・はじめてのヨーロッパ紀行(35/X)
・ノイシュバイン城(2/5)
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・・コメントもお願いしますね^^・・これは「句写美・1」です。
写真234:
写真235:
写真236:
写真237:
写真238:
写真239:
今日の俳句:
・中世の騎士の鎧や霧雫
・湧きいづる霧に眠れる白鳥城
・秋深む古城に遊ぶ小半日
2010年12月09日(木)小雪
写真234:
店の外に出たら、中世の騎士が着た鎧であろうか?が、飾ってある。
英語・日本語・ドイツ語で「お手を触れないように願います。」と書いてある。
この3カ国の人たちの観光が多いのであろう。
写真235~239:
ロマンチック街道の終点として、人気の観光スポットとなっている。
所在地はオーストリア国境に近く、近隣には、ルートヴィヒ2世が、
幼少時代を過ごし、彼の父親が所有していたホーエンシュヴァンガウ城がある。
ノイシュヴァンシュタインという名は、
現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあった、
シュヴァンシュタイン城にちなみ1890年になってから付けられた名前である。
(「ノイ (Neu)」は「新しい」の意)、建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。シュヴァンガウは、「白鳥河口」の意味の地名で、ホーエンシュヴァンガウは、上シュヴァンガウ村のことである。
この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度にはできあがった。
これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。
ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の建設を始め、さらにはノイシュヴァンシュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケンシュタイン城を建設する計画をたてており、その上オリエント風の宮殿も建設したいと考えていた。
これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金などを中心に、ほぼ王室費から支出され、
バイエルン政府の国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発して借金を積み重ねた。
プロイセンに対し普墺戦争の損害賠償を未だ抱えていたバイエルン政府はこれに危機感を募らせ、最終的に首相ルッツらは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。
その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、その直後から城と内部は一般公開された。ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが美しいと言われている。
おとぎ話に出てくるような美しさのノイシュヴァンシュタイン城は、ディズニーランドやディズニーランド・パリ、2005年に開園した香港ディズニーランドにある眠れる森の美女の城のモデルの一つとしても知られている。(Wikipedia・より)
日 記:
昨日は、ガス台の交換に来てくれた。今年最後の大きな買い物となったが仕方がない。
朝から降りだした雪が道路わきから積もり始めている。
午後から、お買い物に行ってきた。今年もたくさんの方にお世話になって生かされてきた。
ささやかなお礼の気持ちを送らせてもらった。
日別訪問者:
12月05日(日)69名
12月06日(月)97名
12月07日(火)96名
12月08日(水)99名
12月09日(木)名
12月10日(金)名
12月11日(土)名
12月第1週:573名
12月第2週:名
12月第3週:名
12月第4週:名
12月第5週:名
4月の訪問者:計5880名
5月の訪問者:計4124名
6月の訪問者:計7400名
7月の訪問者:計5770名
8月の訪問者:計5473名
9月の訪問者:計7242名
10月の訪問者:計4651名
11月の訪問者:計3659名
12月の訪問者:
1月の訪問者:
2月の訪問者:
3月の訪問者:
>>俳句に興味ある方は、「鴻風俳句教室」にも、
おいでください。ご一緒に俳句をつくりませんか。
http://www.rak2.jp/hp/user/koufuu52/
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・中世の騎士の鎧や霧雫
・湧きいづる霧に眠れる白鳥城
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店の外に出たら、中世の騎士が着た鎧であろうか?が、飾ってある。
英語・日本語・ドイツ語で「お手を触れないように願います。」と書いてある。
この3カ国の人たちの観光が多いのであろう。
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ロマンチック街道の終点として、人気の観光スポットとなっている。
所在地はオーストリア国境に近く、近隣には、ルートヴィヒ2世が、
幼少時代を過ごし、彼の父親が所有していたホーエンシュヴァンガウ城がある。
ノイシュヴァンシュタインという名は、
現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあった、
シュヴァンシュタイン城にちなみ1890年になってから付けられた名前である。
(「ノイ (Neu)」は「新しい」の意)、建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。シュヴァンガウは、「白鳥河口」の意味の地名で、ホーエンシュヴァンガウは、上シュヴァンガウ村のことである。
この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度にはできあがった。
これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。
ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の建設を始め、さらにはノイシュヴァンシュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケンシュタイン城を建設する計画をたてており、その上オリエント風の宮殿も建設したいと考えていた。
これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金などを中心に、ほぼ王室費から支出され、
バイエルン政府の国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発して借金を積み重ねた。
プロイセンに対し普墺戦争の損害賠償を未だ抱えていたバイエルン政府はこれに危機感を募らせ、最終的に首相ルッツらは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。
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日 記:
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日別訪問者:
12月05日(日)69名
12月06日(月)97名
12月07日(火)96名
12月08日(水)99名
12月09日(木)名
12月10日(金)名
12月11日(土)名
12月第1週:573名
12月第2週:名
12月第3週:名
12月第4週:名
12月第5週:名
4月の訪問者:計5880名
5月の訪問者:計4124名
6月の訪問者:計7400名
7月の訪問者:計5770名
8月の訪問者:計5473名
9月の訪問者:計7242名
10月の訪問者:計4651名
11月の訪問者:計3659名
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