goo blog サービス終了のお知らせ 

海辺のモラトリアム

フランス(ニース、グラース)留学に伴う諸々の準備や現地での生活について、知人に向けての近況報告

浜辺でお昼ごはん

2009-02-01 04:10:58 | フランス留学生活
最近、お昼は暖かい。

1/29(金)は浜辺でのんびりできるくらい暖かかったので、
ワインやチーズを買ってお昼にした。

ワインはロゼとルージュの合計2本と、ポテトチップス2袋、小さなラスク1箱、小さめのクリームチーズ1箱。
ガレット・デ・ロアが、1個買うと二個目は無料ということで、これをデザートに。
5人で十分の量だった。

ただ、この時期、日が翳ると急激に寒くなる

St.paul(サン・ポール)

2009-01-28 00:46:03 | フランス留学生活
1/23(金)
学校のアクティヴィティで、「サン・ポール」という小さな鷲の巣村へ。

町並みは十二世紀に造られたものだと、アクティヴィティ担当者が言っていた。
生憎雨だったけど、晴れていたら相当奇麗だと思う。




街は強固な壁で囲われ、壁の内側も細い道が迷路のように入り組んでいる。
これは、外部からの侵入者に対する備えだったという。


もともと、サラセン人(フランス国土を侵略したイスラム教徒の総称)
の侵入を防ぐために山頂に築かれたのが「鷲の巣村」と呼ばれる防衛のための街なのだそうだ。
低地から山を見上げても、そこに村があるとは分からないように作られている。
この前訪ねた町、Grasse(グラース)もそのうちの一つだ。


担当者は、「ニース」はサヴォア、「サン・ポール」はプロヴァンスと言っていた。
プロヴァンス公国(15世紀にフランス領となった)の「サン・ポール」は、イタリアの砦である「ニース」に相対する要塞だったと。
もちろん、現在どちらの地域もフランス領。


ちなみにニースは14世紀の1388年、サヴォワ公国(神聖ローマ帝国の封建家臣)に併合された。
この後フランス革命期までニースはサヴォワ公国の支配下に置かれ、サヴォワ公国とフランスの間の砦の役割を果たす。
これが”ニース=イタリア(ローマ)”と、担当者が言った所以だ。
サヴォワ公国はのちにサルディーニャ王国になり、現在のイタリアの前身となるから。



<ちょっと詳しくニースの歴史>
18世紀後半のフランス革命時に、サルディーニャ王国領のニースはフランスに占領されたが、
19世紀初頭、ナポレオンの失脚とともに一度はサルディーニャに返還。

1860年、サヴォワおよびニース伯爵領が、トリノ条約により、
イタリア統一を目指すサルディーニャ王国から第二帝政フランスに割譲。
ヴァール県のグラースとサン・ポール・ド・ヴァンスの両地区と合わせて、
「アルプ・マリティム県(Alpes-Maritimes)」となる。

現在ニースは、アルプ・マリティム県の県庁所在地。

<参考サイト>
http://salut3.at.infoseek.co.jp/basic/provence03.html
http://www.geocities.jp/france_katasumi/MAG/020801.html




帰り際に少し晴れてきた。



バス停の近くは、ぺタンク(スポーツ)をするので有名な広場。
俳優などの有名人がここで競技するらしい。
奥に見えるのがカフェを兼ねたAuberge(オベルジュ):ホテル。

Chanson(シャンソン)のコンサート

2009-01-25 21:07:13 | フランス留学生活
1/17(日)、一部ニースで有名なClaude Reva(クロード・レヴァ)の追悼コンサートに行った。

彼の子供たち(PascalとLaetitia)とその仲間の5人で開催されたものだ。

実は学校の友達のホストファミリーの親戚。



待ち合わせによく使う、「Gare routiere(ガール・ルティエール):長距離バスターミナル」前でRDV

ちなみにRDVは〝rendez-vous:ランデヴー"(待ち合わせ)の略。
汎用的かどうかは謎。




そこから程遠くないガリヴァルディ広場からすぐのニース旧市街に、
コンサート会場「Centre Culturel de la Providence
(サーントル・キュルテュレル・ド・ラ・プロヴィダーンス:プロヴィダンス文化センター)がある。




作家でも詩人でもあった有名人ルイ・アラゴン(Aragon, Louis 1897年10月03日~1982年12月24日)
の詩をシャンソンにしたものだった。
アラゴンの詩は、多く歌にされ、歌われているらしい。
いくつかはカバー曲で、マザーも知っている有名な歌も混じっていた。

シャンソンをまともに聞くのは初めてだったが、時々悲しい旋律もあり、
情熱的な盛り上がりもあり、15ユーロで全体的に満足できるイベントだった。

旋律的に気に入ったのは、
Heureux celui qui meurt d'aimer(ウールー・スルイ・キ・ムゥール・ダムール)。

”幸せ、それは恋のために死ぬことだ”という意味だ。
(私の解釈が間違っていなければ)

お客さんも一緒になってハモっていたから、有名な曲なのだろう。

Le lever du soleil(ル・ルヴェ・ドゥ・ソレイユ):日の出

2009-01-24 07:07:22 | フランス留学生活
Le lever :昇ること、起床
Le soleil:太陽


日の出:太陽の上辺が地平線に一致する時刻
    =太陽が地平線から顔を出し始めた瞬間

***************************************************************
日の出前の朝焼けと同時に、ほんの一瞬、鳥の大群が空を埋め尽くす。


その後の日の出の時間を観測した。
だいたい7:50~7:57くらい。

こんなに奇麗な日の出だから、今日は晴れかなと思いきや、
空は東の端だけが明るく、後は雲で覆い隠されていた。
すぐに太陽が隠れ、雨が降ってきた。

マセナ美術館

2009-01-18 18:56:04 | フランス留学生活
第一日曜日は無料になる美術館が多いらしいというのが、数年前のガイドブックから得た知識だったが、
マザーによるとニースの美術館は全て無料らしい。
(ネットをみると市営の美術館だけらしいが、私には私営と市営の見分けがつかない)

この政策は今の市長が去年の夏から始めたもらしく、
トラム(市電)やバスが一律1ユーロなのも、新年の無料コンサートも、この人のお陰だったようだ。


1月4日(日)はマセナ美術館に出掛けた。
ガイドブックにある正式名称は「Musee d'Art et d'Histoire(美術歴史博物館)」。
マセナ宮とも呼ばれる。


建物は海に面しているが、入口はプロムナード・デ・ザングレよりも一本奥の通りにある。
マイケル・ジャクソンなど多くの有名人御用達のホテル「ネグレスコ」のすぐ隣だ。



すぐ左手が小さな図書館と受付だ。
ここでチケットを購入。(無料でも、レジでチケットだけ手渡してもらう。)
美術館の玄関はウェルカムな感じではなく、「こっから本当に入っていいの?」
っていう雰囲気の大きな両開きの扉だった。
中に執事のような係りの人がいて、入口でうろうろしていたら開けてくれた。


1階は宮殿だったときそのままの様子で保存されている。
豪華な調度品や、由来はよく分からないがナポレオンの肖像画などが部屋を飾っている。
ナポレオンはニースからほど遠くないコルシカ島で生まれたし、
ニースに2回ほど住んでいるというからその関係だろうか。
また、内装もナポレオン時代のイタリア様式の邸宅をモデルにしているらしい。

見られるところはそれほど広くないが、各部屋に一人の割合で
黒人の強面の監視員が立っていて、物々しい感じだ。
それだけ貴重なものを展示しているということかな?


2階と3階は油絵や装飾品が展示されている。

イタリア統一に貢献したニース生まれの英雄、ジュセッペ・ガリバルディ由来の品もある。

写真はとってもいいが、フラッシュ禁止。
ただ、それに関する注意書きはどこにもない

マセナ美術館の庭は、市民の憩いの場。
ここは常に無料で時間内ならば出入り自由。

今日の出来事

2009-01-11 23:59:59 | フランス留学生活
今日は快晴。
金・土・日と、快晴続きだ。


朝、プロムナード・デ・ザングレを散歩していると、遠くで太鼓の音がした。
みんな何かを待つように足を止めている。
車の通行も規制されていて、パレードでもあるのかと歩きながら考えて暫くすると、
走る人々の群れで街道が埋め尽くされた。
どうやらニース市民マラソン大会だったらしい。


ちなみに太鼓は、海岸に面した路上で演奏されていた。
マラソンとは関係ないようだ。
趣味でセッションしている人達の活動の一部だと思う。
すごく気持ちよさそうだった。


今日の昼食(の一部)。



私の部屋から見た空。



110円~120円台をうろうろしていたユーロが、年末年始で値が急に上がり、
最近やっとまた下がってきた。
今日は121円台。
昨日はニースの町中、ジャン・メドゥサン通り沿いの店が、
イスラエルのガザ侵攻に抗議するデモ団体によって襲撃された。
被害は少なく、マクドナルドの窓が割られるくらいで済んだそうだ。
(マクドナルドはイスラエルを支援する企業の一つらしいから?)
無許可の活動だったらしく、CRS(共和国保安機動隊)によって速やかに鎮圧されたようだ。
16時頃だったという。
多数の警官※が事後処理に当たっているところをマザーが見たらしい。
※マザーは警官と言っていたけど、機動隊員のことだろうか。

Solde(ソルド):バーゲン

2009-01-10 23:59:59 | フランス留学生活
フランスは1月最初の水曜日がバーゲン開始日だ。
(学校の先生談)

今日はバーゲン最初の土曜日。
ニース空港近くの大型ショッピングセンター
「CAP3000(カップ・トロワミル)」へ行ってきた。

日本だと入場3時間待ち(友人談)と言われるアッシュアンドエム「H&A(アッシュ・アン・アー)」
も、どこもかも一斉値引きだ。

初日から全量放出で30~70%OFF。
一週間後など日にちが経つにつれ、残り物は更に値段が下がるらしい。



で、今日の一番の戦利品はバーゲンに関係なく
「Ciseaux coifeur(シゾー・コワフュール):髪切りハサミ」11.9ユーロ。

なぜなら日本人以外に髪を切ってもらう勇気がないから。
タイではひどい目にあった。
ニースで(日本人に)評判のいい美容院をネットで探してみたが、
みんなことごとくおかっぱにされると書いてあった。
恐ろしい
デマであってほしいが、自分の髪は特に、おかっぱにされるとしゃれにならないので
自分で切ることにしたのだ。






ちなみに今日は久々に掃除して気分がいい

左奥に見えるのが暖房だ。
通常多くみかけるのはもっと中身がむき出しの、
日本で言うとオイルヒーターの形をしている。

マザーのアパートはセントラルヒーリングだから、
常に加熱され続けている。
常に喉も肌も乾いて、とても苦しい。
クリスマスで1週間家を空けたときももちろん、休まることはない。
その点、すごく非経済的だ。
逆にアパートの電灯は夜どおし常に点いているわけではなく、
エレベーターの扉を押したり、照明スイッチを押したりすると、1分くらい点灯している。
この点は無駄にエコノミックなのにね。

一年の幸福を祈って

2009-01-05 05:52:01 | フランス留学生活
マザーの友達の家で聞いたフランスの伝統。
クリスマスの前の12月6日に、翌年の幸福を願って、ある植物を植えるのだ。

左がBla(ブラ)、右がLentilles(ランティーユ)という植物。
一見、カイワレみたいな感じだ。


Blaは北フランスの伝統、Lentillesは南。
そういえば北フランス出身のマザー宅には、Blaが植えられていた。

また、南フランスでも、地域によって植える日が異なる。
「Provencal(プロヴァンサル):プロヴァンス」地方は6日、
「Corse(コルス):コルシカ島」地方は13日。
友達は13日に植えると言っていたから、コルシカ地方出身だろうか。



ちなみに、Lentillesは普段、種のままソーセージ料理に使われる。
日本語で、レンズ豆


Sanremo(サンレモ) イタリアへ

2009-01-04 07:19:23 | フランス留学生活
マザーとその友達アリスとジャックの4人で、イタリア北部・Sanremo(サンレモ)へ。

土曜日は大規模な市場が立つらしい。

言葉が分からなくても、挨拶くらいはイタリア語で話すのが礼儀かなと思い、
以下の3つの言葉だけ覚えておいた
・Buongiorno(ボンジョルノ):こんにちは
・Grazie(グラッツェ):ありがとう
・Ciao(チャオ):それじゃ、バイバイって感じの軽いノリ?


ニースから車で1時間。
電車でも1時間ちょっとだ。
TGVでいくと往復50ユーロくらいして予約要だが、
地元の線だともっと安価で当日に切符を購入できるらしい。
※詳細は、実際に電車の旅をしてから。。



風景は南仏とそれほど変わらないが、国境を越えてイタリアに入った途端、
山の斜面を覆うビニールハウスが目に付く。

町の中心部にある駅のパーキングに車を止め、市場へ。
今日は市の日&バーゲン初日ということもあり、人でごった返していた。

服や靴、ベルトやマフラー、アクセサリー、鞄、傘などなど
主に衣類の市だった。


隣接する建物の中に食料品の市場があった。
こちらは常設だと思う。




イタリアはフランスよりも物価が安く、
フランス人で買い物に来る人は多いのだろう。
怪しげなブランド品を売るおにーちゃん達は、
「ボンジュール」とフランス語で話しかけていた。

マザーたちは靴やジーパンなどたくさん買い込んでいたが、
私はといえば、まともに言葉をしゃべれないような国の青空市場では
ボラれそうで買い物する勇気がない。
ちなみに、フランス人たちは、普通にフランス語を使っていた。


食料品だとだいたい相場がわかるので楽だ。
食糧品市場に隣接するパン屋さんで、ピザを2つ購入。

ニースで1個(10cm×10cmくらい)2ユーロくらいするものが、
ここだと0.5ユーロで買えた。


マザーたちも果物やチーズ、ハムを買っていた。
兎の皮と耳を剥いだままで目玉つきのものや、
雄鶏の首付きの肉もそのまま売っている。


これは、パルメザンチーズの塊。





教会の前の広場に、いくつかレストランがある。


お昼は、そのうちの一つ「Pravda cafe」で。


ランチ(好きな飲み物、料理2品、デザート)で17ユーロだから、
フランスと比べて安いわけではない。
お店の雰囲気は、小さくておしゃれ。
料理は、普通。
私が頼んだスパゲティ・ボロネーゼ。

味にパンチがなく、かつアルデンテ一筋の自分にとっては残念な感触。

次の料理を持ってくる間隔が長いので、
友達としゃべりまくりたい人や長居したい人におすすめだ。




海沿いが綺麗。



、カモメが波と戯れている。
縄跳びみたいに大波・小波してるよ、無邪気だなー。

ジャック「あー、カモメが魚を採っているね」


結局、最後までマザー達と行動を共にした私。

新年のコンサート

2009-01-01 23:44:21 | フランス留学生活
今日は新年
フランスは16時です。
Bonne annee(ボナネー)

あけましておめでとうございます。


ニースのアクロポリス国際会議場という場所で、無料のコンサートに行ってきた。
ちなみに、昨日マザーにチケットを町のオペラ座まで買いに行かされたが、
受付のおねーちゃんに、「チケットはいらない」と言われた。


無料なのに、かなり広い会場。
すっごい狭い場所で、人がいっぱいいて、立ち見なんだろうと思っていたが、
本格的にオーケストラで、座席はいっぱい空いていた。

じっと見ていると、弦楽器よりも打楽器の奏者のほうが面白い。
出番は少ないけど音が目立つ。
ずーっと待ち続けて、ここぞという時に叩くんだ。
特に、今日のはトライアングルの音がやけに私の耳に響いた。


大太鼓もトライアングルも、木琴も鉄琴もすべて一人の人が担当。
(他にも小太鼓とシンバリン?担当の人、南国っぽい太鼓をたたいてる人もいた)

バンドの演奏と違って、クラシックの打楽器って、
出番が限定されているからこそ精神的に疲れそう。
バイオリンよりもチェロよりも、打楽器に決めたのってどうしてなんだろう?
それともあの人たちは、他のジャンルでも活躍しているんだろうか。
などと、脇道に逸れながら見ていた。

クラシックだけど、みんなで手拍子する場面もあり、最後には七色の紙吹雪が天井から大量に舞い落ちてきた。

いいかんじ。