今まで書いてきた私の文章、読む人によっては難しすぎると言う声を頂きましたので、できるだけ若い人に読んでもらいたいと言う気持ちから再度解り易く書くつもりです。
AEの関係を解り易く
私が今まで書いてきた文章の中で基本となっている考え方が「新AEの関係」と言う文です。これを理解し発展させれば、おのずと日ごろ何気なく使っているお金とは何かと言うことがわかるのではないかと考え再度ここへ省略したかたちで転載します。
「新AEの関係」で書かれた文章自体は簡単な例として書きましたが現実の社会ではこのようなわけにはいきません、なぜならそこには何億人と言う人々の生活が日々展開されているわけです。学校の先生があり、裁判官があり、警察官があり、消防署員があり交通機関に従事している人、人々が病気にかかったとき治療をしてくれる医師や看護師さん、また我々の食料を輸入と言うかたちで世界各国から集めてくる人、それを市場(いちば)を通して我々の身近の小売店に従事している人達から我々に供給される。そして新たなビルや工場の建設に従事している人、また食事や飲食(飲み屋さん等)を提供してくれる人達、数え上げたらきりが無いほどの職業が今の社会には溢れています。しかしその元となっている職業が新EAの関係の職業といっても過言ではないでしょう。つまり人が日々三度の食事ができるのも食糧生産に従事している人達がいて、初めて今の社会が成り立っているわけです。
つまり人間の社会が原始時代からこのような労働があったのではなく、最初期の人々は狩猟・採集という形の社会で食料を得、家族と共に人生を送っていたわけです。そして、やがて人は自然の恵みを貰うだけではなく、自然に働きかけ効率のよい方法で食べる物を増産(農耕の発生)してきたわけです。そこで当然のこと余剰生産物(食べ物が余る)が発生し、そこから食物生産に従事しないで、あまり出した食べ物を食べ、別の仕事をする人が出てきたわけです(分業の始まり)ここから少し飛ばします。
そこから、よりあまり出した生産品を他の物と交換する形態の物々交換というかたちの交易に発展したわけです。やがてそこから交換しやすいかたちの特定のものが貨幣の原型になったわけです。
「新AEの関係」を省略した文章に直し貨幣を理解するうえで必要と考え再度掲載します。
この『新A・Eの関係』という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。
今回は解り易く貨幣の例として書いていくものです。今まで書いた文章でAEの関係を読み返したとき、不親切さが解りました。AEの関係とはA~Eまでの人物が生産者であり消費者であると言う前提でした。
そこで例えばAは人が生きるのに必要な主食となる米と野菜の生産者であるとします。Bは鶏等を育て卵と鶏肉の生産者。Cは味噌等調味料の生産者。Dは船を持っていることから漁業に精通した魚類の生産者。Eはパンや麺類の生産者。であるとします。
このA~Eという関係者の中に1枚の紙幣、例えば千円をAに渡します。
AはBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉を千円で購入します。そこにはAが持っていた千円がBに渡ります。Bはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入します。最初Aが持っていた千円はBを通してCに渡ったわけです。CはDが生産し販売している魚や蟹等を購入します。そしてDはEが生産し販売しているパンや麺類を千円で購入します。そして最終段階ではEはAが生産し販売している主食となる米や野菜を購入します。
ここまで来ると最初Aが持っていた千円がまたAの手へ戻ってきたことになります。
これを何回か繰り返せばABCDEとその日に必要とする生活必需品を皆が購入でき満足することができます。ここでは最初の千円があれば五者の生活が成り立つこということです。ただしA~Eの人たちは五人が必要としている商品の生産に、自己の労働を通して商品の生産をしなくてはならないということです。そこには働ける状態があれば失業も無くデフレ・インフレも起こらないということになると言えます。
これは何を言おうとしているのかといいますと、貨幣は労働で作り出された商品と、はたまた労働で作り出された他人の商品の交換を仲介しているに過ぎないと言うことです。
このことは貨幣の機能としての交換機能に重点を当てて他の機能、保存機能を無視したにすぎません。そしてこの1枚の千円札はいつまでも擦り切れるまで、この五人の中に留まっていることになります。ここでは市中にカネが無くなり国債を発行して新たに千円を投入する必要も無いということです。
追記 まだ貨幣には違う役割があるということで追記ということで書きます。
AEの関係を読んだ人もなんだ手っ取り早く物々交換にしちゃえばいいじゃないかという人もあるかと思いますが、ご存知のように物々交換にはお互いの製品にお互いがOKを出さなくては成立は不可能です。例えばAさんは肉屋であり、そしてAさんが魚が欲しいと考えたとき、Bさんの魚屋に行き魚と自分の持っている肉とを交換してくれと頼みますがBさんはパンがほしいということでAさんの申し出を断ります。そこで貨幣(お金)を介してBさんが持っている魚を買えばいいことです。Bさんは魚を売ったお金を持ってパン屋に行きパンを買ってくる。ということです。
現段階で書きました文章は貨幣(お金)が持つ交換機能を主体として書いた文章です。お金の使い方としてはあくまでも理想にすぎません。ここから原始の時代に近い時代、交換に必要な余剰生産物が保存機能を有していたわけです。つまり保存が利くものとして、それがもう1つの貨幣の機能としての保存機能の原型になるわけです。
次回は貨幣が持つ保存機能が社会にどのような影響を持つのかを書いていきます。
AEの関係を解り易く
私が今まで書いてきた文章の中で基本となっている考え方が「新AEの関係」と言う文です。これを理解し発展させれば、おのずと日ごろ何気なく使っているお金とは何かと言うことがわかるのではないかと考え再度ここへ省略したかたちで転載します。
「新AEの関係」で書かれた文章自体は簡単な例として書きましたが現実の社会ではこのようなわけにはいきません、なぜならそこには何億人と言う人々の生活が日々展開されているわけです。学校の先生があり、裁判官があり、警察官があり、消防署員があり交通機関に従事している人、人々が病気にかかったとき治療をしてくれる医師や看護師さん、また我々の食料を輸入と言うかたちで世界各国から集めてくる人、それを市場(いちば)を通して我々の身近の小売店に従事している人達から我々に供給される。そして新たなビルや工場の建設に従事している人、また食事や飲食(飲み屋さん等)を提供してくれる人達、数え上げたらきりが無いほどの職業が今の社会には溢れています。しかしその元となっている職業が新EAの関係の職業といっても過言ではないでしょう。つまり人が日々三度の食事ができるのも食糧生産に従事している人達がいて、初めて今の社会が成り立っているわけです。
つまり人間の社会が原始時代からこのような労働があったのではなく、最初期の人々は狩猟・採集という形の社会で食料を得、家族と共に人生を送っていたわけです。そして、やがて人は自然の恵みを貰うだけではなく、自然に働きかけ効率のよい方法で食べる物を増産(農耕の発生)してきたわけです。そこで当然のこと余剰生産物(食べ物が余る)が発生し、そこから食物生産に従事しないで、あまり出した食べ物を食べ、別の仕事をする人が出てきたわけです(分業の始まり)ここから少し飛ばします。
そこから、よりあまり出した生産品を他の物と交換する形態の物々交換というかたちの交易に発展したわけです。やがてそこから交換しやすいかたちの特定のものが貨幣の原型になったわけです。
「新AEの関係」を省略した文章に直し貨幣を理解するうえで必要と考え再度掲載します。
この『新A・Eの関係』という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。
今回は解り易く貨幣の例として書いていくものです。今まで書いた文章でAEの関係を読み返したとき、不親切さが解りました。AEの関係とはA~Eまでの人物が生産者であり消費者であると言う前提でした。
そこで例えばAは人が生きるのに必要な主食となる米と野菜の生産者であるとします。Bは鶏等を育て卵と鶏肉の生産者。Cは味噌等調味料の生産者。Dは船を持っていることから漁業に精通した魚類の生産者。Eはパンや麺類の生産者。であるとします。
このA~Eという関係者の中に1枚の紙幣、例えば千円をAに渡します。
AはBが生産し販売していた商品、卵と鶏肉を千円で購入します。そこにはAが持っていた千円がBに渡ります。Bはその千円でCが生産し販売している味噌等調味料を購入します。最初Aが持っていた千円はBを通してCに渡ったわけです。CはDが生産し販売している魚や蟹等を購入します。そしてDはEが生産し販売しているパンや麺類を千円で購入します。そして最終段階ではEはAが生産し販売している主食となる米や野菜を購入します。
ここまで来ると最初Aが持っていた千円がまたAの手へ戻ってきたことになります。
これを何回か繰り返せばABCDEとその日に必要とする生活必需品を皆が購入でき満足することができます。ここでは最初の千円があれば五者の生活が成り立つこということです。ただしA~Eの人たちは五人が必要としている商品の生産に、自己の労働を通して商品の生産をしなくてはならないということです。そこには働ける状態があれば失業も無くデフレ・インフレも起こらないということになると言えます。
これは何を言おうとしているのかといいますと、貨幣は労働で作り出された商品と、はたまた労働で作り出された他人の商品の交換を仲介しているに過ぎないと言うことです。
このことは貨幣の機能としての交換機能に重点を当てて他の機能、保存機能を無視したにすぎません。そしてこの1枚の千円札はいつまでも擦り切れるまで、この五人の中に留まっていることになります。ここでは市中にカネが無くなり国債を発行して新たに千円を投入する必要も無いということです。
追記 まだ貨幣には違う役割があるということで追記ということで書きます。
AEの関係を読んだ人もなんだ手っ取り早く物々交換にしちゃえばいいじゃないかという人もあるかと思いますが、ご存知のように物々交換にはお互いの製品にお互いがOKを出さなくては成立は不可能です。例えばAさんは肉屋であり、そしてAさんが魚が欲しいと考えたとき、Bさんの魚屋に行き魚と自分の持っている肉とを交換してくれと頼みますがBさんはパンがほしいということでAさんの申し出を断ります。そこで貨幣(お金)を介してBさんが持っている魚を買えばいいことです。Bさんは魚を売ったお金を持ってパン屋に行きパンを買ってくる。ということです。
現段階で書きました文章は貨幣(お金)が持つ交換機能を主体として書いた文章です。お金の使い方としてはあくまでも理想にすぎません。ここから原始の時代に近い時代、交換に必要な余剰生産物が保存機能を有していたわけです。つまり保存が利くものとして、それがもう1つの貨幣の機能としての保存機能の原型になるわけです。
次回は貨幣が持つ保存機能が社会にどのような影響を持つのかを書いていきます。
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