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楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

私が書こうとしている国債の意味

2012-10-09 05:42:51 | Weblog
 私が書こうとしている意味での国債は貨幣の保存機能の最終的な形態になるのではないかという意味で捉えています。

   国債の歴史 ウィキペディアより引用

 国債をめぐる政策は、広義の近代化である大航海時代以来、長く社会問題の軸になってきた。君主が発行する公債は、君主の私的債務か国家の公的債務かの区別が曖昧だった。償還の原資が必ずしも保証されておらず、資金繰りに困った君主により恣意的に債権放棄させられる危険性ばかりでなく、次代の君主が先代の債務を引き継がないなどの原因でしばしばデフォルトに陥った。そのため、公債は償還期限が短期でリスクを反映して利率が高く、それゆえ君主が返済に困ってデフォルトを繰り返すという悪循環を繰り返していた。絶対王政の時代には欧州の君主はしばしば戦争を行い、それらの戦費はこうした公債で賄われることがしばしばであった。
 
 ここで私が書こうととしていることは、国債と名のつくものを発行することは、市中に放出された貨幣のうち交換から外れ蓄えられてしまった貨幣、つまり保存されてしまうことからその保存された貨幣を再度国家が国債と呼ばれる証券と金利を付け呼び戻す行為から発生してきたものと言えます。現在でも同じ行為。
 
 ここでは既に貨幣をこれ以上発行すればインフレになると解っていることからその対策として貨幣とは分離されたかたち(国債は市場での取引)でインフレを食い止めるための算段だと言えます。
 
 つまり国債残高と現行貨幣の流通量(タンス預金・銀行預金も含め)=これらが一時に市中に現金として出た時、物が何倍に上がると思われますか。すざましいインフレになるのではないでしょうか。つまりそれを食い止めているのが国債と言えます。

 私が考えるには貨幣が持つ交換機能を最大に引き出していき、保存機能に制限をしていくそれが未来社会を語る意味だと言えます。

 まだまだ勉強不足ですが。



格差。貧富と国債との関わり

2012-10-07 06:39:14 | Weblog

〉〉いや失業者だけではなく日頃格差で苦しんでいる者も同じくデモに参加し、やがては制御が効かなくなる。その責任はデモ参加者にあるのではなく格差を作り出している者への攻撃と変化していく。

 前の文章でこのように書いたが、なぜ責任が格差を作り出している者へと向かうのかという説明を少ししよう。後で書きますが格差つまり貧富の差、それは国債と重要な関わりを持っているということになる。

 ここではその前に格差の「貧」にあたる人と「富」にあたる人、どちらが現在のやがてくるであろう金融恐慌の原因を作っているのかということになる。もし金融恐慌・経済の崩壊。それはできれば人間の知恵で何とか逃れるものなら逃れたいと「富」の人たちも入れて多くの人が考えるのではないだろうか。そしてその原因が解明されたなら手を打てるだろうか。しかし私が考える限り手を打つことはできないだろう。それは恐慌の原因となるものが「富」の側にあるからである。

 前に書いたが「AEの関係」の中で貨幣とは交換機能を最大限に利用していけば経済の破綻はありえない。交換機能から抜け出した貨幣(お金)つまり保存機能が使われた貨幣はそれ以降の交換を阻害してしまう。その阻害された状態から抜け出そうと考えられたのが国債発行ということになる。それは本質に迫れば一部の人間の私欲から作り出されたものであり、その結果現在の世界的な国債残高の積み上がりとなっている。
 
 貨幣を利用してより多くの富を蓄えたいという私欲から発生し、築き上げた富をどのようなことがあっても投げ出すことはしないであろう。

 つまり金融恐慌・経済破綻はどのようにしても逃れられないということになってしまう。そこで現在「富」の側が考えている処置としてさらに国債を発行し自らが持っている富を温存して行こうということになる。だがそこには危機を先延ばししているだけでしかない。やがて人々が言うようにある時点で今まで発行した国債が売られ、紙切れ同然になる時代がくることになる。その時金融機関が大量に抱えている国債からの損失となってしまう。

 今なら世界的経済が落ち込みながらも何とか動いている状態の時、有識者の知恵を集めてこの難局を乗り越えることができないものか。いや私欲はそれを見過ごしてしまうだろう。

現在の金融不安を作り出している現況は、世界的な国債の発行のしすぎということになる

2012-10-06 05:58:25 | Weblog
 〉 ただはっきりしていることは現在の金融不安を作り出している現況は、世界的な国債の発行のしすぎということになる。 
 
 前の文章で上記のことを書いたが、世界的な金融不安から(これも国債の発行しすぎ)世界的な金融崩壊に見舞われたら、貧者共々富を持っている者にもその災難が降りかかる。今までの歴史を見ても解るように生きんがための労働から遠ざけられた失業者は、生きていくためには死を覚悟してムシロ旗を立てて抗議をした。当然現代の社会ではムシロ旗の代わりにプラカードを手に掲げデモという手段で大衆が抗議する。その数は失業者の数に比例する。いや失業者だけではなく日頃格差で苦しんでいる者も同じくデモに参加し、やがては制御が効かなくなる。その責任はデモ参加者にあるのではなく格差を作り出している者への攻撃と変化していく。

 これは少しは未来が見えることから、憂いている私が警告しているものであり扇動ではなく事実を書いていると思っている。貧困に苦しんでいる者、例えばホームレス等と、より自分の富を増やすことに飽くなき欲望をつぎ込んでいる者等が、最終的に迎える力による犠牲者の数だ。

 しかし多くの人達が予想し、やがて来るであろう世界的な金融恐慌をいかにして乗り越えるかの回答を出すことをしない。その回答を出せる者は日々富を増やすことに専念している人達が率先して、現在の貨幣のあり方を問い直し、全体に貨幣が行き渡るように考えることでしかない。単なる失業対策、生活保護ではなく現在社会での貨幣の使用方法から貨幣の欠点を洗い、貨幣を見直す。それしかやがて来るであろう金融崩壊、経済崩壊から逃げ出す方法はないと考えるが。

 だがグローバル化された世界に於いて各国政府が取り得る手段、日本では現在赤字国債の発行という現状においての手段しかありえない。これは富(貨幣)をより多く私有している者にへつらっている。この結果赤字国債を発行しても経済は好転しないことを全ての人たちが理解している。ただ単に一時しのぎの時間稼ぎでしかないからだ。そして赤字国債の最終的な行き先は富める者の懐へと吸い込まれていく。このことが今まで世界的な国債残高の増加を招いてきたものであり、日々必要とされる貨幣を赤字国債発行で増やしたとしでもやがて再度貨幣は消えてしまう。

 ここで取り得る荒療治は国債の発行を根本から止めてしまうことだといえる。それに代わるものは銀行に預けられた預金を現在の国債取引と同じように市場取引に代える。そのことによって貨幣の持つもう一つの保存機能を根本から考えることになる

お金(貨幣)の奴隷からどのように抜け出すか

2012-10-03 13:27:05 | Weblog
  一つ前の文章で書いたが今の人たちはお金の奴隷になっている。それはお金を使うのではなくお金に使われている。お金のためには簡単に人を騙し人を殺してしまう。

 アメリカ大陸に奴隷として渡ったアフリカの黒人の人達。彼らにはアメリカという土地で鎖に繋がれ自由は無かった。朝から日が暮れるまで働かされた。現在のお金の奴隷たちはこれも同じように朝早くから夜遅くまで働いて衣食住を何とか得ている。違いがあるのはアメリカ大陸の奴隷たちには職を替える自由は無かった。そして人身売買という環境の中で労働を目的として牛馬と同じようにお金で売り買いがされた。現在のお金の奴隷たちとかっての奴隷たちとの違いとは何であろうか。

 かっての奴隷たちはアメリカ大陸が発見され、広大な手付かずの土地に労働力を投入すれば莫大な富が得られるという白人の思い上がりが人を鎖で繋ぎ事由を奪った。だがそこには最低といえども衣食住は保障されていた。現在の働く戦士としてのお金の奴隷たちは労働力は必要とされるが身体を鎖でつながれることは無い。また若い女性が性を目的とされる以外の人身売買に相当する部分も無い。 
 だがそこでの違いはいくらでも土地があるための労働力を必要としているか、現在のように労働力に対し省力化が進み働く場所が無い飽和状態になっているかという違いしかない。

 お金という無機質のものが人を奴隷としているのでは無く、その裏で金を操っている者が人を奴隷化している。

 そこで貨幣(お金)には交換機能と保存機能があるという話になる。保存機能とは物々交換の時代からあったものであり、ある特定の物質(キンなど)が貨幣として人々に認められたとき。私欲・権力欲に捕らわれた人たちが貨幣(お金)とは何かを、人々が理解していないことを良いことに、また全ての時代に通じる今までの経済学者が貨幣を追求してこなかったことと併せ、現代の時代にいたるまでそこから発生する諸々の諸悪から、多くの人たちの苦しみをよそに、経済を根本から考えることなく都合の良いように経済学を作り上げていたのではないだろうか。

 経済学の不備から、人々は苦しみその救いとして貧困にはあの世での幸福が約束されているから安心して神におすがりなさいという。宗教とは貧困と健康不安対策そのものでしかない。あの世が無かったとしたら騙しである(あるわけは無い)。それよりもこの世に生を受けたことに全ての人が祝福され経済的な不安、また経済的な不安が健康そのものを反映している人たちへの救い、それは全ての人に貨幣(お金)が順調に回る社会にしなければならない。

 次に今までは貨幣が持つ交換機能を重点に書いてきたが交換機能を阻害している貨幣の機能は何なの書いていきたい。当然阻害しているもの、それは保存機能ということになる。それを書かなくては未来社会はこうなるべきだという理論は創れない。

 ただはっきりしていることは現在の金融不安を作り出している現況は、世界的な国債の発行のしすぎということになる。