kyoujyuの気まぐれ

ゲーム関連や日々の気になった出来事等を気まぐれで書いていきます。軍事知識は一般人に毛が生えた程度なのであしからず・・・

東日本大震災 自衛隊 史上最大の災害派遣

2011-05-01 03:53:38 | 軍事関連
※使用している画像は朝雲新聞、自衛隊、米軍の公式ページで公開されているものですので、目線を入れる等の処理は特に施しておりません。
※自衛隊、米軍はここに書かれている以外でも様々な活動を行いました。あくまでも自分の独断と偏見で簡単にまとめて書いてみただけです。
ご了承の上ご覧ください。


<発生からの迅速な初動>
2011年3月11日14時46分頃、マグニチュード9.0の巨大地震と余震、太平洋沿岸地域を500kmにわたって
大津波が襲った。
自衛隊は担当地域で震度5以上の地震が発生した際には、直ちに航空機を発進させ情報収集を行う事が
定められている。最初に飛び立ったのは14時57分、海上自衛隊第73航空隊大湊分遣隊のUH-60J、
15時過ぎには映像伝送装置付きのUH-1Jが陸上自衛隊霞目駐屯地から離陸、航空自衛隊小松基地や
百里基地からはF-15J戦闘機、海上自衛隊八戸航空基地のP-3C哨戒機等が次々と発進、16時過ぎまでに
25機が情報収集を行った。また、災害派遣要請に備え各行政機関に連絡員を派遣した。
11日15時30分に「大規模震災」に指定され、17時までに5県から「災害派遣要請」が出され、
18時には「大規模災害派遣」として防衛大臣から行動命令が発令された。
11日夜には東北方面隊を中心とした部隊による救助活動が開始され、各地の部隊では派遣部隊の編成が行われ、
移動を開始した。
海上自衛隊は14時52分、自衛艦隊司令官より出動可能な全艦艇に対し出港命令を発令、14日朝までに被災地沖合に50隻以上
の艦艇が展開した。

陸自UH-1J(左)  海自UH-60J(右)

<甚大な被害を被った松島基地・多賀城駐屯地>
海岸線から1キロメートルも離れていない立地にある航空自衛隊松島基地は津波の被害をもろに受け、
基地機能を失い外部との連絡も遮断された。悪天候により空中退避もできず、駐機していたF-2B戦闘機18機、
T-4練習機4機、松島救難隊のU-125A救難捜索機2機、UH-60J救難ヘリコプター4機が水没、休暇中の隊員1名が死亡した。
松島基地に所属する空自の展示飛行チーム「ブルーインパルス」は式典での展示飛行のため芦屋基地へ展開中の為無事だった。
陸上自衛隊多賀城駐屯地の部隊は災害派遣に備えて準備をしていたが、津波に襲われ全車両が水没、使用不能に陥った。
松島基地の第21飛行隊はF-2戦闘機パイロットの教育訓練を行う部隊で、2人乗りで操縦できる複座のF-2B
が大量に被災してしまった為、今後のパイロット養成に多大な影響が出ると思われる。
被災した11日夜に百里救難隊のヘリが状況確認の為飛来、翌日には通信機材等が運び込まれ、復旧作業が開始された。
各地からの応援部隊や米軍の協力により、15日には滑走路の使用が開始され、18日以降は物資輸送の一大拠点として
の機能を果たした。

津波に襲われた松島基地(左) 多賀城駐屯地(右)

<原子力災害派遣>
福島原発への対処では、3月11日19時20分、「原子力緊急事態宣言」が出され、即座に自衛隊に対し
「原子力災害派遣」命令が発令され、陸上自衛隊中央特殊武器防護隊(大宮)、第12化学防護小隊(相馬)が活動を開始した。
3月14日には3号機が水素爆発を起こし、中央特殊武器防護隊の隊員4人、作業員7人が巻き込まれて負傷した。(幸いな事に軽症で済んだ模様)
3月17日、第1ヘリコプター団(木更津)CH-47J2機が原子炉冷却の為、上空からの散水を実施した。
結果的にCH-47Jヘリによる散水はさしたる効果は得られなかったがこれは本来、山火事等の消火用の装備で
ピンポイントで水を落とす為のものでは無い。
また、自衛隊の化学科部隊でも、本来は核爆発によるフォールアウトやダーティーボム等の検知、除染が主任務なので原子力発電所
の復旧作業は機材・人員的にも対処は難しいと思われる。
原発周辺の瓦礫を除去する為として第1戦車大隊、第1後方支援連隊(御殿場)の74式戦車2両と78式戦車回収車1両が派遣された
が、戦車の走行で配線や配管を切断する恐れがあるとして、待機状態になっている。
航空自衛隊は偵察航空隊(百里)RF-4Eによる写真偵察、T-4練習機に集塵ポッドを装備し、集塵飛行を行った。現在も継続中。
海上自衛隊は3月31日、4月2日、横須賀港務隊が米軍提供の真水を供給するバージ船の曳航、横付けを行った。
陸上自衛隊は引き続き中央即応集団隷下の部隊を主力として約500名体制で復旧作業支援、第1ヘリ団のヘリ搭載のサーモグラフィー
による原発施設の温度観測、避難地域に残っている住民の訪問や避難支援を行っている。
日本は被爆国である上に、国内に多数の原発があるにもかかわらず、このような事態に対する備えを十分にしてこなかった
政府・電力会社の責任は重大だと思う。
想定外の任務に従事することとなった自衛隊員、消防官、警察官や復旧作業に従事している作業員の方々に敬意を表するとともに、
一刻も早く事態が終息する事を心から願います。
 
原発への注水支援(左)  74式戦車を使った瓦礫除去訓練の様子(右)

 
原子炉冷却の為上空からの散水に向かうCH-47Jヘリ(左) 防護服を身に着けたパイロット(右)

 
バージ船の曳航にあたる曳船を操作する隊員(左) 第1原発に向かう曳船(右)

 
ヘリへの除染作業(左) 隊員のスクリーニング(右)

<派遣規模の拡大と統合任務部隊の編成、即応予備自衛官・予備自衛官の招集>
3月14日、災害派遣では初となる陸海空自衛隊の統合任務部隊JTFが設置され、東北方面総監が指揮を執る事となった。
また、大規模な部隊派遣を行う米軍との連絡調整部門も設けられた。
総理大臣の指示により派遣規模は拡大、即応予備自衛官、予備自衛官の招集も行われ、最大時には約10万6000人が展開した。
被災地域が広大な上、全国から師団・旅団規模の部隊が展開してきている為、JTFは被災地域をいくつかに分けて
師団・旅団に割り振り、それぞれが担当地域で捜索・救助活動、生活支援、物資輸送を行わせる体制を採った。
陸自は主として被災地域での捜索・救助をはじめ、航空機での情報収集、人員・物資輸送、給食・給水支援活動を実施。
海自は三陸、仙台沖に艦船約50隻が展開して洋上での捜索・救助活動を行ったほか、搭載ヘリなどで被災者への物資を被災地に運んだ。
空自は輸送機で全国の基地から救援物資や人員、器材を各空港などへ空輸した。
3月22日までに約1万9000人を救助し、物資輸送の統制等、任務も多岐に渡った。
問題となったのは遺体の取り扱いで、宮城県東松島市の例では約600体の埋葬が必要となったが民間、自治体では対応しきれず、
支援要請に応じ自衛隊が安置所から埋葬地への搬送支援を行った。
また、地震以外でも4月4日兵庫県、高知県で山火事が発生、兵庫県知事、高知県知事から相次いで災害派遣要請が出され、
陸自第3飛行隊(八尾)、第14飛行隊(北徳島)等が対応した。どちらも6日に鎮火、撤収した。ソマリア沖海賊対処等の海外派遣も継続されている。
派遣規模が自衛隊全勢力の4割に達し、部隊の交代もままならない事から、今後派遣規模は随時縮小されていくものと思われる。

 
救助活動を行う自衛隊員

 
福島県沖約15キロの海上を屋根に乗って漂流する被災者をイージス護衛艦「ちょうかい」が発見、救助した

 
海上艦艇からの輸送に力を発揮したエアークッション艇LCAC

 
第6施設大隊(山形)が津波で橋を流された運河に自走架柱橋を構築(左) 81式自走架柱橋(右)

  
医療支援を行う衛生科隊員

 
海中捜索を行う海自潜水員(左) 護衛艦「ひゅうが」甲板上で米軍ヘリに物資を積み込む(右)

 
支援活動中に立ち寄った避難所で偶然親族との再会を果たした海自隊員(左) 
活動を終え帰還する米強襲揚陸艦「エセックス」を見送る護衛艦「ひゅうが」(右)


 
慰問演奏を行う自衛隊員(左) 自衛隊員へ感謝の横断幕を掲げる被災者(右)

 
第14旅団(香川)の隊員へ手渡された少女からの手紙。14旅団の隊員はこの手紙のコピーを手帳に入れて励みにしているという。(左)
今回初めての招集となった即応予備自衛官(右)


<オペレーション・トモダチ 米軍による支援>
同盟国アメリカの対応は諸外国で最も早かった。震災発生時、シンガポール沖にあった揚陸指揮艦「ブルーリッジ」
の米海軍第7艦隊司令部は即座に西太平洋で活動中の艦艇に災害派遣を指示、マレーシアに入港していたエセックス揚陸即応群、
日本海で演習中だったロナルド・レーガン空母打撃群、横須賀基地に停泊中の全艦艇が被災地沖へ向かった。
3月13日、作戦名を「トモダチ作戦」と命名。太平洋軍司令部(ハワイ)が上級司令部となり、在日米軍が中心的役割を担う体制
となった。在日米軍司令部は自衛隊の統合任務部隊JTF内に設置された調整所から情報を受け、各地の部隊へ司令を出す仕組みを
構築した。エセックス揚陸即応群(エセックス、ハーパーズフェリー、ジャーマンタウン)は東シナ海で補給艦「マシュー・ペリー」と合流、
物資を受け取った後、酒田沖へ展開し揚陸艇で物資を陸揚げした。
トーテュガは苫小牧港で陸自車両を積み込み大湊へ輸送、その後はエセックス揚陸即応群と合流して活動した。
皮肉にも日本においては「他国へ侵略する力」として敵視されてきた海上からの揚陸能力が、陸上交通が各所で寸断された
今回の震災では遺憾なく発揮される結果となった。
空母ロナルド・レーガンは搭載ヘリによる物資輸送、自衛隊ヘリへの燃料補給、搭載機による写真撮影、分析を行った。
随伴艦も自衛隊機への補給、艦載ヘリでの洋上捜索、物資輸送を行った。
被災地に近い山形空港は米軍機の燃料補給拠点として機能した。東北空域を安全に飛行するため、厚木基地、ロナルド・レーガン
艦載のE-2C早期警戒機が米軍機の空域コントロールを担当した。
松島基地の管制復旧のため、第320特殊作戦部隊のコンバット・コントローラー(CCT)を派遣した。
また、空港機能を失い復旧のめどもたっていなかった仙台空港へコンバット・コントローラー、空挺隊員、車両を
パラシュート降下させ自衛隊員と共に復旧活動を開始、特殊作戦飛行隊のMC-130Hコンバット・タロンを着陸させ
重機の搬入を成功させた。3月17日には救援機が使用可能となった。

※CCT 米空軍特殊部隊 各種航空機の誘導、攻撃指示等を行う部隊。戦闘開始前に潜入して行う場合もあるので、高い戦闘能力を有する。

アフガニスタン 不整地でC-130輸送機を誘導するCCT隊員

原発への主な対応では、無人偵察機グローバルホークでの撮影、メリーランド州から
海兵隊のNBC兵器対処部隊CBIRF(シーバーフ)を派遣、横田基地へ展開させ万一に備えた。


 
洋上で補給艦マシュー・ペリーから補給を受ける駆逐艦カウペンス、マッキャンベル(左) 陸自車両を輸送する揚陸艦トーテュガ(右)

 
ロナルド・レーガンから発進するE-2Cホークアイ(左) 仙台空港に最初に着陸したMC-130Hコンバット・タロン(右)

 
避難所へ物資を運び込むヘリ乗員(左) 物資を運んだヘリ乗員との記念写真(右)

 
瓦礫の除去を行う海兵隊員(左) 撤収する海兵隊員とハイタッチする子供達(右)

 
被災地沖に展開した強襲揚陸艦「エセックス」後ろを航行するのは護衛艦「ひゅうが」(左)
空母「ロナルド・レーガン」乗員とエールを送りあう護衛艦「ひゅうが」乗員(右)




<参考>
・朝雲新聞震災関連記事
http://www.asagumo-news.com/news.html(朝雲新聞ニュースページ)

・統合幕僚監部ホームページ 東日本大震災特設ページ
http://www.mod.go.jp/jso/Activity/east_japan/east_japan.htm

・防衛省ホームページ 東日本大震災への対応
http://www.mod.go.jp/j/approach/defense/saigai/tohokuoki/index.html

・陸上自衛隊 中央即応集団ホームページ
http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/









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