この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

バレンタインはビターな思い出

2010-02-11 06:27:22 | つれづれ記
バレンタインデーの習慣は何日ごろから始まったのだろう。わたしが生まれて初めてバレンタインのチョコを貰ったのは、学生時代のことである。アパートの近くによく買い物をするサントク(三徳)というスーパーがあった。オイルショックのトイレットペーパー騒ぎがあった前後だったと思うから、今から40年前のことになるだろう。

ある日いつものように買い物をしていたら、レジをしていた小太りの女の子が「あのう、これ、『何とかさん』とふたりからです。もらってください。もし、嫌だったらどこか川にでも投げ捨てていいですから」と言って包みを渡してきた。吃驚して「えっ!?いいえ、戴きますありがとうございます」と咄嗟に答えたと思うが、恥ずかしいやらで大慌てで帰った。

後でこれが「バレンタインデー」のチョコだと分かったが、初めての体験だった。
その年にもうひとつバレンタインのプレゼントがあった。
付き合い始めたカミさんから、毛糸で編んだボトル包みをプレゼントしてくれた。中にはウォッカのボトルが入っていた。酒好きのわたしにチョコレートではなくお酒がいいに違いないと考えてくれたのだが、それはまた別の話。

彼女が言った「何とかさん」というのはちょっと目立つ可愛い娘だった。あまり人をじろじろ見ないわたしが覚えているくらいだから、綺麗な娘だったに違いない。
それからあまり日がたたないある日、買い物をするわたしは「何とかさん」のレジに並んだ。会計を終わって思い出したように「あっ、チョコレート有難うございました」と言うと、「え!?」と首を傾げて、事情が分からない様子だった。わたしは真っ赤になって帰ったが、おそらく「何とかさん」はまったく知らなかったのだろう。

あの小太りの娘はわたしにチョコレートを渡すために「何とかさん」をダシに使ったのである。
自分のようなブス子ちゃんがチョコレートを渡してもきっと受け取ってくれない、「何とかさん」の名前を並べれば受け取ってくれるに違いないと計算したのだろう。
ところが、わたしはわたしで「何とかさん」にお礼を言ったことが大間違いで、それがわたしの心底が見透かされてしまったような気がして恥ずかしく、どちらの娘とも顔を合わせるのが辛くなって、そのスーパーに二度と行かなくなった。
ほろ苦いビターな思い出である。

その後、職場での義理チョコなどバレンタインのチョコのばら撒きが流行となった。そんなにチョコをもらっても食べられるわけはないし、嬉しくもなんともなかった。むしろお返しのホワイトデーが負担になった。
いつしか形骸化してまったが、テレビをはじめマスコミでバレンタインデーと騒ぐから女の子たちも止めるに止められないのではないか。買い物に走る女子社員たちがあわれでならなかった。また、ホワイトデーのお返しも実質的に食べているカミさんの役目になっていた。代理戦争である。

好きでもない女の子からチョコレートを貰ったぐらいでその子を好きになるだろうか。そんなことはまずありえない。女の子から告白できる唯一のチャンスですというお菓子業界の陰謀にのせられた乙女たちのふたつに割れたハートが、毎年無残にそこここに落ちて散らばっているのだ。
今年のバレンタインデーはちょうど日曜日にあたっている。義理チョコを買わなくてホッとしている女子社員がきっと多いことだろう。これを機会にバレンタインデーを見直してみたらどうだろうか。

好きな男性に告白するというのは構わないが、チョコが好きな男はそれほど多くない。彼の好きなものを探すか、何か時間をかけた贈り物を工夫したほうがずっといい。
でも、相手は迷惑するかもしれないけどね。
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