月明かりの下の独り言

こちらに舞い戻って参りました。
こちらで、ちょっくら暑苦しく真面目な話題に、取り組んでいきたいと思います。

☆祝☆ 野狐禅 結成8周年!!

2007-09-21 | 野狐禅
野狐禅結成8周年

なんですよ、ほんとうにおめでとうございます。

うかうかしていて、こういう記念日って結構何もせず過ごしちゃうんだけど、野狐禅ばっかりは、何かせずにはいられなくて、竹原くんのブログにおめでとうコメント残してきました。

彼らのことを応援しているってのはおこがましくって、いつも彼らに励まされているような気がする。

これからの彼らの活動が楽しみな反面、これからもずっと彼らの音楽を聴いていたいあまり、もしかして聴けなくなることが、ほんとうにもしもの話なんだけど、そんなことがあるならば、私はいったいどうすれば良いんだろうと、不安になることがある。
今までの私は、当然のようにCDショップやアマゾンで手にすることができ、ライブもある程度決まったサイクルで私の地元にやってきてくれるような、メジャーで活動してる人達の音楽ばかりを聴いてきた。
インディーズで頑張っているアーティストさんにここまで入れあげた経験がなく、もちろん野狐禅も最初はインディーズだったとは言え、天下のオフィスオーガスタ所属だから、それこそ安心して楽しむことが出来た。

おそらく私の知らないところでとてつもなく広がっているインディーズの世界から考えると、きっと彼らの活動はきちんと成り立っていて、見てるといろんなところでライブもしてるし、私が心配することなんて別に何もないんだと思う。

私が彼らのために何かできるのかというと、彼らの音楽を聴き続け、ライブに駆けつけることだけ。待ち続けることだけ。

分かってはいるんだけど、何かもどかしい。

コブクロはインディーズ時代30人ライブ、50人ライブっていうものをやっていた。
ファンが彼らのために人を集め、活動の場を広げていくっていうような応援の仕方。
こんなやり方もあるんだってことを、コブクロを聞き始めて初めて知った。

私だって野狐禅の音楽をもっともっといろんな人に聴いてもらいたい。
彼らの音楽は、胸を張ってお薦めできる。
ライブを聴いたら、きっと多くの人の胸にがつんと響くものがある。
それには自信がある。

だけど、もしそれが可能だとしても、30人ライブや50人ライブみたいなことは、果たして野狐禅の唄になじむんだろうか、とも考える。
たとえば、コブクロのように不特定多数にわかりやすい言葉でかなり普遍的なメッセージを届けようとする音楽にはとても有効だろう。
野狐禅の音楽は、どちらかというと特定(?)少数に向けた、ストレートには意味が分かりがたい、自分との対話に重きを置き、普遍的なメッセージ性にはそれほど富んでいない言葉を、それも傷をえぐり出すように重ねていくような音楽だと思う。

そんな音楽は中毒性がある。
ある意味痛い思いをしながら、それでも聴かずにはいられない。
決して心地よいものではない。

山崎まさよしの音楽のように、気持ちが良くなったり、
コブクロのように声に聞き惚れたりっていうのとは違う。
結局、山崎まさよしとコブクロの音楽は、私の「女」の部分、本能の部分で聴いちゃってるからな。
惚れて、のめり込んで、恍惚状態になる。

野狐禅は、そういったものとは明らかに違う。
自分自身の体たらくっぷり、だめっぷりをこれでもかとばかりに目の前に突きつけられ、彼らの音楽を聴くと訳もなく(本当は訳があるんだけど)「ごめんね」とつぶやいてしまう。
今までいい加減に扱い、傷つけてしまったものを思い浮かべ、それを無駄にしないためにも頑張らなくてはと言い聞かせ、でもやっぱりそれほどぱっと生まれ変われず、やっぱりお酒に呑まれて自分の中でごまかしてしまう。

なんの前進もないんだけど、それでも生きていくぜぃ、酔っぱらった頭で、やっぱ生きてるって楽しいぞ、なんて幸せになってみる。
こんな自分でも、かわいいもんだ。

なんだか訳わかんなくなってきた。
なにはともあれ、おめでとう


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