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私の分岐点《石坂 啓》

2010-05-06 | 気になる表現者

5月1日発売のビッグイシューから興味ある巻頭記事のご紹介です。

私の分岐点《石坂 啓》

手塚治虫先生の作品が大好きで、
「いつか先生のもとで働きたい!それが無理ならせめて
愛人になりたい!(笑)」と思っていた私が、アシスタントとして
手塚プロに就職できたことー
やっぱりこれが人生で一番大きな転機だったでしょうね。
(中略)
憧れの手塚先生のもとで約1年働いた後、私は漫画家としてデビューしました。
その後も雑誌連載の仕事が順調に入ってきて、仕事はどんどん忙しくなっていきました。
そんな私にとって第二の転機となったのは、こどもが生まれたことだったと思います。
漫画って、漫画家一人じゃできなくて、アシスタントとの共同作業によって完成する
ものなんですよ。
出産前は2つの週刊誌に連載をもっていたから徹夜も当たり前。完全に仕事中心、
締め切り中心のメチャクチャな生活だったんです。ところが、こどもが生まれて、
とてもそんな生活を続けられなくなった。

こどもって何一つ、こっちの思い通りにできないんです。お腹がすけばいつでも泣くし、
寝てほしい時に寝てくれない。「仕事があるから早く寝ようね」ってあやすと、
何を察知するのか、全然寝ないものなんですよね。こどもってどうしてこんなに効率
悪くて面倒くさいのか・・・・・。

生活サイクルがすべてこども中心になっちゃったから、仕事も減らすしかありません。
「これまでバリバリやってきたのに、どうして私だけ?」って閉塞感を感じることも
あったけど、でもあるとき、世の中が逆から見えたんです。

これまで私は大人中心の世界で、効率ばかりを追求して生きてきた。
何事も面倒は避け、効率を上げることはいいことだと信じて疑わなかったけれど、
果たしてそれは本当か? 失ったものがいっぱいあるのではないかと考えるように
なったんです。
そして、世の中は《健常な大人中心》に出来ていたのだという事も思い知らされました。
《こちら側》から《あちら側》が見られるようになったことは大きな収穫だったと
思います。

私は《こどもを産めば変わる》とか《こどもを産まなきゃ一人前じゃない》とは
まったく思わないし、そういうことを言いたいんじゃない。
赤ん坊やこどもじゃなく、ネコの子でも同じだと思う。
忙しいのにまとわりついてきたり、ミルクをくれっていつまでも泣くとか・・・・・。
自分じゃどうにもコントロールできない効率の悪いものと向き合うことで、世の中の
見方がガラッと変わることってあると思うんですよ。

そんな私の世界観や死生観は、こどもの頃に読んだ手塚治虫先生の作品から
強い影響を受けています。そして今でも《もし先生が生きていたらどうするだろう?》
というのが、私の行動の指針になっています。
戦争反対のアクションをしたり、社会問題をテーマにした作品を描くのはそのためかなあ。

最近、特に9.11以降、手塚先生が地団太踏んで嘆くだろうというような出来事が
世界中で起こっています。
無力感でいっぱいになるけれど、自分にできることをやるしかない、
そう思っているんですよ。
                   (the big issue japan 142号)


>自分じゃどうにもコントロールできない効率の悪いものと向き合うことで、
>世の中の見方がガラッと変わることってあると思うんですよ。

そうなんだ、そうですね、石坂さん!
と言いたくなる記事でした。

子育てに関して言えば、
全然寝てくれない赤ちゃんにへとへとになりながら、
赤ちゃんって大人を追い詰められるよなあ、なんて
思ったものです。
本当に自分に都合のいいようには決してさせてもらえない・・・

これって、教育も同じだと思いましたね。
勉強がよくできて、お利口な子というのは、
大人がコントロールできる効率の良いもの、なんですよね。
でも、本当はこどもって、
何度言ってもわかってくれないし、
やっちゃいけないことだけしたがるし、
大人のコントロールなんか効かない、
それどころか、お互いに傷つけあったりする、
とんでもなく効率の悪いもの・・。

大人は成果を早くあげたがるから、
コントロールというより、
押し付けたほうが早いと判断して、
ときに《ゆとり教育》を導入し、
それの本当の意味での効果などが出る前に、
ゆとりはよくない、と、
構築しつつあるシステムを、まるで積み木みたいに
思いっきり破壊して、さらにいびつなカリキュラムを
実験させようとする・・
効率とそれがもたらす果実のことばかり考えて、
ふりまわされた当事者たちが、
自分たちのことを《ゆとり世代》と自嘲しても、
それに抗弁するすべをもたない、
なぜなら、効率の悪いものをこそ、教育
とは、いまだに見方を変えてはいないから。

教育にかぎらず、
効率のよさを追求して、
リストラや過密スケジュールなど断行したあげく、
社会的なひずみがあちこちで出ているのじゃないかと思います。
それは、石坂さんの言う、(繰り返しますが)

>自分じゃどうにもコントロールできない効率の悪いものと向き合うことで、
>世の中の見方がガラッと変わることってあると思うんですよ。

これができない社会だということなのではと。
ならば、自分が意識しないとあと思いました、
石坂さんと同じように。

実際にそういう効率の悪いものと向き合う日常がなくても、
自分のこころのなかにそういう視点は確保したいですよね!!!


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5 コメント

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まろうさぎさんへ ()
2010-05-07 10:12:22
ふと思ったんですけど、
効率のいいものが本当に求められる世界であるなら、
愛情とか、憎悪とかを
映画とか小説とかので《例》をあげて論じるまでもなく、
脳科学的に説明したらそれで終わり、なんだなあと。
《例》はちがっても、起こるプロセスとか脳内の回路とかは
きっと同じなんだから。
でも、映画や小説を求めるのは、こころで納得したいからですよね。
私たちのこころがもともと納得するまでに効率が悪いんだから、
それを認めて、あらゆることに向かえば、そのものをあるがままに、
ゆったりと受容できるのになあと思います。

教育はその最たるものですよね。
私たちが中学で習ったものを高校で習っていたりして愕然としますけど、
ゆとり教育でそういうズレを生じさせたものを、
あたふたと改める前に、もっと論議を尽くしてほしいですね。
アプローチの仕方が悪いんですかね?
返信する
れいちぇるさんへ ()
2010-05-07 09:55:23
こんにちは、れいちぇるさん。

もちろん、子育てしてるからとか、してないからとかじゃなく、
でも、
赤ちゃんって、こっちの都合を考えてくれないですからね。
生後2ヶ月のももを連れて夫の実家にお泊りしたときは、
泣きそうでした。

世の中はこういうものでもできているんだ、
というのは、子育てに限らずあるでしょうね。
思いつかないだけで、
遭遇していないだけで。

>嫌になったらポイと投げ出す風潮がありますけど、
>頑張って向き合って生きていきたいもんですね。

そうなんですよ。多くの場合、しぶしぶなんです(笑)
かつて、艱難辛苦よやって来い!という言葉を聞いて感動したんですが、
なかなか、達観できないです。←とほほ。



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Unknown (まろうさぎ)
2010-05-06 20:05:54
言い忘れました。教育って、一番「効率」から遠いものなのに、「分かりやすい=覚えやすい」ことが最近、重視され過ぎてます。目に見える形での費用対効果は恐ろしく低いですが、大事なこと。
効率を考えるのは資本主義の基本ですが、心の中まで資本主義にはなりたくありません。
返信する
Unknown (まろうさぎ)
2010-05-06 19:54:14
子育てをしてない私は、基本的に理屈の世界で生きてますし、自分のことをまず第一に考えられてしまう。楽だけど、人生を損してるよな~と思います。いい、悪いではなく、お酒やタバコやスポーツやギャンブル(笑)と同様に、他の人が経験して楽しんでるものを(自分で選択しているので、後悔はしませんが)全く分からないというのが残念。


ただ、今の日本では子どもを産むことが、精神面ではなくて、社会的側面で分岐点になってしまうのは、良くないと思います。出産や子育て期間がキャリアや賃金で格差になるのは、何とかしないといけないですよ。
子育てをしてない者は税金を余分に払ってもいいさえと思ってます。
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Unknown (れいちぇる)
2010-05-06 09:54:59
樹さんおはようございま~す♪
GWが終わって解放されました(笑)

こどもができて実感したのは、それまでの人生がいかに自分中心であったかということですね。
自分自身ではわがままな性格じゃない、協調性もまあまあある、
社会の為に働いてるし、迷惑だってそんなにかけてないよー
と思いながら生きてましたけど、全然。
自分の為だけに時間とお金を使っていたよーとしみじみ感じました。

だけどこどもがいるからいないから、関係ないかもしれません。
生きていく中で、自分じゃどうにも出来ない事にぶち当たることは何度もありますもんね。
簡単に乗り越えられる場合もあるし、目からウロコな衝撃を受ける場合もありますしね。

嫌になったらポイと投げ出す風潮がありますけど、頑張って向き合って生きていきたいもんですね。
ま、でも理不尽なことも多すぎなんですけど・・・・
(ってなんか暗いしまとまってなくてすみません汗)
返信する

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