楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

貨幣の機能について

2011-09-21 19:07:58 | Weblog
 私が「新・貨幣論」を書いていた当時、貨幣の機能としては交換機能、保存機能、そして比較機能という三種類の機能として説明されていた。現在では前の文章(9月10日)に書いたように以下の機能に変化していた。

・計算単位:貨幣はいろいろな財の価値を計るための計算単位としても用いられる。こうした貨幣がない場合には、多くの商品を生産販売している企業の業績を表すのは容易ではなく、それに関する情報を得ることも困難になる。

・価値の尺度  ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3#.E8.B2.A8.E5.B9.A3.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD貨幣は、計量可能なモノ(財)の市場(しじょう)における交換価値を客観的に表す尺度となる。これによって異なるモノの価値を、同一の貨幣において比較ないし計算(計算単位)することができる。例えば、本20冊と牛1頭といった比較が客観的に可能になり価格を計算できる。

・一般的価値尺度機能 http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20045/functions.html 第三の機能は「一般的価値尺度機能」と呼ばれる。これは、交換される財やサービスの価値を、貨幣の数量で交換することが出来る機能である。又、この機能によって複数のそれらを値段(貨幣の単位)によって比較することも出来る。

 これらを考えてみるとなぜ上記のように別々の言葉を使い、一つに纏まった機能として説明されないのだろうか。交換機能はその言葉自体が歴然としている。当然保存(蓄蔵)機能も他に言葉を作らなくても一目瞭然と理解できる。では何ゆえに第三の機能としてこのように色々な言葉で説明しなくてはならないのか。

 私が考えるには交換機能の中に比較があり、計算があるのではないだろうか。よくリンゴ10個とミカン10個を貨幣を通じて比較をする、そこに比較機能として独立したものがあるというが、交換自体の中にすでに比較がされ計算も当然入っていると考えられる。交換機能は単なる貨幣によって交換が出来るというものではなく、交換をするからにはそこに品質と数量が織り込まれていると考えられないだろうか。

 そこから私が言うところの貨幣には第三の機能として労働の細分化機能があるということになるのだが。

労働の細分化機能 終わり

2011-09-19 06:05:52 | Weblog
 今まで書いてきたように貨幣は労働を分割する機能を持っていると、ある人に話したとき、その人から質問が来た。

「貨幣」は「労働」の結果から得たものです。すでに過去の行為である労働がどのように分割されるのでしょうか。仮に過去の行為が分割されたところでどういう意味があるのでしょうか。「労働が分割」されるのではなく「分割」されるのは「労働」と等価で交換した(得た)貨幣ではないでしょうか。

私は指摘してくれた人に即座に返事を書いた。

貨幣は労働の結果として得たときにはそれほどの分割は必要ないと考えます。サラリーマンが自己の労働を会社に売りそこで得た賃金は一万円札が何枚という万札で支払われます。そこでは貨幣を細分化する必要はありません。貨幣の細分化は自己の労働を会社に売り、そこで得た労働の報酬を生活に当てるため、電気代を支払う、ガス代を支払う、米を買う、酒を買う、調味料を買う、また子供の学校への支払いをするときなど、生活している中では多くの支払うときがあります。そのときに必要なことは貨幣が細分化されていることです。自己の労働を介して得た貨幣、その労働の塊である貨幣を小さく細分化して、あるときには他者の労働から作られた酒と交換し、また今月の電気代はウン千円ですといわれたとき、他者の労働から作られ、送電線を通して送られてきた使用量としての電気代金を細分化された貨幣を通して何の問題もなく支払うことができます。
 また逆の立場からすれば自身の労働で作り出した酒を、細かい単位で販売する場合、細分化されている貨幣での受け取りは何の抵抗も無くお客さんに冗談交じりにいうことができます。
「これは私の労働で作った酒です、あなたの労働と交換しましょう」
貨幣の細分化機能はお互いの労働との交換においてスムーズに事を運ぶ事を可能にします。それは一円単位でも十円単位であったとしても、自己の労働の一部である一円なり十円なりの貨幣を通して相手の労働の一部となんら問題なく交換することが出来るわけです。

貨幣経済の全ての事柄は人間自身の労働以外の行動としては説明が付かないからであると前にも書きましたが、今まで労働の分割機能云々を経済学者が問題にしなかったのは、経済を人間の普遍的労働から導き出すことをしなかったからということが出来るのではないでしょうか。
 貨幣が持つ「労働の細分化機能」はこれで終わりです

貨幣の機能 二 労働の分割機能 P62より

2011-09-16 05:11:47 | Weblog


 ある意味貨幣は労働を分割していると考えるが、貨幣が労働と労働の交換の仲介物であるといったとき、貨幣が細かく分割している意味も考察しなければならない。一般的に使われている貨幣に、現在では千円、二千円、五千円、一万円という印刷された紙幣があり、また前述したように、細分化された硬貨もある。貨幣を細分化したことにより、商品を購入しやすくなったことは確かだといえる。もし細分化されていなかったなら数千円単位のものも一万円でおつりをもらうこともできない。そのことはその商品を購入することができないということになる。

 そして貨幣が自己と他者の労働を交換する仲介物といったとき、貨幣の細分化された意味は労働を細分化したことにもなる。
 
 細分化された貨幣によって人間の労働を一分単位、一時間単位で分割し交換できるわけであり、細分化できる貨幣の機能が自己の労働および他者の労働を細分化し交換を可能にしたわけだ。

 ある職人が山の中に入り、大きな木を切り出す。彼はその木から何日もかけテーブルを製作する。やがて出来上がったとき、その労働の結晶を町の市場へと運び出し、二万五千円と値を付け売りに出した。何度目かに見に来た客が気に入ってくれた。彼は二万五千円の貨幣と引き換えに客にテーブルを渡した。
 
 そして前々から考えていた自身への褒美として一杯のビールと焼き鳥を購入した。その額は千二百五十円という金額だった。二万五千円から千二百五十円を引いた額が残金として残った。彼はその残金で米を買い、味噌・醤油を買い、そして彼の労働の成果である二万五千円は細かく分割され日々の生活へと変化ををもたらす。

 またもう一つ例題を。若い日雇いの青年が一日の仕事を終え一万五千円を賃金としてもらった。これがもし一万五千円の証書であり、一万五千円の物としか交換できないとしたなら、彼は確実に途方にくれてしまうだろう。だが貨幣は貨幣自体が分割できる性質を持っている。自己の労働および交換先の他者の労働を、貨幣を通して分割できる機能と考えることができる。

 だが細分化できる貨幣の機能を便利さとして人々は見ていただろうが、その根底にあるのは労働の分割機能であるといえる。自己の労働が貨幣を介して分割される。貨幣には労働を分割できる機能があるということになる。

 そして貨幣を介して他者の労働と交換するという大きな目的を持つ以上、細分化できなくては貨幣の持つ意味はなくなってしまう。
 また貨幣の細分化できる性質として、それは何のためかということになると、一円玉で買うことができる物、五円玉で買うことができる物、それは一円単位もしくは五円単位の相手の労働と自己が支払う一円単位もしくは五円単位の労働との交換でしかない。
 またもし自己の財布なり、箪笥預金としてしまっておいたなら貨幣の細分化は必要ないことになる。あくまでもそこにあるのは交換を目的としたものである。
 

今回は、偏った貨幣所持(格差の問題)

2011-09-15 06:34:59 | Weblog
 貨幣の交換機能の中でA・Eの関係を参照文章として引用しましたのでここで以前書いた文章「金の高騰」の中で

>まず金100㌔の価格ですが、1㌘1万円×金100㌔(10万㌘)ですから10億円となります。そして貨幣として所持している価格を足すとこの社会の資産量はただ金の売買をしただけで1割増えた110億円という総資産となります。

 ただ金の売買をこの社会の中で行っただけで総資産が1割増えたのかということで理解しづら方もおられるかと思いますので説明させてもらいます。

 A・Eの関係でも解るように物を買うという行為、私たちが日常行っているスーパー等での買い物、自分の財布から支払いをしますが、支払った分、自分の財布から消えていくことになり、他人と労働を交換しているなどという気持ちにはならないと思います。でもA・Eの関係のように支払ったお金はその社会の中に留まっています。たとえ金(キン)を買ったとしてもAさんからBさんへお金が移ると同時に売り手のキンが買い手に移るだけです。そのことによりキンの売買を何度繰り返してもその社会の貨幣量は変わることはありません。もしその社会で貨幣量が変わることがあるとするなら預金(蓄蔵)というかたちで銀行に預けられてしまうか、また個人が海外に投資するためにその社会の貨幣が国外に流してしまうかのどちらかです。

 そのようなことがなければたとえどのような買い物(株式を買ったとしても)をしたとしても貨幣は永久にその社会の中に留まり不足することはありません。留まった貨幣が何回でも交換に回れば経済は活性化します。

 もし一部の人たちが預金なり海外の投資資金としてその社会の貨幣を蓄蔵または持ち出しをするとして、その社会の貨幣が不足する事態になれば交換にまわす貨幣量が不足しますので経済が落ち込んでしまいます。そのような事態になったとき現在の政策的考え方は社会に不足した分の貨幣を継ぎ足すため、国債の発行という方法で、偏って所持されてしまった貨幣を利息を付けて社会に戻すという方法をとります。だが根本にある貨幣の偏った所持方法を社会的に是正することがないため、この方法はやがて国債残高の大量増加というどうしょうもない事態に社会を陥らせます。

 また今の政策的やり方として、現状を切り抜ける方法として増税という手を打ってきます。それは偏った所持方法からくる貨幣量の不足を本来の是正という面からは目を瞑り、一時的な逃げとしか私の目には映りませんが。増税した分を社会に還元すればしばらくの間は消費が伸びますが、やがて根本にある偏った貨幣所持方法から社会の貨幣量が減ってきます、当然そのときには消費が減り経済はまたもとの状態に逆戻りしてしまいます。

 偏った貨幣所持、今の経済秩序はその原因の是正もなくただ闇雲に多くの貨幣を所持しているものから国債という金利が付く第2の貨幣を売りつけその場しのぎをしているだけです。

 今回は横道にそれてしまいましたが次回は「貨幣の機能 二 労働の分割機能」に戻れると思います。

貨幣の機能 労働の細分化機能 2

2011-09-14 06:51:32 | Weblog
 またもう一つの例として、新車と中古車の比較を考えてみよう。同じような車が二台あるとする。一台は新車であり、もう一台は一ヶ月ほど人が乗った車である、見かけはほとんど変わらない。だが人が買うとき、また商人が貨幣を利用して値を付けるとき、人が一度乗った車は中古車として扱われる。そこで売れる価格は仕入れたときの価値が元になるが、代替的な貨幣での比較を容易にさせるため二十万円の差をつけて売りに出した。そこにある基本的な比較は中古車として買い入れた価格が世間一般的な価値であり、より一歩踏み込んで考えるならば、お客が買う価格が新車として比較したとき買える価値として根底にあるということになる。

 新車と一度人が乗った車との価値が比較との対象であり、その価値の差が貨幣を利用して代替的に比較を容易にさせていることになる。
私に言わせれば、比較機能が貨幣にあるのではなく物自体が比較の元になっているということになる。貨幣は比較の代替をしているに過ぎないと考えるが。
またもし貨幣自体に比較機能があるとすれば、貨幣がない場合比較ができないということになってしまう。物々交換においても何らかの形の比較が存在しているはずである。貨幣が物と物との交換における補助的な役割であるということを如実に物語るものとして、戦後の日本のようにハイパーインフレーションに陥ったとき、食料の買出し時において貨幣での交換を嫌がったため箪笥から着物等を持っていき米と交換したという話がある。その時点においても物での比較が働いているはずである。

 あくまでも私の考えだが貨幣を通して比較ができると考えた人は、貨幣が分割できることからではないかと思う。例えば日本で一般に使われている貨幣には一円、五円、拾円、五十円、百円、五百円という硬貨があり、紙幣として現在では千円、二千円、五千円、一万円という印刷された紙幣がある。それらは細分化されたことにより商品の購入において半端な金額であっても細かく支払うことができるし、また高額の紙幣を出したとしても、つり銭として細分化された貨幣を受け取ることができる。そこには何の不便さも感じない。
 
 そして貨幣を通して商品の価格付けができるということでもある。ある例として一個百円のシュークリームがあり、同じシュークリームが賞味期限二日しかない。そこで賞味期限の短くなった商品は二割引の八十円という価格を付けた。そこには確実に売る側の商品に対する価値の差に貨幣を通しての代替的比較を持たせ、また買う側も貨幣を通して商品の代替的比較が簡単にできることだと考える。
 だがそこには二つの賞味期限の異なった商品の比較はすでにその商品自体にあるのであり、貨幣はあくまでもその比較の代替をしているにしか過ぎないのではないかと考える。

 貨幣が持つ交換機能(欲求の二重の一致)・蓄蔵機能(預金通帳にある数字の下に0がいくらでも並べられる。またそれは同時に何時でも商品と交換できる)は疑うことなく機能といえるものである。が。比較機能に関しては比較を容易にはするが、機能といえるものではなく、あくまでも代替的なものでしかないと感じる。
「欲求の二重の一致とは」二者間の物々交換において売りたい物と買いたい物が相互に一致する必要があるということである。 ここまでP62

次回は 貨幣の機能 二 労働の分割機能

その前にこれから進めるには「貨幣は労働と労働の交換の仲介物」であるということを頭に入れてください.下記の文章は参照として載せます。


A・Eの関係
2010-05-28 13:59:57| Weblog
  この『A・Eの関係)という言葉は私のブログで何回か使われた言葉ですが、これからの文章でも頻繁に使いますのでここに独立した項目として載せておきます。この関係を理解することでアダム・スミスの『見えざる手』が『見える手』になるかと思います。注釈*見えざる手(みえざるて、英: invisible hand)は、アダム・スミスの言葉であり、国富論の第4編第2章に現れる術語であり、古典的自由主義経済における市場仮説を指す。 この言葉は『国富論』では一度しか出てこないが、あまりにも有名である。神の見えざる手(invisible hand of God)という名でも知られるが、『国富論』には「神の」という単語は無い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア』Aが自己の労働を1枚の貨幣(カネ)に換え、Bが作り出した商品と交換します。そこにはAが持っていたカネがBに渡ります。BはそのカネでCの持っている商品と交換します(つまりCの商品を買うという行為です)Aの所有していたカネがBを通してCに渡ったわけです。CはDの持っている商品を買います。DはEの持っている商品を買います。そしてEはAが持っている商品を買います。  つまりここでは簡単な例ですが最初にAが持っていた1枚のカネがB、C、D、Eを通してAに戻ってきて一巡したわけです。そしてお互いに作り出した商品が売れたということになります。 さらにまたAがBの商品を買い、その関係がEまで続きAの元へ戻ってきたとします。そこにはAからEまで2回商品を製造しなくてはなりません。たった1枚の貨幣が2回の商品製造をさせたことになります。この関係がさらにAからEを通してAまで戻ってきたとき1枚の金が3回の商品を各自に作り出させたわけです。  このことが貨幣と労働との関係だと捉えています。ただし、そこには現実の経済社会では簡単なA・Eの関係ではなく複雑な貨幣と労働との関係が行われているということです。つまり1000万の購買があれば1000万通りの貨幣と労働との交換があるということです(そのことが今まで経済をわかりにくくしてきた原因です)働くことのない子供は物を買うために親から小遣いを貰うとか、老人では現在の社会では年金というかたちで貨幣を手に入れ貨幣と他者の労働で作られた商品と交換し手に入れます。 





貨幣が持つ『労働の細分化機能』

2011-09-10 05:52:46 | Weblog

 以下の文章は7月4日に書き込んだ文章です。内容は現在言われている貨幣の機能のことですが、その中の比較機能は本来貨幣という形での機能といえるものではなく。
また機能といえるものが他にもあるということを拙著「新・貨幣論」の中で書いてきました。ですがブログでは契約上書くことができないということから三年間の契約が終わりブログでも書くことができるようになりました。
 
 7月4日のブログから
 私が今まで書いてきたこのブログにおいても貨幣を論じてきましたが、あくまでも本の中身とは別のものです。その中で今まで言われてきた貨幣の機能ということで、貨幣には三つの機能があり。第一の機能は交換機能であり、第二の機能は保存(保蔵)機能、そして第三の機能は比較機能であると。しかし私は今までこのブログでは比較機能については何も触れてこなかったわけです。 私が考えるには貨幣の機能の中で比較機能においては,ふさわしくないと判断したからです。なぜふさわしくないのかを本の中で書きました。その代わり貨幣が持つ機能として第三の機能として「労働の細分化機能」があると書きました。 現在はまだ書けませんが8月15日が過ぎましたら契約が切れますのでこのブログで書いていきます。
上記文章はブログの内容です。

 現在貨幣の機能ということではネット上では交換と保存機能を除いて第三の機能としていろいろな形で書かれている。以下はネットから。

・貨幣の機能 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ai/kahekino.html

・計算単位:貨幣はいろいろな財の価値を計るための計算単位としても用いられる。こうした貨幣がない場合には、多くの商品を生産販売している企業の業績を表すのは容易ではなく、それに関する情報を得ることも困難になる。

・価値の尺度  ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3#.E8.B2.A8.E5.B9.A3.E3.81.AE.E6.A9.9F.E8.83.BD
貨幣は、計量可能なモノ(財)の市場(しじょう)における交換価値を客観的に表す尺度となる。これによって異なるモノの価値を、同一の貨幣において比較ないし計算(計算単位)することができる。例えば、本20冊と牛1頭といった比較が客観的に可能になり価格を計算できる。

一般的価値尺度機能 http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20045/functions.html 
第三の機能は「一般的価値尺度機能」と呼ばれる。これは、交換される財やサービスの価値を、貨幣の数量で交換することが出来る機能である。又、この機能によって複数のそれらを値段(貨幣の単位)によって比較することも出来る。

楢篠=上記はネットで調べた三つの例ですが、貨幣の機能として「物」にはない計算単位として機能があるということになっています。貨幣が持つ交換機能(物と物を交換することが簡単にできる)と保存機能(蓄えることができる。例えば貯金通帳にいくらでも0ゼロを足すことによってその者は金持ちということになる)これら交換機能と保存機能は良し悪しにつけ、取り去ることはできない確定した機能といえます。

 ですがもう一つの機能、上記三例から計算単位としてはそれほどの強い意味がないと感じています。

 以下は私が書いた「新・貨幣論」から引用します。
貨幣の機能 (一) 比較機能についてP58 (書いた当時は比較機能と言われていた)

 貨幣の交換機能とは、つまり人と人の労働の交換をすることができる機能ということになる。
次に貨幣の持つ比較機能であるが、これについては話が込み入ってくるので後述することにして、ここでは一般に知られている貨幣の保存機能に対して簡単に触れてみよう。
 
 第一に、保存という言葉は貨幣に当てはまらない表現であるといえる。普通一般にいわれる「保存」といわれる言葉の意味は「物」に対して使われる言葉である。物を大切にしまっておくことである。確かに貨幣は大切なものではあるが一般的に考えられる「物」ではありえない。そこで貨幣に対しては「蓄蔵」すると言う言葉がより正確にその本質を表しているようである。

 また後で貨幣の蓄蔵機能について触れていくが、まずは貨幣には蓄蔵機能があると認識していただこう。
話を前に戻して、貨幣の三つの機能のうちの貨幣の比較機能であるが、果たして貨幣には比較機能があるのかと疑問を抱いている。

  一般に言われている比較機能とはどういうものだろうか。例えば青果店の売り場に並んだ大根であるとしよう。その大根には大小の差異があり大きい大根は百円という値段がついている。小さいほうは大の半分ということで五十円という値段がついている。ここで値をつけるとき、お金での比較がやりやすいようにということから、五十円という大根と百円という大根に簡単に分けることができる。このようなことから貨幣には比較機能があると考えられている。

  この売り場に並んだ大根が大小二通りの商品であればいいのだが、十五本ほどが山になった大根からは色・大きさといえ、いく通りかの分け方が必要とされるように感じられる。その大根に八十円・七十円・六十円という小分けした値段設定をすると商売を煩雑化させる。そこで百円のものと五十円のものとの二通りに分けざるを得なくなった。
 
 だが買いに来たお客が大きい大根を欲しいと思っていても、黙って一本百円の大根を買うであろうか。五十円の品物の中から大きい(七十円・六十円という値がつく物)のを選び二本買っていき、得をしたような気になるのが普通の考え方である。つまり貨幣が比較をさせるのではなく、交換における比較をその物自体が持っているということになる。それゆえ、貨幣は単なる代替的な比較を果たしているだけだと考えるが。

このあとも続きますがまた次回