今日、初日議会が終了です。
一般質問は4人でしたが、ほぼ一般質問で終了です。
議場の傍聴席はほぼ満杯で、ちょっと緊張しました。
めったにないことです。
老人クラブの皆さんだったようです。
ありがとうございます。
介護事業関係の質問をさせていただきました。
介護保険事業には、正直、政府に対して非常に腹が立っています。
介護保険財政の維持が第一優先で運営しています。
高齢者の介護が目的となっていません。
2月17日は、久慈広域連合議会でしたが、
介護保険事業は複雑で理解するのにかなり難儀します。
それでも、政府は保険料は上げる、介護事業所の報酬は下げる、
これでまともな介護をさせようとする政府が、果たしてまともなのか?
理解が浅いながらも、黙っていられない衝動に駆られて質問しました。
そのあとは、質問をまとめるのに苦悩の地獄でしたが。
介護保険事業は、各市町村での事業もあります。
今日の地元議会での質問は、村の介護保険事業の質問を試みた次第です。
この質問も、悶絶しながら今日の質問に至りました。
村を責めたいわけではない。
国家の責任を問いたい。
一番言いたいことは、介護保険料に限らず、財源の話で国民を脅し、
増税の糸口を作り、国民負担を増やすことです。
高齢者にお金がかかるから、若者の負担が増えるかのような誘導。
そして若者と高齢者の分断を図り、高齢者を悪者とする。
国民への負担の仕組みが間違っているから問題なのであって、
高齢者がとか、医療費がとか、介護報酬がとか、
そういう問題ではない。
やり方がまずいからで、そんなことを言っていたら、
財源を必要とする人間の営みはことごとく、まずは財源のめどがなければできない。
そうなれば、どうでしょう?
最初にぶつかる壁は、めどをつけなければ国家予算は組めないという壁です。
予算が組めなければ、人間死ぬしかないのか?ということになる。
個人の家計の問題ではないのです。
国家の人間を生かすための予算が、殺すための予算になったら国家だけが残り、
人間ががいなくなります。
まさに「介護制度あって、介護なし」です。
国民が、憲法で言う「健康で文化的な生活水準を維持することができる」状態の
最低限の生活すらできないことになります。
それは国家と言えなくなる。
税金の集金は5月6月ごろかな?
税金収入がはっきりする前に予算は組まれます。
この矛盾は何でしょうか?
税金収入に関係なく、予算は組めるし実行もできる。
鼻から税金を当てにした予算構成ではないことの証明です。
税収を見ても、昨年110兆円の決算に税収は70兆円。
差額40兆円は? やっぱり借金だろうー。と言います。
そうだとして、元から税収では無理で、国債発行で賄うことができることが分かっている。
わかっていながら、国民の負担を増やす方向にしか舵を切らない。
それも、苦しい思いを分かっていながらです。
税金は「財源でない」ことは明らかなのですが、
「みんなの税金で」成り立っているかのように教育している。
そして、「財源はどうする?」と増税を正当化する。
これって、世にいう詐欺です。
103万の壁も、高校無償化も、ガソリンのトリガー条項も、
やらないのはすべて自民党の茶番です。
やってしまえば、税金は財源ではなかったと、バレますから。
そういうことで、腹が立ち、村民に選んでもらって少しでも文句を言える立場にあり、
その立場を利用しないわけにはいかない。
そんな、いてもたってもいられない気持ちが、能力もわきまえず
久慈広域議会と今日の地元議会で質問させていただきました。
財務省前で「財務省解体デモ」が盛り上がっています。
せめて、地方の片隅の議会でも、力不足ながら声を上げてもいいだろうと思う。
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