この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

角界にもの申す2

2010-02-07 09:35:03 | 意見がありますけど
ナベちゃんからコメントもらったので、補足になるかわからないが、今一度大相撲のことについて書くことにした。

朝青龍の傍若無人な態度に腹が立った人は相当いると思う。伝統の横綱として失格しているのは誰の目にも明らか。こんな男に角界は頼らないといけないかと思うと情けないというのが正直なところかもしれない。日本人の美学に反するのだ。
ただ、ナベちゃんのコメントにもあったように、昨今の大相撲は新弟子不足に悩まされている。生活に何不足ない現代っ子はお尻を出すのが恥ずかしくて相撲取りになりたいというものがいない。かつてのハワイやトンガにも希望者がいなくなってきたのだろう。勢いモンゴルやブルガリアやエストニアに人探しに行くことになる。
だから、朝青龍のようなやつはK-1へ行けとは言えないのだ。

大相撲が純粋に日本人だけで維持できなくなったのだとしたら、日本伝統の奥ゆかしい作法や心情というのは変わって行かなければならないのではないだろうか。
感情を表に出さず、手離しで喜ぶはしたない真似はしないというのは、日本の風土に培われた独特の文化で、それを乾燥地帯の遊牧民に形だけでも真似をしろというのは酷な話ではないだろうか。
彼らは嬉しければ高らかに喜びを表す。忍従の美徳ということは知らないし、左手で賞金を取って何が悪いのか、足で取ったわけじゃないと首をかしげるだろう。

横綱の風格に相応しいように振舞えと口が酸っぱくなるほど言っても、空気を読めるのは日本人だけである。異文化を体現するには細かく明文化された手引書が彼らには必要だろう。大相撲が国際的な人材を集めて隆盛していくためには、「鬼っこ」の朝青龍が生まれたところに意味があった。必然性があったと思ったのだ。彼を許容し、生かしていかなくては国際的大相撲に脱皮できないと思ったのである。

大相撲をこよなく愛してこられた方にはわたしの意見など汚らわしく聞こえるかもしれないが、従来どおりの日本の伝統を一片たりとも変えまいぞと、あのマッチョぶった東京都知事が言うようにしたら、大相撲は5年と持たないのではないかと思う。

あ、いえ、わたしの言う通りにしたら絶対栄えるかと言うと、まったくそれも保証の限りではありません。
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