「鶴ケ城下炎上の絵」発見 若松・御三階から貴重な史料
(6月26日 福島民友新聞)
明治初期に会津若松市の鶴ケ城本丸から同市の阿弥陀寺に移築された建築物「御三階(おさんがい)」から、鶴ケ城下が炎上している絵や会津藩主松平容保とみられる肖像画などが発見されたことが25日、分かった。作者など詳細は分かっていないが、貴重な史料として関係者らの間で話題になりそうだ。
阿弥陀寺の住職を兼務する見性寺(同市)の高橋正信住職(75)が御三階を整理していたところ、階段の下にあったのを見つけた。城下の絵には作者も年代も記されていないが、肖像画の裏には1900(明治33)年、戊辰戦争の戦死者の三十三回忌に際し、地域の名士とみられる人たちが献納した記載がある。城下の絵は街が燃え、攻撃から人が逃げまどっているように見える。市教委文化課は燃えさかる城下の様子から、「開城の少し前ぐらいを描いたのではないか」と推測している。
こういう古いものって、なんでかひかれます。
うん、完全に趣味でこの記事を選んだわけですが、
これが本当に歴史的価値を持つものだと、なおうれしいですね。
まあ、たとえ歴史的価値はなくとも、今は過ぎた時代の人たちと
同じものを眺めているのって、すごく感慨深いものだと思うんで、
大切に研究してほしいものです。
(6月26日 福島民友新聞)
明治初期に会津若松市の鶴ケ城本丸から同市の阿弥陀寺に移築された建築物「御三階(おさんがい)」から、鶴ケ城下が炎上している絵や会津藩主松平容保とみられる肖像画などが発見されたことが25日、分かった。作者など詳細は分かっていないが、貴重な史料として関係者らの間で話題になりそうだ。
阿弥陀寺の住職を兼務する見性寺(同市)の高橋正信住職(75)が御三階を整理していたところ、階段の下にあったのを見つけた。城下の絵には作者も年代も記されていないが、肖像画の裏には1900(明治33)年、戊辰戦争の戦死者の三十三回忌に際し、地域の名士とみられる人たちが献納した記載がある。城下の絵は街が燃え、攻撃から人が逃げまどっているように見える。市教委文化課は燃えさかる城下の様子から、「開城の少し前ぐらいを描いたのではないか」と推測している。
こういう古いものって、なんでかひかれます。
うん、完全に趣味でこの記事を選んだわけですが、
これが本当に歴史的価値を持つものだと、なおうれしいですね。
まあ、たとえ歴史的価値はなくとも、今は過ぎた時代の人たちと
同じものを眺めているのって、すごく感慨深いものだと思うんで、
大切に研究してほしいものです。