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一般教養まるわかりガイド

世の中で起きている森羅万象を斬ります。お笑い、芸能スキャンダルから政治経済の時事情報まで幅広く書いていきます。

教養ガイド 339

2011年09月30日 15時54分08秒 | スポーツ
9月30日 聯合ニュース

サッカーのアジアチャンピオンズリーグで、「日本の大地震をお祝います」という横断幕が掲げられた問題で、横断幕を制作・掲示したサポーターがKリーグ・全北現代を訪れ、謝罪した。全北現代が30日、明らかにした。関係者によると、30歳の会社員が29日午後に全北現代を訪れ、「心ない行為で多くのファンにあまりにも大きな失望感を与えました。日本国民と韓国のサッカーファンに心からおわび申し上げます」と謝罪した。

また、日本遠征で負けたことが悔しくて横断幕を掲げたとし、他意はなかったと釈明した。横断幕は、韓国・全州で27日に行われたチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦の全北現代とセレッソ大阪の試合で掲げられ、29日には全北現代が公式サイトに謝罪文を掲載した。横断幕を制作した会社員は今後10年間、全州ワールドカップ杯競技場への入場が禁止される。全北現代は「今後こうしたことが発生しないよう、競技場に入場するファンを対象に手荷物検査を強化する」としている。

負けたことが悔しいから大地震を祝う??全く何を考えているのか?どんな頭をしているのか?本当に理解に苦しみますね。ここまで品のないことが平気で出来るという神経が信じられません。最初の第一報を聞いた時、開いた口が塞がりませんでしたからね。人の不幸をネタにしてバカにするなんてことが許されるはずがありません。ベルギーでも同じようなことがありましたが、発生から謝罪まで早かったですからね…。こういうことはいくら謝罪してもイメージが好転することはないでしょうね。

教養ガイド 323

2011年09月06日 10時53分59秒 | スポーツ
9月6日 読売新聞

2004年の全国高校総合体育大会の男子バスケットボールで優勝しながら、年齢を若く偽ったセネガル人留学生を出場させたとして、全国高校体育連盟に成績を取り消された福岡第一高校(福岡市)が5日、東京都内で記者会見した。都築仁子(きみこ)校長やバスケットボール部の井手口孝監督らが出席し、「年齢詐称はなかった」と処分の不当を訴えた。全国高体連が処分の根拠としたのは、08年10月のセネガル政府の調査。留学生は来日直前に虚偽の生年月日を申告して出生証明書を作成したとの内容で、これに基づき、大会当時は22歳で参加資格がなかったと判断した。これに対し、学校側は昨年9月にセネガル政府に再調査を要請。

その結果、大会当時17歳となる生年月日が正しいとする回答が得られたと主張した。これを全国高体連にも通知したといい、都築校長は「処分は事実を無視しており、公平、透明性に疑問がある」と憤った。また、井手口監督は「決して留学生一人の力で優勝したわけでない。頑張った日本人の生徒たちに、とにかく悪いなと思う」と心境を語った。同席した石川達紘弁護士は「全国高体連は間違った事を、間違っていると知りながら発表しており、名誉毀損(きそん)に当たる」と話し、状況に応じて法的手段に訴える姿勢を見せた。

そもそも年齢詐称なの?といような外国人を起用して優勝しても…ですね。勝利至上主義だとこういうことになるんでしょうね。詐欺まがいの行為をして名誉棄損で逆に訴えるとは穏やかじゃないですね。バスケの競合能代工業や福島工業は公立ですし、洛南高校も日本人ばかりですからね。個人的に福岡代表は福岡大大濠が好きです。地元では結構評判悪いですからね…。数年前の問題がなぜ今になって出てきたのかはわかりませんが。誰かが密告したんでしょうかね?いずれにしても年齢が違うと分かっていながら起用して優勝したのだとすれば、優勝取り消しは当然として、しばらく出場停止でも良いんじゃないでしょうかね?この助っ人外国人の年齢を明らかにしてから名誉棄損と言っていただきたいものです。

教養ガイド 315

2011年08月23日 15時36分58秒 | スポーツ
8月23日 河北新報

第93回全国高校野球選手権大会で準優勝した光星学院は22日、八戸市の同校で記者会見を開き、野球部の部員3人が昨年12月に飲酒していたと発表した。3人はいずれもベンチ入りし、試合にも出場した。「部員が飲酒したことをブログに書き込んでいる」と同日、外部から学校に通報があり発覚したという。同校は3人を停学処分にするとともに、日本高野連に報告し、判断を仰ぐ。記者会見した法官新一校長らによると、3人は昨年末の冬休み、それぞれの帰省先で別々に飲酒した。外部からの通報を受け校内で調査した結果、ブログに書き込んだ部員ら3人の飲酒が判明。

3人とも事実を認め、謝罪しているという。部員の1人のブログには、居酒屋に行き、ビールや酎ハイを飲んだことが書き込んであった。野球部は同日午前、甲子園から戻った。不祥事発覚を受け、23、24の両日に予定していた青森県庁、八戸市役所への表敬訪問を取りやめた。八戸市は市役所に予定していた準優勝をたたえる看板設置の中止を発表した。法官校長は「甲子園出場に当たり、物心両面にわたって支援下さった方々に、大変なご迷惑を掛けたことを心からおわびする。当該部員には十分反省させ、準優勝メンバーにふさわしい人間に育てたい」と話した。日本高野連は、同校から報告書が提出された後、審議委員会で対応を決める。

ブログやツイッターは今や立派なバカ発見器として機能していますね。というよりも…タイミング良すぎませんか?準Vになった後に発表なんて。三重県代表は大会前に正直に不祥事を発表しましたよ。それでなくても、各方面から代に大阪代表と叩かれていたんですから。そしてこのタイミングでの不祥事発表。準Vの栄光はどこへやらで学校のイメージが落ちまくっている気がするんですよね。学校自体が胡散臭く見られてしまいますよ…。こういうブログやツイッターを介しての自爆はこれからもどんどん出てくるでしょうね。ビールや酎ハイがあるのであれば…十中八九喫煙もあるでしょうね。近いうちに出てきそうな気がしてなりません。一番の被害者は真面目に部活を頑張ってきた部員の皆さんでしょうね。

教養ガイド 307

2011年08月09日 16時31分22秒 | スポーツ
8月9日 河北新報

兵庫県西宮市の甲子園球場で8日行われた第93回全国高校野球選手権大会1回戦で、宮城代表の古川工は4―9で唐津商(佐賀)に敗れた。勝利は逃したが、中盤以降に4点を返す粘りを見せた選手たち。スタンドから温かい拍手が送られた。一塁側応援席には野球部員と保護者、在校生ら約1000人が陣取った。宮城大会準決勝で破った東北、被災地・気仙沼市の東陵など、ライバル校から託された千羽鶴も選手を見守った。野球部員で、応援リーダーの目々沢勇人君(2年)は「宮城大会で負けたチームの分も、全力でプレーしてもらいたい。自分も力いっぱい後押しする」と力を込めた。試合は二回を終え9点を追う展開に。攻めても一~三回にかけて6者連続三振。

劣勢のチームを奮い立たせようと、白と青のパネルによる「古工」の人文字がスタンドに浮かび上がった。「ここからだ」「気持ちを切り替えろ」。えんじ色のメガホンで懸命の声援が続いた。これに応えるように四回に反撃が始まった。山田大貴投手(3年)の中前打で2点を奪うと、五回に今野晴貴主将(3年)の中犠飛で1点、七回にも今野主将の内野ゴロの間に1点をもぎ取って意地を見せた。試合後、応援席前に整列して深々と頭を下げた選手たち。谷口翔大選手の母由美さん(43)は「東北人の粘りを見せてもらった。宮城で応援している方々にも伝わったはず」と話した。第93回全国高校野球選手権大会3日目の8日、初出場した宮城代表の古川工を応援しようと、大崎市古川のパレットおおさきでパブリックビューイング(PV)があり、市民ら約150人が声援を送った。

全国高校総体出場のため甲子園に行けなかった陸上部員63人や、地元の少年野球チームらが大画面を通して応援した。序盤、唐津商に0―9でリードされるとため息が漏れたが、四回に2点を返すと歓声が沸き上がった。陸上部の3年吉田穂乃香さん(17)は「チャンスはある。逆転してほしい」と懸命に応援を続けた。試合は4―9で敗れたが、市民はナインの健闘をたたえた。大崎市の小学6年渡辺龍太君(11)は「最後まで頑張ってくれた」と喜んだ。古川工の卒業生で美里町の自営業鎌田孝志さん(42)も「笑顔のプレーに被災地も励まされたのでは」と話した。

試合には負けましたが、最後の最後まであきらめない、東北の想い、被災者の想い、県内の負けていった高校の想いを背負って戦った姿勢が、4点を呼びこんだような気がします。唐津商業の投手はプロ注目の選手ですし、試合を見ているとミスも少なく、いけると思えば一気にたたみかけるような野球をしていましたので、もしかすると一方的な試合になるのでは?と思っていましたが古工も意地を見せてくれました。私が仕事の都合上、ハイライトと熱湯甲子園でしか皆さんの雄姿を見れませんが、心が折れることなく、途中で諦めることなく、最後の最後まで全力プレーを貫いたあの姿は間違いなく、被災者に勇気を与えたことでしょう。夏は終わりましたが、また春に、リベンジを果たしに戻ってきてほしいと思います。本当にお疲れ様でした。

教養ガイド 305

2011年08月05日 16時51分23秒 | スポーツ
8月5日 スポーツ報知

急性心筋梗塞(こうそく)で意識不明の重体に陥っていたサッカー元日本代表DFの松田直樹さんが4日午後1時6分、長野県松本市の信州大病院で死去した。34歳だった。JFL松本山雅所属の松田さんは2日、松本市内での練習中に倒れて心肺停止状態となり、人工心肺で血流を維持していた。2002年日韓W杯で初の16強入りに貢献。国際Aマッチ40試合出場の名手が、短すぎる人生を終えた。葬儀の日程は未定だが故郷の群馬県で予定され、母・正恵さんが喪主を務める。天国でのキックオフを待つ戦士の休息のようだった。すすり泣きが響く霊安室。病魔との約51時間に及ぶ苦闘を家族に見守られながら終えた松田さんは、優しい笑みを浮かべていた。「手術の時は闘っている顔。サッカーをまじめに貫いた息子が最後に良い笑顔を見せてくれた」。母・正恵さんは涙をこらえた。松本山雅のユニホームに身を包み、足にスパイク、額にはトレードマークの「3」のロゴ入りヘアバンド。足元には寄せ書きされた松本山雅と母校・前橋育英高のユニホームが置かれた。

胸の上で結んだ両手は冷たかったが、鍛えられた太ももは固く引き締まり、今にも走り出しそうだった。遺体は夕方、生まれ故郷の群馬県へ向かった。「極めてまれなケース」と信州大病院の岡元和文医師が語った悲劇。松田さんは1月25日にメディカルチェックを受け、2月8日には運動負荷テストも行い、いずれも異常は見られなかった。しかし今月2日、15分間のランニング後に倒れ、50分後の病院到着時には心肺停止状態。あまりに大量の血栓が引き起こした急性心筋梗塞だった。人工心肺をつけ、集中治療室で一進一退の闘いに挑んだが、4日午後1時6分に最期を迎えた。病院には横浜M中村俊輔、横浜C三浦知良らが駆けつけた。過密日程にもかかわらず3日間で30人以上の選手が長野県まで長駆した理由は、松田さんの野性味あふれるカリスマ性にあった。99年のシドニー五輪予選で当時のトルシエ監督と衝突し、遠征先から無断帰国。「あの時だけは電話で『母ちゃん、ごめん』と言われた」と正恵さんは振り返る。

だが、「松田はボランチで欲しい」と当時アーセナルのベンゲル監督に言わしめた能力と欧州的な反骨精神をトルシエ監督もちょう愛し、02年日韓W杯で主力に据えた。04、05年にJリーグを連覇した横浜Mでも「マツさんは本当に豪快すぎる」と俊輔が語る求心力を発揮。元日本代表FW久保竜彦、同MF奥大介氏ら個性派軍団をまとめ上げ、「あの時は松田マリノスだった」と主力が語る存在感を放った。DFながら、強烈な攻撃参加も魅力だった。「オレ、マジでサッカー好きなんですよ」16年間活躍した横浜Mから戦力外通告を受け、昨年12月4日の最終節、大宮戦後に行った号泣しながらのあいさつは、サポーターの心を打った。その言葉に偽りはない。松本市内の自室の壁には自ら記した「努力」の大きな文字がある。「ストレッチは絶対やる」という奮起させる言葉もあった。2度の五輪、W杯というひのき舞台を踏んだ大スターが、JFLという舞台に降りても向上心は不変。「まだやれる」3月6日の名古屋との練習試合で闘莉王が口にしたように、実力は色あせてはいなかった。希代のセンターバックが、惜しまれながら太く短い人生を駆け抜けた。

いまだに信じられません。奇跡を信じていたんですけどね…。実際は心筋梗塞になって意識不明になってから、3分以上を経過したら、生存率が一気に下がるということも知っていました。しかし、願わずにはいられませんでした。日韓戦でも活躍し、多少やんちゃな部分もありましたが、しっかり結果を残すというプレーをもう一度見てみたかったです。やんちゃな性格であるが故、誤解されることも多かったと思いますが、マリノスを戦力外通告された時、サッカーが大好きだというい言葉、サッカーを続けたいという言葉から松田選手のサッカーへのいちずな思いが伝わってきました。あの挨拶はリアルタイムで見ていましたからね…その選手がまさかいきなりこの世を去ることになるなんて思ってもいませんでした。松本山雅という新しい場所で、J昇格を目指し奮闘していたのに…松本山雅の選手はぜひとも奮起し、昇格していただきたい。あまりに若すぎる…本当に今でも信じられません。松田直樹選手のご冥福をお祈りいたします。

教養ガイド 304

2011年08月04日 10時46分51秒 | スポーツ
8月4日 ISM

松本山雅(JFL)の加藤善之監督は3日、2日の練習中に急性心筋梗塞で倒れた元日本代表DF松田直樹(34)の容態について記者会見を開き、危険な状態に変わりがないことを明らかにした。また、かつてのチームメイトなどから同選手の無事を祈る声が寄せられている。ロイター通信が報じた。2日の練習中に体調不良を訴えて倒れ、意識不明の状態で病院に緊急搬送された松田は、現在は人工心肺装置をつけて治療中。主治医によれば、病名は急性心筋梗塞で「非常に危険な状態」だという。一夜明けた3日に会見を行なった加藤監督は、「今朝も変わった様子はない」と容態に変化がない状況を説明し、

「松田はチームにとって非常に影響力の強い選手。私もファンも、そして日本中が彼の回復を願っている」と松田への思いを語った。また、日本代表や横浜FMでチームメイトだった中村俊輔は、松田の入院する病院に駆け付け、ICU(集中治療室)の前で約20分間、ガラス越しに同選手の容態を見つめ続けた。面会を終えた中村は「彼が回復することを信じている」と今後の無事を祈った。横浜FMで長くセンターバックとしてコンビを組み、2003、04年にはJリーグ連覇の喜びをともに分かち合った中澤佑二は、「信じられない」と沈痛な面持ち。「早く意識を取り戻して、また彼の声を聞けたら」とかつての僚友に思いを寄せていた。

このニュースの第一報が飛び込んできた時、熱中症だという報道でしたので、プロのアスリートも熱中症になるんだと驚きましたが、程なくして、急性心筋梗塞で今も意識不明というニュースが流れてさらに驚きました。アスリートは普通の人よりも心肺機能は高いでしょうし、何よりこまめにメディカルチェックを受けているはずですので心筋梗塞の前兆があればすぐに分かったと思っていたのですが…今日朝テレビを見ていたら、全く前兆がない人もいるらしく、さらに若くても発症する人がいるようです。松田選手はこの極めてレアなケースの発症ということなんでしょうか…。松田選手の居場所はICUではなくグラウンドです!長時間意識が戻らないのは心配ですが…早く目を覚ましていただきたいと思います。

教養ガイド 301

2011年07月29日 16時18分05秒 | スポーツ
7月29日 毎日新聞

米大リーグと日本のプロ野球で通算106勝を挙げた右腕、伊良部秀輝さんが亡くなったことを受け、かつて所属したヤンキースは28日、「深い悲しみに包まれている。ピンストライプのユニホームを着た選手は永遠にヤンキース・ファミリーの一員」との談話を発表した。名門球団が素早く手厚い反応を示したことが、いかに米球界で伊良部さんが強烈な印象を残したかを象徴する。大リーグの公式サイトをはじめ、各メディアも一斉に42歳の早すぎる死を詳報。ドジャースなどで活躍した野茂英雄さんとともに日本選手が大リーグ入りするさきがけとなったことを伝えた。伊良部さんは97年にヤンキース入りした。当初、所属していたロッテが提携していたパドレスに独占交渉権を譲渡したものの、伊良部さんがヤンキースを希望して入団を拒否。

最終的にパドレスとのトレードでヤンキース入りを実現させたが、浪人も辞さなかった強引な手法は日米を巻き込む騒ぎとなり、ポスティング(入札)制度が生まれるきっかけともなった。AP通信は97年7月にメジャー初登板で初勝利を挙げた伊良部さんを「印象的なデビューだった」と評価しながらも「日本のノーラン・ライアンと高かった期待ほどは活躍できなかった」と記した。また、ヤンキースのスタインブレナー・オーナー(当時)が伊良部さんの緩慢なプレーに「太ったヒキガエル」と酷評したことも各メディアが触れた。伊良部さんの野球への愛着は強く、最近でも草野球をする姿も見られたという。しかし、AP通信は伊良部さんが家族と離れて暮らしており、近所の住民の話として「元気がなさそうだった」との声も伝えている。

いまだに信じられないんですけど…個人的に破天荒な方でしたので、絶対に自殺するような人には見えませんでしたが、わからないところで人知れず悩んでいたということなんでしょうか?少し前にテレビに出ていたのを見たばかりですので、本当に驚きました。それにしても…なぜ与えられた命を全うすることなく、自分の意思で命を絶ってしまうのでしょうか?生きようと懸命に病気と闘っている人に申し訳ないと思わないのでしょうか?どんな理由があったとしても、死んでしまってはどうしようもありません。なぜ困難に立ち向かわなかったのか…アスリートであれば、どんな困難にでも逃げずに立ち向かう忍耐力や、今までの困難を乗り越えてきたという実績があるはずです。まだ42歳でこの世を去らなければいけなかった理由は何なのでしょうか…気になります。

教養ガイド 295

2011年07月20日 16時24分19秒 | スポーツ
7月20日 産経新聞

自身の簡易ブログ・ツイッターで「なでしこジャパン」の優勝への祝意を書き込んだ蓮舫首相補佐官に対し、「スポーツ振興金をゴッソリ(事業)仕分けして、『ジャパンおめでとう』とは死んでも言ってほしくありません」などと厳しい意見が殺到し、収拾がつかなくなっている。蓮舫氏は18日早朝、「なでしこJapan、優勝!!すごいです」とチームをたたえる書き込みをした。すると、「えっ?蓮舫さん1番は駄目なんでしょ?どうして喜ぶの」「選手はスーパーでレジ打ちしながら頑張っていた。スポーツ振興費を仕分けした枝野(幸男官房長官)や蓮舫はボーナスをなでしこジャパンに寄贈したら」などの批判が相次いだ。蓮舫氏は「仕分けの女王」と呼ばれ、スーパーコンピューター開発に関しては「世界一じゃないといけないのか。2位じゃ駄目なのか」とせまっただけに反発も強いようだ。

やっぱりこうなりましたね。まぁ…事業仕分けの時に。散々偉そうに言っていたことなんて忘れているんでしょう。政治家というのは実に都合のいい職業で、自分が叩かれたことはいつまでもネチネチと粘着するくせに、自分が吐いた暴言はすっかり忘れるんですから。散々出しゃばって2いじゃダメなんですか?とドヤ顔で聞いていた様子があれだけ何度もテレビで報道されていたら、一番になって喜んでいる蓮舫さんがツイッターで袋叩きに遭う理由も何となくわかります。スパコンやなでしこの芽を摘もうとしていましたが、頭角を現したために寝返ったんでしょうか?いずれにしても事業仕分けの時に言っていた数々の上から目線発言が災いしてフルボッコ状態ですね。

恨むんならあんなバカなことを言った自分を恨んでいただきたいと思います。それにしてもここまで叩かれる民主党もなかなかのもんですね。まぁ、その発端は糞ルーピーが日本をひっかきまわし、世界の笑い物になった後で逃げて管さんに何もかも押しつけたことが原因かもしれませんが…。この政党が出しゃばっている以上、日本が浮上することはなさそうですね。とりあえず蓮舫さんは偉そうなことを言うだけで先見の明は何もないということがわかりましたので、政界からも消えていただいてもかまわないんですけどね。これからは彼女の一挙手一投足に批判が集中しそうです。次の選挙では間違いなく国民に仕分けされる側になりそうですね。厚顔無恥という言葉が似合うお人です。

教養ガイド 294

2011年07月19日 15時59分27秒 | スポーツ
7月19日 読売新聞

「なでしこ」が見事な花を咲かせた。日本のサッカー史上、ひときわ輝く快挙である。サッカー女子ワールドカップ(W杯)決勝で、日本は米国をPK戦の末に破り、初優勝を果たした。「小さな娘たちが本当に粘り強くやってくれた」。佐々木則夫監督は、選手をそうたたえた。早朝のテレビ中継を見て歓喜した人たちも、同じ思いだろう。試合後、選手たちは世界中から寄せられた東日本大震災への支援に感謝する横断幕を掲げ、場内を一周した。被災地からは「私たちも頑張らなくては、という気持ちになった」という声が上がった。日本全体を元気付ける「なでしこジャパン」の奮闘だった。それにしても、彼女たちの強い精神力には驚かされる。準々決勝では、これまで一度も勝ったことのなかった開催国ドイツを、ホームの大声援をはね返して撃破した。

決勝では、やはり過去未勝利だった世界ランキング1位の米国に2度、リードされながらも追いついた。PK戦を前に見せた選手たちの笑顔からは、たくましさが感じられた。体格で勝る相手でも、最後まであきらめずに勝利をもぎ取った。フェアプレー賞も受賞した。1991年に始まった女子W杯は、五輪と並ぶ女子サッカー最高峰の舞台だ。4年に1度開催され、日本はこれまで6大会すべてに出場してきた。95年大会でベスト8に入ったが、それ以外は決勝トーナメントに進めなかった。日本の女子サッカーが強くなった原動力は、世界の壁にはじき返された悔しさだったろう。近年、女子でも海外のチームに移籍する選手が増えた。

レベルの高いプレーの中でもまれ、力をつけた選手が日本代表に加わることで、海外組と国内組が競い合う。それが「なでしこ」のチーム力の底上げにつながったといえる。サッカーに打ち込む小学生や中学生の女子選手が増えている。沢穂希選手らの活躍を見て、「いつかは自分も」と誓った「未来のなでしこ」もいるだろう。W杯制覇は、日本女子サッカーの一層のすそ野拡大につながるに違いない。選手たちは休む間もなく、9月には来年のロンドン五輪のアジア最終予選に臨む。追われる立場になった「なでしこ」だが、ぜひとも勝ち上がり、五輪でも金メダルを手にしてもらいたい。

今日はやはりどの記事もこれでしょう。これに決まってます。やってくれました!ミラクルにも程がある現象が起きました。日本が歓喜に沸きました。なでしこの雄姿をリアルタイムで見たかったのですが、試合時間は私が寝ている時間ですので寝てしまいましたが…朝のニュースでまさかアメリカに勝利して、優勝をもぎ取ってくるとは思わなかったですね。これには心底感動しました。離されて、追いついての繰り返しで非常に緊張感のある試合だったそうですね。私は何度となくハイライトを見ましたが、あの興奮をリアルタイムで見ていたかったと後悔しましたね。世界ランキング一位、これまで一度も勝ったことのない相手…そんなことを聞くとまさか勝つなんて思いませんでしたからね。世界の壁を経験し、その果てしなく高い壁を越えてやろうと、一丸となって取り組んだ結果だと思いますね。本当におめでとうございます。

教養ガイド 292

2011年07月14日 16時45分07秒 | スポーツ
7月14日 産経新聞

試合終了のホイッスルが鳴ると、五輪、W杯を通じて初の決勝進出という快挙を成し遂げた選手たちはピッチ上で歓喜に沸いた。10センチも平均身長が高いスウェーデンに開始10分にミスから失点したが、「その後に目が覚めて自分たちのサッカーができた」と佐々木監督が評したように、細かいパス回しと豊富な運動量で相手を翻弄し、得点差に値する快勝ではなかったか。主将の沢は自らのミスで先制点を奪われただけに「点を取れるという雰囲気はあった」と中盤で試合を組み立てていった。そして、失点から9分後。大野がドリブルで持ち込み、パスを受けた宮間の左クロスを遠いサイドで受けた川澄が相手と競りながら体で押し込んで同点とした。

「押されて転んでしまい、得点は分からなかったが、仲間が駆け寄ってきてくれたので、入ったと分かった」と、見事に初先発した監督の起用に応えた。ここからは完全に日本のペース。ボール支配率は60%と中盤を支配し、前線の高い位置からのプレスでスウェーデンに決定機をつくらせなかった。それがシュート数に表れ、日本の14本に対し、スウェーデンはたったの4本に終わった。苦しい試合展開にファウル数も日本の2に対しスウェーデンは9を数えた。世界ランキングは日本が4位、スウェーデンは5位と一つ違いだが、チームの熟成度の差が出たか。

日本代表に選ばれ18年の沢を中心に、ドイツでプレーする安藤ら海外組、熊谷らユース世代からの昇格組がバランスよく結集し、一つのチームを形成していった。さらに準決勝、3位決定戦で敗れ、4位に泣いた北京五輪を契機に、あと1勝の壁を乗り越える意識の共有が選手間に浸透していたのも大きい。優勝という栄誉まであと一歩。沢は「決勝で米国とやるのが夢だった。絶対に金メダルを持って日本に帰りたい」と話せば、安藤も「ここまできたら優勝カップを掲げたい。(決勝の相手、米国は)強豪だが、最高の舞台で倒したい」と意気込む。決勝は日本時間の18日午前3時45分に始まる。

深夜でしたので見ることはできませんでしたが…ミラクル!というか日頃の努力のたまものですね。3-1での勝利は素晴らしい。スウェーデンは日本よりも格上であり。さらに予選ではアメリカを撃破していましたので、一方的な展開になりそうだけど、泥臭く粘ればきっとチャンスが生まれるはず、と勝手に思っていました。ですが、日本がゲームを支配し、勝利したというのはもうもはやまぐれなんかではありません。完全な実力です。決勝yではいよいよ、アメリカが待ち構えているわけです。おそらくですが…アメリカは日本に負けるなんて微塵も思っていないでしょうね。油断していそうな気もしますのでそこに付け込んで勝利をもぎ取ってほしいと思います。ここまで来たんだから優勝を狙って全力でプレーしてほしいですね。