イチロー:伊良部氏の剛速球と
勝負への執念を語る
マリナーズのイチロー外野手(37)が29日(日本時間30日)のレイズ戦後、42歳の若さで自殺したかつてのライバル、伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)氏への特別な思いを語った。ロッテや大リーグのヤンキースなどで活躍した同氏は、イチローが19歳だった93年、オリックス時代の初対戦から大きな存在だった。マリナーズ移籍後も伊良部氏の剛速球は屈強な大リーグ投手の基準としてきたイチローにとって、突然の悲報は大きなショックだった。
試合後の着替えを済ませた後、イチローが口を開くことはほぼない。だが、この日は違った。4打席凡退で2試合ぶりの無安打。大敗したにもかかわらず、着替えを済ませると椅子に深く腰掛けた。そしてとめどなくあふれ出てくる伊良部氏への思いを口にした。
「ただただ、残念ですね。その振る舞いが独特な方でしたが、それと内面が比例していない印象でした。まったく裏腹な内面の細やかさを持っていた」
イチローにとって、伊良部氏は自らの成長を確認できる大きな存在だった。プロ2年目、まだ19歳だった93年。ロッテのエースの剛速球に驚いた。年を重ねてその驚きは「こんなにすごい投手と勝負できる」の喜びに変わった。97年に伊良部氏がヤンキース入りした時は「少し脱力感があった」と語っている。そして自らも海を渡り、02年にはメジャーでも対戦。そのたびに自らの成長を確認してきた。
大リーグでスーパースターとなり、揺るぎない地位を確立した今でも伊良部氏は、イチローにとって大リーグの投手を推し量る基準となっている。「こちらで球の速い投手はたくさんいますけど、比較する時に必ず頭に浮かぶのが伊良部さんの真っすぐ。伊良部さんの一番速い球というのが、大リーグで10年以上やっても物差しになる。それはずっと変わっていない」と明かした。
イチローの頭から決して離れない伊良部氏の言葉がある。「(日本の)球宴で話した時に“バッターを殺したいくらい憎い”と。“頭に当てようが何しようが俺は抑えたい”と聞いた時に、ちょっと恐ろしい人だなと思いました」。野球にかけるこれほどの思いを聞いたことはなかった。「あの言葉は一生忘れない。命を懸けるのは打者側の俺たちだと思った」。プロとしての執念を叩き込まれた。
最後に会ったのは09年WBC決勝・韓国戦。伊良部氏はネット裏で観戦していた。言葉は交わさなかったが、イチローはその試合で決勝打を含む4安打した。対戦成績は日米通算で45打数13安打、打率2割8分9厘。日米通算3639安打を積み重ねるイチローの中で、伊良部氏の存在は数字以上に大きなものだった。 (スポニチ)
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イチロー選手が語っているというので、
興味深く読ませてもらった記事です。
イチロー選手にとっては伊良部投手は
立ちはだかる大きな壁であり、
ヒーローでもあったのでしょうね。
ほかの記事ではほとんどが問題児のように取り扱い、
メジャーリーグへの移籍をめぐって乱暴なやりかたで
移籍をしたとか、日本球界への復帰(コーチや監督として)は
ありえないとか、いろいろ書かれていました。
まるで先日のTAIJIさんみたいでした。
でも、どんなに素晴らしい投手であったのか、
そのことはきちんと墓碑に刻みたい、という気持ちです。
イチローさんの思いは弔文代わりになるのではないでしょうか。
プレイヤーにたいする敬意を表して、
イチローさんがさらになお、素晴らしいと思いました。
あらためて、伊良部さんのご冥福をお祈りいたします。
孤独に勝てる人間などいない、改めて痛感します。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
著名人が亡くなるというのは、
生命力を失わせるというか、
辛くなるけれど、
自死というのは、さらにきついですね。
自由の極限なんだろうと思うのですが、
傷ついた人は永久に救われないような気がします。
孤独を恐れずにありたいです。
強がりでも。