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ラムズ・スタディ

聖書の神様のこと、みんなで学び、同じ目標を確認できたらホントすばらしい。

福音を聞かずに死んだ人

2006-10-09 22:58:38 | メッセージ

「福音を聞かないで死んでいった人は、天国へ行くことができるだろうか。それとも行けないのだろうか」という疑問は、いつの時代でも、多くの人々から聞かれる疑問ではないかと思います。

こうした問いの背後には、「日本に福音が宣べ伝えられる前に死んだ人はどうなるのだろうか」と思い問われている場合もあれば、死んでしまった自分の肉親のことを思い深刻に問われている場合もあります。
しかし、いずれの場合もこういった問いには、ある共通の思いがあります。それは、「福音を聞いて、それを拒んだ人が、救われないのはわかる。けれども、福音を聞くことができなかった場合は、受け入れるか、拒むか、わからないのだから、救われないと速断するわけにはいかないのではないか」という考え方です。
いったい聖書には、こういった思いについて、どのように説明しているのでしょうか。いくつかの聖句をご紹介させていただきます。

「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」(ローマ6:23)
聖書は、人が天国へ行くことができないのは、福音を聞いたかどうか、あるいは、福音を聞いて受け入れたかどうかではなく、もともと自らが生まれながらにして持っている「罪のため」であり、逆に、天国に行けるのは、人の行いによるものではなく、「神様の賜物」であると言っています。 
ですから、福音を聞いて、それを積極的に拒むという行為をした場合であっても、そのことが、天国へ行けないことを決定するものではありません。わたしたちが、天国へ行けないのは生まれながらの罪人だからであり、わたしたちが天国へ行けるのは、神様の恵みの救いに入れていただいたからです。
「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」(Ⅱコリント1:9)
死んだ自分の愛する者が、今どこにいるのかということは、遺された者なら、誰でも思う大きな関心事だろうと思います。しかし、わたしたちが、思い煩ったからといってどうなるわけでもありません。自分ではなく、神様におゆだねしたいと思います。

「それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』」(マルコ16:15)
いつの時代にも、罪人はおります。わたしたちは、死んだ人に福音を宣べ伝えることはできませんが、今生きている人になら、伝えることができます。そして、その働きにイエス様は、わたしたちを招いておられます。

天国へ行くことができないのは、その人自身の罪のためです。他の誰のせいでもありません。しかし、その人が救われるためには、確かに福音を信じなければなりませんし、そのためには、福音が宣べ伝えられなければなりません。わたしたちキリスト者は、福音を語る責任も与えられています(エゼキエル3:17~18)。

「神様、罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18:13)
聖書は、一般的な真理を述べたり、他の人のことについて批判したりするためのものではなく、読む者に、決断を迫ってくる書物です。神様の言葉が示されているからです。
ですから、「死んだ人はどうなるのか」と他の人のことが気になるのだとしたら、それは、ほんとうに神様の御前に立っていない場合があります。聖書を小説か、人間の本として読んでいるのかもしれません。
イエス様は、祈るために神殿に上ったパリサイ人と、徴税人のことについて語られたとき、自分を徴税人(他者)と比較して感謝するパリサイ人ではなく、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈った徴税人が義とされ、神様の御前に立つ者であったことを語っています(ルカ18:9~14)。

大阪 平賀和弘
(No.519 06,10,7.大阪センター教会牧師室便りより)


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