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【参考資料】YouTubeチャンネルげんの部屋;@gensroom
げんの部屋56;精神障害者の解放と労働現場での統合化・より抜粋
「民主主義は工場の前で立ち止まる」
いまの資本主義的な労働現場では「民主主義は工場の前で立ち止まる」と言われています。僕自身は1980年代から精神障害者であることをオープンにして働いていた職場で排除されていって、1991年に解雇された訳ですが、ちょうど労働組合の「全逓反マル生闘争」という職場民主化闘争が敗北していく過程と同じ時期です。第二次世界大戦敗戦直後に左派労働運動が大きな力を持っていた時期から、資本家たちがその力を奪う過程がせめぎ合いながら仕上げに入ったのが、中曽根政権による1982年以降の『国労』解体を目的とした国鉄分割民営化でした。その目的は『総評』を解体することであり、1979年10・28の全逓の屈服確認文書に始まり2007年に小泉政権の郵政民営化で完成に至る一連の『全逓』解体攻撃によって『総評』は息の根を止められ、1989年に文字通りに解散しました。戦後の闘う労働運動が持っていた最後の拠点であった『国労』や『全逓』を解体することが目的の攻撃でした。当時の中曽根総理大臣は「『総評』を解体して改正憲法を安置する」とその目的を隠しもしていませんでした。
革マルの内ゲバ主義
しかし体制内左翼も反体制左翼を含めて左翼陣営は、反撃の決戦を挑むことができませんでした。とくに、武装した右翼日和見主義党派であった革マル派が『動労』本部派に持っていた組織を延命させる目的で、『国労』解体攻撃の先兵として『国労』組合員いじめの先兵化したことで、労働運動は大混乱しました。当時の『動労』は春闘などで革マル派と同じ色のヘルメットを全員が被っているほど革マル派が影響力を持っていました。しかし、その戦闘力を中曽根政権に向けるのではなくて、同じ労働組合である『国労』に向けるという「内ゲバの論理」そのものを発動した訳です。この『動労』革マルの「内ゲバ」によって労働運動は一つの塊として団結することが全くできず、まともに決戦を挑むこともできずに完敗しました。もし「決戦」を挑んでも負けたかもしれませんが、「労働者・労働組合の権利」はもう少し守られたでしょう。少なくとも今の労働運動の悲惨な情況はもう少しましなものになっていたでしょう。
労働運動のあるヨーロッパと無い日本
いまのヨーロッパではストライキが頻発して労働者たちの闘いが大規模に存在するのに日本では「ストライキは迷惑」という観念が労働者・市民の中にも広くしみ込んでいます。これは『国労』解体を目的にした「ストライキ迷惑論」というイデオロギー攻撃の結果でしかありません。パリの街がストライキでゴミだらけになり、鉄道はしょっちゅう止まっていても、ヨーロッパの労働者・市民は当然のこととして受け入れています。一方日本では『連合』系労組がストライキを打つことはめったになくて、ユニオン系労組の闘いがあるのみです。全日本建設運輸連帯労働組合関西生コン支部に国家権力が襲い掛かり労働組合壊滅攻撃をしていても、反撃しているのは少数派労働運動です。
その結果としてヨーロッパでは賃金は上がっているのに、日本では実質賃金が下がるという悲惨な状況になっています。しかし、ユニオン系労組は反撃の拠点になりうると思っています。少数派であることは事実です。そのなかで精神障害者解放運動は一部のユニオンと結び付いています。
精神障害者が統合化された社会
私たち600万人を超える精神障害者にとっては、社会全体の「統合化」された社会への転換が必要だと思います。一般的には「包摂」(インクルーシブ)された社会という言い方をしますが、これは包み込むという意味合いです。僕はもっと強く違うものを結合させ発展させた共同体という意味合いにおいて「統合化」(インテグレイト)された社会と言っています。「包摂」も「統合化」も工場では実現されていません。知的障害者や身体障害者が「自宅就労」であったり「工場とは別棟」の系列子会社に集められて就労していたりするケースが見受けられます。これは立派な「分離」の見本です。精神障害者も「クローズド」、すなわち病気であることを隠して就労しているケースはあるでしょう。しかし、「重度」とされた精神障害者には就労の機会は極めて少ない訳です。もちろん、すべてにおいて例外はありえます。「統合化」「包摂」が工場では認められないのは、「民主主義が工場の前で立ち止まる」ことと密接に関連しています。
精神障害者が日常に感じている差別の視線
精神障害者が日常的に感じている「差別」されているという実際の感覚は重要です。強制入院制度や精神保健福祉法の問題は重要なことですが、それだけでは物事の半面であって精神障害者の差別の実態はそれだけではありません。労働現場での統合化、包摂(インクルーシブ)の問題、社会における「差別する視線による監視」の問題が解決されないと、結局は「ひとつの鎖は解いたが、新たな別の鎖でつなぐ」ことにしかなりません。実際に、普通に社会に置かれていたと言われる江戸時代が終わって精神医療が始まった明治以降、精神障害者は次々と新しい鎖でつながれてきました。しかし、重要なことは、医療の問題だけを見ていても精神障害者が差別されている情況は解決しません。多くの労働現場では精神障害者は排除され続けており、「社会構成員」である一人の人間だとは見なされていません。「常に差別する視線によって監視されている存在」が精神障害者の日常なのではないでしょうか。地域社会において「精神障害者だと見做したら差別し排除する意志を持った視線によって監視されている」ことの恐怖が、精神障害者の内面を縛る鎖となっています。強制入院のことは重要ですが、それだけを考えていても、このような精神障害者を縛っている鎖を解くことはできません。
「工場に民主主義を実現する」闘いと一体で
だから僕の精神障害者解放の考えの実現は、「工場に民主主義を実現する」闘いと不可分ですし、全日建関生支部とかユニオン系労組の労働運動と不可分だと思っています。そういう意味では今までの精神障害者運動とは少し離れていると感じられるおそれも感じます。しかし、労働現場での「統合化」「包摂」の闘いをしないで「強制入院反対」の主張だけをしていることは物事の半面に精神障害者を縛り付けて、新たな鎖でくくり付けてしまうおそれのある論理であることを述べてきました。ユーチューブチャンネル『げんの部屋』が労働者的な闘いも範疇にしている根拠もそこにあります。
精神障害者解放運動と労働運動・労働組合運動を結合すること、統合化する考えが必要なことは、僕の基本的で日常的な考え方です。
(『げんの部屋』56 を編集・再構成しました)。