兵庫県精神障害者連絡会・代表のブログ

1995年に設立された兵庫県精神障害者連絡会の設立時メンバーであり,20年間代表を務めているメンバーのブログです

低ナトリウム血症顛末記―あるいは統合失調症者の命

2024-09-05 | 日記

 8月29日深夜、というよりは30日金曜日の朝3時頃だったらしいが、夜中トイレに起きようとして筋肉が溶解してしまったように力が入らず立ち上がれなくなっていた。普段からきつめの睡眠剤を飲んでいるので夜のトイレはふらつくのだがそれとはまったく違う。何度力を入れようとしても筋肉Gは反応しない。記憶がはっきりしないのだが這ってトイレに行こうとしたようで、トイレの前に倒れているところを連れ合いに発見された。救急を呼ぼうかと言われてなぜか断ったらしい。これは記憶がはっきりしない。一連の過程で記憶がほとんどないのだ。私をベッドに戻した後で連れ合いが救急に電話したが、詳しい事情を聴かれたのであろうから私が統合失調症であることも伝えられたであろう。その末に「寝ているところを運んだら強制入院になるから運べない」と断られたそうだ。救急搬送で「強制入院」とは何たる言い分であろうか。朝になって睡眠剤が切れたこともあったのか立てるようになり、タクシーで近所の医者に行った。血液検査と問診をした後、結果がわかるのは夕方になるという。夕方になって医者に電話すると「意外と重症です。結果は明日聞きに来なさい」と言われた。重症ならなぜ入院を勧めないのかと不審に思った。翌日行くとナトリウム値とクロールの値が低い、その他に体のどこかに激しい炎症を起こしている「通常考えられる数値ではない」「紹介状を書くから月曜に入院できる病院に行きなさい」とここでもそれほどの症状でも即入院ではないらしい。月曜になるまでに友人の医者に聞くと「その値は要入院です」という。その方は現役を引退している。

 低ナトリウム血症は塩分摂取の不足が原因だから月曜日までにせっせと塩を飲んでいった。月曜日にかかりつけの内科のある入院可能な病院に行ったがその時点では低ナトリウム血症は治っていた。炎症は膀胱炎だと分かった。結局、塩分の点滴をしただけで帰された。この時までには激しい下痢、5分か10分おきにトイレに駆け込まないと行けないような下痢だったのだが原因は分からないと検査もされずに整腸薬を出されただけだった。

 私が低ナトリウム血症になったのは今年1月28日以来のことで人生2回目だ。一回目は救急車を呼んだのだが救急車の中で搬送先を探すのに30分以上、次々に搬送を断られていた。救急隊員が断られるたびに無線で「はい、統合失調症の方で」と言っているのが聞こえていた。

 友人の医師は「市内に入院可能な精神病院がないという事情が影響しているかも知れません。受けた患者が不安定で、転院が必要な時に苦労した経験が病院にあると、躊躇すると思います。保健所が救急を受け入れている市内の各病院にアンケートを取り、実態把握に努めるべきですね」とおっしゃっている。最初の時に何軒目か(何十軒目か)に私を受けてくれたのは精神科外来のある総合病院だった。そこも病棟案内には精神科の入院病棟があるとは記されていないが、外来患者が入院が必要になった場合は普通の病棟に入院するのだろうか。いずれにせよ、統合失調症者を入れても対応可能だという判断があったのだろう。その時の私のナトリウム値はすぐに対応しないと命に係わるくらいだったのだから、受けてくれたことで命拾いした。今回はそのときよりはナトリウム値はましだったとはいえ入院治療が必要なのにそのようには手配してくれなかった最初に行った医院にはいささかの恨みを感じている。命を落としていたらどうしてくれるのだ。

 統合失調症者の命は他の人達よりも軽く見られている。命が軽んじられている。よく差別は人の命を奪うという言い方がされるが、私の二度の低ナトリウム血症発症時の対応はまさに命が奪われることの現実性を示していると思う。命が奪われるというのは比喩でも何でもなくて統合失調症者の現実なのだ。



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