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楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

持てる者に惑わされるな Ⅱ

2016-11-07 05:13:19 | Weblog
  タイトルをこのような題名にしたのは今回の日本の消費税問題で深い議論もなく延期というかたちで保留になってしまった。そこで消えてしまったことによって一番得をした者(層)は誰だったのかを考えたとき、それは国民の上部に占める一部の層でしかなく、潰れたことによって損をしたのは低所得者ではなかったのかという考えに至りました。そこから徳をした層、「持てる者に惑わされてしまった」という反省から付けた題名でした。

 人の社会が誰もが幸福になる社会にならなくてはならない、すべての人間がそのことを考えているはずです。ここで世界で一番消費税が高いにも関わらず幸福度ナンバーワンという国デンマークがあります。この国では高所得者もいますし低所得者もいます。ある意味平等ではない国ということができますが例えとして1万円の商品を買ったとき25パーセントの消費税がかかります、高所得者も2500円払いますし低所得の人も2500円払いまう。ここでは「公平性」という誰もが納得できる税金の支払いになりますが、ただこの支払に対する条件がありますそれは「軽減税率」という考え方です。この税金をより最高のシステムにすれば何も低所得者は使えるお金に限りがありますから2500円払うなら買わなくてもいいわけです。そこから持てる者は25パーセントの税金を支払っていくということになります。

 このように簡単に書いていきましたが消費税に軽減税率という考え方で揉みに揉ませた張本人が自分の金が目減りしていくことを嫌った所得の高い人であり何としても潰したいと考えるのではないでしょうか。幅広い軽減税率を導入していけば公平な社会が実現できます。

 そして片刃と書いたことは高所得者といえども25パーセントの消費税を払うならその商品は買わないという消費マインドが落ち、国の経済が成り立たなくなるという怖れを感じるからではないでしょうか、そこから両刃としてのもう一つの方法があるわけです。その方策(考え方)もすでにこの日本で取り入れられたわけです。それはマイナス金利という金融政策です。金融機関に預ければ預金額が手数料という形で年々目減りしていくわけです。この考え方はこの日本の資本主義社会から金融政策として出てきたものです。

 平等と公平が違うということでここにアドレスをはっておきます。http://buzzap.jp/news/20141111-equity-vs-equality/「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像
 

持てる者に惑わされるな Ⅰ

2016-11-05 06:58:44 | Weblog
  下記の文章は以前書いた文の一部抜粋です。現在社会の交換材である貨幣を保存してしまうという行為が交換材の不足からくる経済を停滞させ貧富の差を拡大させ、さらに交換材としての貨幣不足を補うため国債発行という借金政策に陥ってしまう。それは保存に制限がないことから金利というおまけをつけて国が持てる者から借り上げる、よって国の収支不足からくる国債発行は悪循環に陥り現在では国の借金が1000兆円越え(日本の借金時計参照)にまで膨らんでしまいました。

 そのことから未来の人間社会においてはそのことを改善させることが第一の目標となると考えます。
    以前のブログからの引用
 ≪これらのことを現代に当てはめたとき貨幣を蓄えたことが罪になるのではなく(現在は財産権として合法化されている)、交換材としての貨幣を蓄えたことによってその社会の経済が回転しなくなってしまうことが問題となる。これは一つの罪だともいえる。≫

 ここから先、私の書こうとしている本題に入りますが、今まで私なりに長い時間の思索を通して最終的にたどり着いたのが、既にあった考え方と政策でしかなかったわけです。そこからやれ革命だ、改革だという物騒な話ではなくなってしまったわけです。

 私のことになりますが最近記憶力が衰えブログを続けていくのが困難になってきました(それは後期高齢者として免許証更新前講習を受けたときはっきり解りました)ですが何となく使命感的なものから最後まで書くという考えから朝早く資料あさりをしてきました。そこから解ったことは

 フランス大蔵省の官僚モーリス・ローレが考案した間接税の一種です

 この一文だけで理解された方もあると思いますが、私の考では思想的裏付けがないため日本では反対論の多い「消費税という税金」のことです。
なぜ消費税なのかを書いていきます。ただそこには消費税は片刃でありそのままでは生かせません。あくまでも貨幣、つまりお金は商品と商品の交換材であり保存するものではないという考え方に立って書いていきます。
 
 保存するという方法は原始の時代栗やドングリ等を保存した行為から現代社会では貨幣という物質を際限なく保存してしまう行為として残ってきたものです。