寺の建物は、住職の持ち物ではないから、出て行かなくはならない場合もある。

本当に大変なのだ。

お寺のお坊さんだって、我々一般庶民と同じような苦悩を抱えている人もいるのだ。





戦争の生き証人

2006-12-09 01:17:40 | お坊さんの気持ち
本日の東京練馬区の天気は、くもり。

今日、事務所にきたお客さんは「なんか、昨日今日で、急に寒くなりましたよね~。」といっていた。

天気のどんより具合が、寒い気持ちを駆り立ててくれる。

ちなみに、私の席の後ろは、大きなガラス窓。前にも告白したが、超寒がりの私には、背後から、おしりから寒い風が襲い掛かってくるようで、「おしりが寒い、寒いよ~」とブツブツ言っては、うらめしい思いで何度も振り返ってしまった。

夕方は、神奈川県仏教青年会の集まりに参加した。

全国でも、宗派を超えたこうした青年会の集まりは、数えるほどしかない。

ちなみに、私は、神奈川・埼玉・大阪・神戸の青年会が活発に活動しているのは、知っているが、他はあまり話しを聞いたことがない。

年度末なので、現会長から次会長へバトンタッチすることが発表された。

会長をやるということは、とてもエネルギーがいることで(お金ももらえるわけでもなんでもない)、大勢の他宗派の僧侶をまとめなければならないのだから、骨が折れることと思う。

ライフデザイン研究所としても、何かお手伝いができることがあったら、喜んでお手伝いしたいと純粋に思う。

個人的には、この神奈川県仏教青年会では、色んなことを学ばせてもらった。

今日は、浄土宗の老僧に、戦争の時代の話をきかせてもらった。

戦争とは、本当に無意味な行為である。

第2次世界大戦中には、17,8歳の若い男の人たちもたくさん戦争に借り出された。

九州のある大きなお寺が、戦時中軍隊の宿舎になっており、唯一そのお寺に電話が1台とりつけてあったとか。その電話が「チリン」っと鳴っただけで、普通に振舞っていた彼らの表情は一瞬にしてこわばってしまうのだ。

いよいよ、出撃=死なねばならないのか・・・

全く別の用件だとわかると、またいつもの青年らしい表情にもどっていったらしい。

よく、映画やテレビなんかで「天皇陛下バンザイ!」といって、命を落とす場面が
流れることがあるが、実際、現地にいた人の話によると、そういって、命を落とした人は、本当にごくわずかだといっていた。

彼らは、17,8歳といっても、まだお母さんから離れ切れていない子供。みんな「おかあさ~ん、助けて~。」と言って命を落としていったとのこと。

私は、想像しただけで、その場では涙こそ流さなかったが、話をきいて5時間たった今でも、胸がつまる思いがして、悲しい気持ちで一杯だ。

当時アメリカは、銃弾をつかっていたが、日本では、竹の棒を「エイエイ」と振って戦争に備えていたとのこと。

「世界を知らないということは、とても怖いことなんだよ。僕は、知らずに竹を一生懸命振っていたんだからね。」そういった老僧の瞳の奥に、昔を回顧する様子が伺えた。と同時に戦争に対するなんともいえない空しさが、そこから伝わってきた。

私たちは、生きている。

私たちは、色んな動物や植物や資源に生かしてもらっている。

私たちの現在は、色んな犠牲のもとに成り立っている。

食べ物がある。着る物がある。どんなに有難いことか。

「おかげさまで」

この言葉は、仏教の思想のもとに日本人があいさつの慣習として利用されてきた非常に奥の深い言葉。

命は尊い。生きていたくても生きられない時代があったことを私たちは決して忘れてはならない。

今日も、深い教えをいただいた。どうも、有難うございました。