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地球が回ればフィルムも回る(gooブログ)

『食卓の肖像』『悠久よりの愛 -脱ダム新時代』などを制作した記録映像作家、金子サトシのブログ。

カネミ救済法 この機を逃せば後がない(西日本新聞社説)

2012-05-28 00:55:00 | 公害・薬害・環境・医療問題
カネミ救済法 この機を逃せば後がない(西日本新聞 社説)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/304507

「しかし、これほど深刻なダイオキシン類摂取の健康被害は世界に例がない。40年以上、国民の健康を守るべき国が医療費の支援すらせず、状況を放置してきたことこそ異常と言わざるを得ない。」


*その通り。

カネミ油症 母から子へ 中内孝一さん(高知新聞)

2012-04-07 21:28:00 | 公害・薬害・環境・医療問題
*高知新聞に中内孝一君の記事が出ました。

(ニュース)
カネミ油症 母から子へ  患者の中内孝一さん(高知市)  
度重なる病気、いじめ
… 「それでも『生』は素晴らしい」
2012.04.06 高知新聞朝刊 地域特集

 高知市北竹島町の中内孝一さん(41)は、猛毒のダイオキシンを摂取した母から生まれた。国内最大規模の食品公害事件と称された「カネミ油症」。1960年代末、健康に良いと言われたこの食油を口にした妊婦たちからは、先天的な病気を抱える赤ちゃんが相次いで生まれた。国による被害認定はなく、救済制度もない。激しいいじめ、社会参加への高い壁。そのはざまで孝一さんは生きてきた。「人生を諦めたくない」と生きてきた。(芝野祐輔)
 4月1日の夕暮れどき。孝一さんは、高知龍馬空港に近い南国市の海岸沿いに立っていた。太平洋に向かいカメラを構える。雲間に機影が見えると、シャッターを押す。また押す。狙い澄ましたような撮影だった。着陸を見届けると、「ふぅ」と短い息を吐いた。
 治療のため、幼いころから県外の病院へ通った。
 「刷り込みというんでしょうか。だから飛行機が大好きで。巨大な金属の塊が空を飛ぶ。力強さが弱っちい僕に勇気をくれたし、いつか、どこか知らない世界へ連れて行ってくれそうな気がして」
 中学2年の時、月刊誌に掲載されていた航空機写真に感化され、家のカメラで写真撮影を始めた。そしてのめり込んだ。お気に入りの航空機を撮影しようと、北海道へも沖縄へも。2006年には全国的な写真コンテストで2位になったこともある。
 「いつか、航空機の撮影で生活できるようになりたい」。それが孝一さんの夢だ。
 ただ、最近は数分の撮影姿勢がつらくなってきた。左手と左足がしびれるからだ。
 「……僕は油症が原因だと考えているんです」
  □………□
 孝一さんの母、郁子さん(71)の体にダイオキシンが入ったのは、1968年春だったという。知人から「カネミ油」をもらい、1・8リットルを3カ月で使い切った。症状はすぐに現れた。
 目が激しく痛み、頭髪がぼろぼろ抜け落ちる。顔や体は吹き出物に覆われ、手足は紫色に変色して激しく痛んだ。郁子さんは同年10月に油症患者として認定された。
 3年後の71年2月、長男の孝一さんが生まれた。先天的な口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)だった。上唇から鼻孔にかけてが三つに裂け、喉の奥も裂けていたという。すぐ気管支炎にもなった。生後4カ月で口唇口蓋裂を手術し、小学校入学までに同じ手術を3度も受けた。
 「小学3年の時には右耳の奥に腫瘍が見つかりました。中学の時に3度目の耳の手術を受けましたが、脳を圧迫するほど肥大して、失敗すれば命が危ないと聞かされました」
 手術と入院の連続。内気になり、いじめにも遭った。「ちび、のろま、鼻ペちゃ…。悪口は言われ放題。一番強烈なのは『死ね』という言葉でした」。ジャングルジムから突き落とされたこともある。
 当時を振り返る口調はゆっくりだった。感情を押し殺すように語り、目はうるんでいるようにも映った。
 「なぜこんな目に遭うんだという悲しみ。怒りと恨みは…親に。なんでこんなふうに産んだんだ、と」
 その思いを母にぶつけたことはない。つらそうに体を横たえる姿。まぶたから「油」を絞り出す姿。母も苦しんでいることは、小さな子どもにも十分に分かったからだ。
 中学に進むといじめは激しさを増し、孝一さんは県立江の口養護学校へ転校。高等部卒業後は市内の専門学校で3年間、福祉や児童教育を学んだ。
 疲れやすく、肺炎になりやすい。体調管理は極めて難しい。
 「卒業後、本当は障害者施設や幼稚園で働きたかった。でもこの体では就職できなくて。県内企業の担当者からも『無理ですね』と」
 専門学校を卒業した93年春。父の弘治さん(69)は勤務先の会社を辞めて、測量機器などを販売する小さな有限会社をつくった。
 孝一さんは「働き口のない僕を雇うためだった」と思っている。社員は孝一さん一人だけだ。
 カネミ油症になった婚約中の郁子さんを守り、周囲の反対を押し切って結婚を選んだ弘治さん。結婚式の時、「人もうらやむ家庭をつくる」と宣言した父らしい決断だった。
  □………□
 2005年夏。父の会社は倒産し、孝一さんは社会に投げ出された。仕事は見つからない。自分がいかに両親に守られていたか。それを痛感した。
 08年4月からは断続的に、高知市役所で臨時職員として働く。現在は障がい福祉課で事務員として、郵便物の整理や電話応対などを担当している。
 孝一さんは今、どんなことを考えているのだろうか。
 「周囲に支えてくれる人がいる。その気持ちに応えたい。僕のように病気を抱えていると生きづらい。社会は甘えを許してくれない。それでも生きることは素晴らしい」
 カネミ油症の被害者は、事実を隠す人が少なくない。そんな中、母、郁子さんは運動の先頭に立ち、救済制度の創設や患者の未認定問題の解決を幾度も訴え、ひるむことがなかった。
 しかし―。
 郁子さんは今も頻繁に全身が激しい痛みに襲われる。夜、何かの拍子に、死にたい、と思うことがある。
 数年前、車の行き交う自宅近くの道路へふらふら歩み出ようとしたことがある。たまたまそこに孝一さんが出くわし、「おかぁ、何しゆう!」と強く腕をつかんで止めた。母を強い調子で叱った。
 「命は重いんで! ひっとつしかないがで!」
 孝一さんは油症患者の救済を目指す運動を続けていく、という。自分と同じような未認定の「2世」が、日本のあちこちにいるからだ。
 「人には生まれてきた意味がある。僕は油症患者として生まれてきた。これから何ができるのか。カメラマンの夢はしばらくお預けかもしれません」
  《ズーム》
  ◆カネミ油症
 1968年に発生した大規模な食品公害。カネミ倉庫(北九州市)が製造した「米ぬか油」にダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)が混入して、皮膚疾患や手足のしびれ、内臓疾患など人によってさまざま症状を引き起こした。福岡県と長崎県を中心に約1万4千人、本県では309人が被害を訴えた。
 九州大学を主とする研究班の診断に基づき、都道府県が認定した患者は1951人、うち本県は26人(昨年末現在)。認定を受けても、医療費の実費負担分をカネミ倉庫に請求できるだけで、公的な救済制度は今もない。国は研究班に研究費補助などを行うのみで、患者認定には直接関与していない。2007年、九大と福岡県の共同研究によって、認定患者の子どものへその緒から高濃度のPCDFが検出され、油を直接摂取していない胎児への影響も確認された。

油症救済法案提出へ 民自公で合意

2012-03-29 23:13:00 | 公害・薬害・環境・医療問題
*この記事を見ると、かなり前進という気がします。
なんといっても、「法案には現行の患者認定基準の見直しを盛り込む」とのことなので、どこまで未認定の枠に広げるのかに注目。期待したいです。

(本日の西日本新聞の記事)

油症救済法案提出へ 療養手当支給で合意 民自公
 1968年に福岡、長崎両県など西日本を中心に発生した国内最大規模の食品公害・カネミ油症問題で、民主、自民、公明3党は28日、被害者に月額3万円の療養手当や医療費の自己負担分を支給する「ポリ塩化ビフェニール(PCB)摂取健康被害救済特措法案(仮称)」を今国会に提出する方針で合意した。他党にも協議を呼び掛け、近く超党派の国会議員連盟(会長・坂口力元厚生労働大臣)の総会を開いて法案を正式決定する。
 3党の法案素案によると、国や原因企業のカネミ倉庫(北九州市)などで基金を創設。被害者に医療費自己負担分と療養手当、葬祭料を支給する。油症治療の専門医療機関の整備や診断・治療法研究も推進する。
 救済対象を定めるため、法案には現行の患者認定基準の見直しを盛り込む。どう見直すかで対象者数は2千~1万人の幅で変動するため、今後の各党協議で詰める。必要な予算額は年間10億~44億程度を見込む。
 患者の医療費はカネミ倉庫が負担しているが、経営基盤が弱く滞りがちなことから、新たな患者救済を検討する超党派議連が昨年8月に発足。当初はPCB廃棄物特別特措法などを改正し、PCB除去の基金を患者救済にも使えるようにする案を軸に協議したが、環境省が難色を示したため断念し、新たな議員立法を目指す方針に切り替えた。 (坂本信博)

「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の中味・・

2012-03-27 17:22:00 | 公害・薬害・環境・医療問題
あまりマスコミでも国民の間でも議論にならずに「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が国会で成立しようとしているらしいのですが、これは、集会の禁止など、国の権限をやたらと強化するもので、人権の観点からするとかなり逆行した内容のようです。
かつてのハンセン病の歴史の教訓が生かされていないようです。
とにかく、もっと議論が必要なのでは?
参考まで下記のものを紹介します。

木村盛世オフィシャルWEBサイト
新型インフルエンザ等対策特別措置法案は有害無益
(亀田総合病院 小松秀樹)
http://www.kimuramoriyo.com/25-swine_influenza/20120316.html

医療ガバナンス学会
新型インフルエンザ対策特別措置法の成立を憂慮する
http://medg.jp/mt/2012/03/vol443.html#more

国会議員の皆様へ:新型インフルエンザ特措法案は慎重な審議を
http://medg.jp/mt/2012/03/vol440.html#more

テレビ東京、慢性疲労症候群の番組を見て

2012-03-23 21:51:00 | 公害・薬害・環境・医療問題
昨日、テレビ東京系、アンサーという30分のニュース番組の中で、慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)について8分くらいの特集で取り上げられていました。
8分の中に、この病気をめぐる現状がよくまとめられた番組でした。

この放送された番組は下記でしばらくの間は見れるようですので、お知らせします。

慢性疲労症候群「疲労」と呼ばないで
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/lives/post_17646/

あと、関連するものとして、下記のユーストリーム番組も参考までお知らせします。

塚本あかりさん 慢性疲労症候群と繊維筋痛症を語る
http://www.ustream.tv/recorded/20481350/highlight/242155


*以下は、僕が見て思ったことです。
(僕は当事者ではなく、認識に足りないところがあるかもしれませんが・・)

病名については、患者へのアンケートでも「慢性疲労症候群」という病名を変えて欲しいという意見が多かったようで、患者の希望として、病名変更を求めているということのようです。
ただし、もちろん、病名を変更するかどうかは医者側が判断することだと思いますので、患者側は希望として要望しているだけで、患者側が変えることが出来るものでもありません。あくまで、そのような要望が出てくる、問題点があることをまずは認識しないといけないのではないかと思います。

このテレビ東京の番組では「疲労」という言葉が誤解を招くという点にスポットを当てて病名変更を求める声が患者側から出ていると説明していましたが、それもありますが、それだけでなく、「症候群」という言い方にも問題があるのではないかという風に思います。「症候群」というと、何か、病気そのものではなく、病気のようなもの・・という風に受け取られてしまいかねないですから。

また、病名変更をするとして、どのような病名に変更するのかということですが、「筋痛性脳脊髄炎」という病名にした場合、この病名の症状として現在、考えられている症状がいくつか、あるのですが、現在、「慢性疲労症候群」と診断されている人達の中には、この「筋痛性脳脊髄炎」の症状がピッタリ一致する方達もけっこういるようです。なので、変更する病名の案としてまず第一に出ているのだと思われます。
しかし、注意しないといけないことは、現在、「慢性疲労症候群」と診断されている方達で、この「筋痛性脳脊髄炎」の症状とされるものと症状が一致しないという方達もいるらしいということです。
というのは、どうも、そもそも「慢性疲労症候群」という病気に対する定義、診断が、医者によって異なることもあるようで、もしかしたら、違う病気かもしれないものを、一緒にして「慢性疲労症候群」と診断している可能性もあるということなのです。つまり、「筋痛性脳脊髄炎」の方と、そうではない、違う病気の方とが、いずれも「慢性疲労症候群」という風に医者から診断されている可能性があるのです。
この点で、病名変更を求める患者の声が多い(そうした声が患者側から出てくるということは、「慢性疲労症候群」という病名には問題点があるようである)ということはまず認識しないといけないかと思うのですが、それではどのような病名に変更するのかということでは、今後、慎重な議論が必要なように思います。(たとえば、案としては、ひとつだけの病名に変更するのではなく、いくつかの病名のものに振り分ける形で変更するといったやり方もあるかもしれません。)

以上が病名の件についてざっと思ったことですが、とにかく、現状で認識しないといけない大事なことは、どのような病名であったとしても、この「慢性疲労症候群」と言われている疾患は、精神的な疾患ではなく、身体的な疾患なのだということだと思います。たとえば、「うつ病」などとは違い、身体的な疾患として「慢性疲労症候群」という病気があることを社会がまずは認識することが大切なことなのではないかと思われます。