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夏純さんの「ウルミラ」覚書♪ 2009-12-16

2010-10-05 | 本・映画・ドラマのレビュー&気になる作品

わがまま言いました、夏純さんに。
ウルミラについて考えたこと、
記事にさせてください、って。なぜ言ったかといいますと・・・。
私ひとりのものにするのはもったいなさすぎるんですよ。
感動しました(;゜;艸;゜;) 
★★★もう一度読みたい人のため、再掲載させていただきます。
何度読んでも感動します!!! 
夏純さん、あらためてありがとうございます。
2009-12-16付記事です。


DVDで初めて「ウルミラ」をご覧になって、
私達が前に「ウルミラ」でオフケンしたのをロムってくださって、
その上での感想を私に読ませてくださったんです。

夏純さんは特に松山ケンイチさんのファンと言うわけではないので、
作品全体がよく見えている、と私は思います。
私達はともすれば、陽人が愛しすぎるから、俯瞰的に見れていない部分も
あったかもしれない・・。
記事にすることを実はとても不安がっていらっしゃるのだけど、
私がお願いしまくりました。だってね、私ひとりのものにするのは
もったいなさすぎるんですよ。
なぜもったいないか、是非、覚書をご拝読ください。
いろいろな疑問がするすると解けてゆく想いです。
最後のシーンの意味も、感動しますよ、その意味がよおくわかります。
なお、夏純さんは私とのやり取りや、2回のオフケンなどで、
たくさんの方にいろんなことを教わったと言われていますので、
ひとこと申し添えますね。
これをお読みになったら、新たな気持ちでDVDを見たくなるのじゃ
ないでしょうか。
さらに町子先生や要や太すら愛しくなる予感がしますよ。
もちろん、陽人はそこまで思っていたのかとせつなくもなるでしょう(涙)
 夏純さん、素晴らしい覚書をありがとうございます。

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夏純さんの「ウルミラ」覚書♪        
      2009-12-16


私は町子先生というのは「東京、分別する管理社会」の象徴か、
と仮定してみました。対して青森は「混然一体、人も自然の一部」、
樹さんの仰る土着的な、プリミティブな世界。
青森では誰も陽人を障害者として特別扱いしていない。
近くにあっちゃがいるけど、一人で暮らししてるし、
あっちゃも野菜作って自立して結婚するよう願っていたし…

陽人に迷惑たくさんかけられるけど、「可哀想な子」と同情するでもなし、
ただ見守っていて、陽人が日常にとけ込んでいる。
また太の「農協やめて劇団に入る」という夢も誰も特にバカにしないし
止めもしない。
それが人の温かさというよりは、様々な存在を認めるおおらかさ、
人の尺度より大きな循環の中にいるという感覚の中で生きる人たちの
当たり前の感覚なのかな、と思います。
陽人の葬儀で誰も泣かない。「死」が特別悲しいことではないという、
認識のうえにいるからでしょうか。

樹さんの「この映画は感傷を寄せ付けない」は鋭い指摘だったと思います。
青森が、この映画の世界が、生死に対する人間の感情とは
別の次元に在るのかもしれません。

町子先生は、要に浮気中に死なれ「私って何だったの?」と
自分をカテゴライズ出来なくなって東京を離れた。
足下から崩されたような思いだったでしょうか。
しかし果たしてそう言う町子先生は要を愛していたか?
「要に愛される自分」に安心するために必要としていたのでは
なかったでしょうか?
客観的に自分を位置づけ、どこかに分類する、曖昧さを許さない
人間社会が苦しくなった町子先生は、カミサマなんて曖昧で
アヤシい存在を頼りに行く。
カミサマも実に青森的。陽人もカミサマもイタコもシュールな園児も
健康に留意したあげく自殺した35歳も並列に無理なく存在する場所。
要は元々青森的な精神の持ち主だろうか?町子を裏切るつもりなんて
なかったかも知れない。
少し、空虚が大きかったのかも知れない。
「からっぽのまま死んでしまった」埋め合わせるため、
いつも誰かといないといられなかったのかも知れない。
ただ、町子が要求してくる「はっきりさせて。曖昧は困る」という
真面目さ正しさが苦しかったのでは…。
カミサマは「彼のこと困らせてたんだな」と言う。
死んでも相変わらず飄々として、陽人の所には現れたのに、
町子には最後まで何も答えず謝らないまま。
町子に答える言葉などはじめからないから?
でも町子の強すぎる思いが要を留まらせていた。

真面目で論理的な町子先生が、初めはとても受付られなかった陽人に、
惹かれるというか影響されてだんだん自分で自分を縛っていた価値観を
手放していく。
「恐怖を克服することで進化する」という町子の言葉に、
怖くても自ら農薬を浴び続ける陽人。
魂が抜けかけてるからか、陽人があんまりストレートに問いかけるからか、
優柔不断で優しい要がふらふら現れる。
いや、強すぎる町子先生の思いが陽人に崩されて自由になれたのか。
要は陽人の町子先生への気持ちを「すごいじゃん」と言う。
その真っ直ぐさは実に要にはなく、
町子先生がかつて強く求めていたものかもしれない。
また要は首はもういらないと言った。
首なんて無くても、死んでも大して変わらない、という
メッセージを陽人に伝えたようにも見える。

馬と走ってばったり死んだ陽人は、でもまだ進化の途中、
町子先生に好かれるまで進化できていない。
心残りのため魂はまだそこにいる。全然死に顔に見えない。

いつも園の入り口で待ってる陽人が居なくて気になった町子先生が
陽人宅に上がり込み、ホワイトボードを目撃する。
このボード、以前は陽人が自制するためのツール、自分への指示書だった。
今では自分の行動を書き留めるように変化している。
まるで『アルジャーノンに花束を』のチャーリイのよう。
町子先生は何かわからないけど陽人の自分への思いが
真剣な事だけは理解できたのではないでしょうか?
一緒に暮らしても何を考えてるかわからず不安だった要とは対照的。

そして死んでも元気に動き回る陽人…
園児が騒ぐ。
「進化が何だ!!ゾンビやろー!脳みそ食われるー」何で知ってるのか…。
カミサマと童子たちはいつも核心を衝く。
半分あの世半分この世にまたがる存在だから俯瞰できているのか、
不可思議なことに惑わされず核心を見抜く。

陽人は心臓が止まったままずっと留まれないとわかっていて、
ボードに「体が動かなくなった」後のことを記す。遺言みたいに。
町子先生は進化した誤作動しない脳みそが好きなんだと信じている。
町子先生の好きな脳みそだけは先生にあげる。
それがすべてだとこの時には信じている。

陽人の検査のため東京に向かうも、やはりもう町子は東京に行き着かない。
呼ばれない。東京には向かわないまま青森に戻る。

そして2人で散歩に出る。町子先生に好かれる脳みそを維持するために、
農薬にこだわる陽人。
しかし町子先生は「脳みそなくても散歩できるでしょ」と言い放つ。
脳みそなくても…。

要の首を探し続け、ない答えを求め続けた町子先生の価値観が変わり、
要が先に解放され、そして陽人も「へば、脳みそいらねーじゃ」と
生まれた時からずっと制約されてきた脳みそから自由になった。
そしてこれが陽人の本当の遺言…
町子が一緒に居てくれる、願いが成就した喜びに疾走し、
熊と間違えられ撃たれた陽人。
陽人もみんなと同じ、からっぽでも、その空虚は要より
ずっと小さかったのかも知れない。
「好きな人は一人でも多すぎる」と陽人は言ったから。

撃たれなくても魂はいずれ離れたのかもしれない。
まるで人形のような死体。操っていた魂はもうそこにない。
大好きな人が一緒に居てくれる幸せに、
陽人はもうからっぽではなくなって、
そのまま笑いながら飛び跳ねながら、走り去って行ってしまった…

陽人を送るけど、
悲しいことじゃないとみんなが悟っているような葬儀のあと、
東京の病院で分割され仕分けられ、
遺言どおり脳みそだけが町子先生に戻される。
でも町子先生は陽人の本当の遺言を聞いている。
陽人はもう脳みそはいらないと言った、そして町子もいらない。
陽人の体は、今バラバラになって東京のコンクリートの中にある。
畑の野菜は園児がすべて引っこ抜いたけど、また次の命を育む。
いったん眠るけどまた目を覚ます。「また来年」。

町子先生はせめて脳みそだけでも自然の循環の中に
還そうとしたのではなかったでしょうか。
付き添うのはここでも半人半霊的な園児たち。
これは陽人の本当のお葬式。陽人を森へ還すため、
町子先生が背負い、園児たちが歌い、
ここでも湿っぽさと無縁に葬送の列が進む。
森のお葬式の最中に現れた熊。
陽人が代わりに撃たれ生き延びたのか、
または森の神の象徴かもしれない熊。
町子先生の手元で薬に漬けられ不自然に留められている脳みそ。
もう誰も、脳みそにとらわれてはいない。

町子先生の最後の笑顔は、陽人を、そして要も自分をも、
青森の自然に解き放てた安堵と満足の表情だったのではないでしょうか…。

夏純







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14 コメント

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Unknown ()
2009-12-16 06:23:57
おはようございます、夏純さん。

何度も推敲してくださって、ありがとうございました。
何度読んでも「そうかあ」とうれしくなります。
幼稚園児たちがあの世とこの世を結ぶような存在として、
私が舞台装置の保育所のなかの書割、ではなく、
とても重要な役割を果たすものであったことに、
いまさらながら気づかされた気がします。


>様々な存在を認めるおおらかさ、
>人の尺度より大きな循環の中にいるという感覚の中で生きる人たちの
>当たり前の感覚なのかな、と思います。

そのありようのなかで、陽人が誤作動しない脳が求められるもの、
と考えてしまったのは、やはりせつないことですね、
最後には本当の意味で自由になれ、解放されたのでしょうけれど。
いまごろ、陽人が要と出会って、楽しく話しているといいな。
あの青森の風景のかたすみに、ふたりを見ていたい気がします。
夏純さん、覚書のおかげで、
豊穣な横浜ワールドに気づくことができて、
ますますウルミラが好きになりました。
ありがとうございます。


返信する
こちらこそ。 (夏純)
2009-12-16 06:48:47
《ウルミラ》を映画館でみることができず、自宅でDVDではなかなか集中してみることができなかったのですが、先日オフケンで皆さん一緒に見直すことができ、すごく集中できて、また樹さんや皆さんの様々なコメントを読ませていただいて、色々気づくこともできました。
これはオフケン中に走り書きした個人的な感想メモが元ですので、うまくまとまっていませんし「覚書」としていただけるようなものではないのですが(^^;お使いいただき恐縮です。
また、オフケンに同席させていただき良かったです。ありがとうございました(^^)
返信する
Unknown (まろうさぎ)
2009-12-16 06:51:07
おはようございます。
斜め読みするのが勿体ないレビューで、一言一言これからまた読み直します。
私も、町子先生は、まさに「町」という字が示すように管理された分別したい人だと思いました。しかし、その奥には「神泉」の自然と一体化できる要素も持っている。
夏純さんのレビューで、「おお!」と目から鱗が落ちたのが、2つ。
1つ目は、要と町子先生の関係。町子の「はっきりさせて」という要求が苦しかったのではないか?の部分です。あの飄々とした要が、町子から「私はあなたの何??」と迫られ続けたら苦しいですよね。
(よく「男は論理・女は感情」と言いますが、あてはまりませんよね)

2つ目は、最後の幼稚園児と町子先生の遠足が「本当のお葬式」だという部分。あれは、鳥葬のような自然葬だったんですね。
幼稚園児が半分神の存在で、それを見ているのが印象的でした。

素晴らしい考察を本当にありがとうございます。またこれを思いながらウルミラを見ます。

樹さん、一人占めしないで、掲載して下さってありがとうございます!
こうやって、いろんな立場・見方からのレビューが読めるのは、いいですね!!
返信する
Unknown (KS)
2009-12-16 09:33:12
樹さん、おはようございます。

夏純さん、素晴らしい覚書を有難うございます。

凄いです。感動して涙が出てしまいました。
自分では漠然と映画を見ていただけで
こんな風に纏めて頂いてやっと深く深く物語を
理解出来た様な気がします。

ああ、ホントにありがとう(涙)
返信する
Unknown (ウルミラファン)
2009-12-16 13:18:56
はじめまして。
レビューを読んで泣いてしまいました。
陽人の真っ直ぐな想いが届いたんだと、やっと確信が持てた気がします。
改めて横浜監督は鬼才なのだと感じました。
掲載頂きありがとうございます。
返信する
ああ!納得! (キーコ)
2009-12-16 19:50:15
映画館で1回、DVDで3回見ましたが、やっぱり最後の町子先生の微笑みの意味がわかりませんでした。
夏純さんのおかげで わかりました。ありがとうございました。それにしてもケンイチくんはいいね!!!大好き。
返信する
涙が・・・ (micc)
2009-12-17 00:45:00
昨夜、夏純さんの記事を読んでいて
途中から涙が止まらなくて・・・
こんなのでコメント入れても感情に流され過ぎてダメだわ、
と泣きながら床に就きました。

今日仕事が終わって再度読みました。
やはり泣けてきて・・・(苦笑)

素直な真っ直ぐな作品への印象って
なんて清々しいのだろう、と思いました。

だから文章に感動するんですね。

横浜監督が「青森」という土地で撮りたかった理由まで理解できた気がします。

土着的な強さを持つ人間の生命力・精神力
そんな面が映像から立ち昇るはず!
横浜監督がもしかしたらそう考えて選んだ故郷・青森だったのだわ!(決め付けてます・笑)

夏純さん、美しく純粋な覚書に浸らせていただきました。

樹さん、記事を本当にありがとうございます。
また気持ちのいい涙を流せました。

だからL図書へ日参しちゃうのですよね~。
返信する
コメントありがとうございます (夏純)
2009-12-17 18:38:31
皆さんそれぞれに想い入れのある《ウルミラ》という作品に、今頃になって個人的な感想というのかメモ書きというか…、を寄せるのは、正直とても怖くてどきどきしました
ところが身に余るようなコメントをいただき、驚き固まってしまい、レスがこんなに遅くなりましたm(_ _)m

横浜監督は斬新な表現をなさるので、それこそこの作品では陽人に目を奪われてしまいますが、実はものすごく緻密に世界観を構築される、すごい才能ある監督だと思います。
次回作も楽しみで仕方ありません。

暖かいコメントをいただき幸せでした(^^)
ありがとうございます。
返信する
Unknown (れいちぇる)
2009-12-17 19:51:42
夏純さん、納得の考察でした。プロのライターさんが書いたような内容でした!

森の中でのできごとは、陽人のお葬式。
私もそんな風に思っていました。
でも言葉ではとても上手くあらわすことはできませんでした。
だから見終わった後、切なさ半分スッキリ半分だったんだなと思いました。

人はみんな幸福の中にあっても、心のどこかにぽっかり穴があいてますよね・・・
そんな穴に沁み込んでくる映画でした。
あーこないだ見たのに、また見たくなりました♪
ありがとうございました♪♪

返信する
遅れましたが・・・ (chiyo)
2009-12-18 23:29:23
夏純さん、ありがとうございます!!

素晴らしく納得できる考察で、感動いたしました。
町子先生の最後の表情・・・そうか、そうだったんだ~~って
うなずきまくりながら読ませていただきました。
夏純さんの覚書を頭に入れて、またじっくりと
観たいな~~と思います。
本当にありがとうございました!!
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