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地球が回ればフィルムも回る(gooブログ)

『食卓の肖像』『悠久よりの愛 -脱ダム新時代』などを制作した記録映像作家、金子サトシのブログ。

トランプと沖縄の在日米軍撤退

2016-11-18 00:34:00 | 時事問題
トランプが沖縄の在日米軍を撤退するという話をすんなり真に受けられないというのはもっともであるが、しかし、それに対して、左翼の側からそんなことにはならないだろう、結局、むしろ、日本側の米軍への思いやり負担をさらに増やせという話になるだけだろうと指摘することに積極的な意味があるとは思えない。なぜなら、左翼の側は辺野古基地反対、沖縄の在日米軍撤退を、とこれまで言ってきたのだから、トランプがそれを主張するならそれに便乗してそのことを訴えるのが筋であるはずなのに、トランプが言うのは信用ならないとばかり言うのであれば、左翼のやつらはころころ言うことを変えているなあと言われるだけだし、実際にそう言われている。
ここは、戦略として、トランプの言葉を心底から信じているわけではなかったとしても、トランプが沖縄の在日米軍を撤退すると主張するのならそれに便乗してそのことに賛同するべきだろう。
しかし、右翼の側からもそれに賛同する意見があるが、それは在日米軍撤退、いいだろう、それなら日本は自衛隊が守ることにして、さっさと憲法を変えて自衛隊をさらに増強しようという考えなのだろう。左翼の側はそれにも反対であるわけだが、そうすると、左翼の側の主張は、沖縄の在日米軍撤退が実現して、なおかつ、憲法を変えて自衛隊を増強しなくても、現在の世界秩序を守る、日本の平和を守ることは可能であるという考えだと言えるだろう。そう考えるのあれば、本当にどうすればそのようなことが可能なのか、きちんと考え、人々を説得できる論理を身につけていかないといけないのだろう。

日本国憲法の憲法9条は世界の憲法の中で決して孤立した条項ではなかった!

2016-02-24 21:53:00 | 時事問題
日本国憲法の憲法9条は世界の憲法の中で決して孤立した条項ではなかった!
いまさらだが、衆議院憲法調査会事務局、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成 15 年 7 月 3 日の参考資料)の、
「日米安保条約
「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について~自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」
に関する基礎的資料」

をじっくり読んだら、そういうことが明記されていた。(←ただし、そう明記していると読むかどうかは読み方にもよるかも。私はそう読んだ。)
とても、興味深い。
以下、引用します。

(引用)
  歴史上いつの時代にも武力紛争が存在し、20 世紀における二度の世界大戦を経た後もなお絶えない現実がある一方で、これまで、国際社会や諸外国において、戦争の廃絶と平和の確保に向けた努力が積み重ねられてきた。このような努力が法文化された古い例として、1791 年フランス憲法の「フラン
ス国民は、征服を行う目的でいかなる戦争を企図することも放棄し、また、
その武力をいかなる国民の自由に対しても使用しない」との規定を挙げるこ
とができる。その後、このような「征服のための戦争」又は「国家の政策の
手段としての戦争」の放棄を定める規定は、フランス第 4 共和国憲法(1946
年)、イタリア共和国憲法(1948 年)、ドイツ連邦共和国基本法(1949 年)、大韓民国憲法(1972 年)等の諸外国の憲法や、ハーグ平和会議(1899 年・1907 年)、国際連盟規約(1919 年)、不戦条約(1928 年)、国際連合憲章(1945年)等の国際条約に盛り込まれるようになった。
 これらの諸外国の憲法や国際条約と日本国憲法とを比較して、学説の多数説からは、前者は、侵略戦争の制限又は放棄に関わるものにとどまっていのに対し、後者は、戦争違法化の国際的潮流に沿ったものであると同時に、
①侵略戦争を含めた一切の戦争、武力の行使及び武力による威嚇を放棄した
こと、②これを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、③国の交戦権
を否認したことの 3 点において徹底した戦争否定の態度を打ち出し、際立っ
た特徴を有していると評価されている。他方、現在、150 近くの国家の憲法
において、下表のような形で類型化されるいわゆる「平和主義」条項が設け
られており、日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特
異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する。
  <世界の現行憲法における「平和主義」条項の類型>
類    型 国数 主な国(カッコ内は根拠条文)
平和政策の推進 48 インド(51)、パキスタン(40)、ウガンダ(前文)、
アルバニア(前文)等
国際協和 75 レバノン(前文)、バングラデシュ(25)、ラオス(12)、
ベトナム(14)、フィンランド(1)等
内政不干渉 22 ドミニカ(3)、ポルトガル(7)、中国(前文)、ウズ
ベキスタン(17)、スーダン(7)等
非同盟政策 10 アンゴラ(16)、ナミビア(96)、モザンビーク(62)、
ネパール(26)、ウガンダ(28)等
中立政策 6 オーストリア(9a)、マルタ(1)、カンボジア(53)、モ
ルドバ(11)、カザフスタン(8)、スイス(173・185)
軍縮の志向 4 バングラデシュ(25)、アフガニスタン(137)、モザ
ンビーク(65)、カーボベルデ(10)
国際組織への参加又は国家権力の一部委譲 18 ノルウェー(93)、デンマーク(20)、ポーランド(90)、スウェーデン(10-5)、アルバニア(2)等
国際紛争の平和的解決 29 カタール(5)、ガイアナ(37)、ウズベキスタン(17)、キルギス(9)、中央アフリカ(前文)等
侵略戦争の否認 13 ドイツ(26)、フランス(前文)、バーレーン(36)、
キューバ(12)、韓国(5)等
テロ行為の排除 2 チリ(9)、ブラジル(4)
国際紛争を解決する手段としての戦争放棄 5 日本(9)、イタリア(11)、ハンガリー(6)、アゼルバイジャン(9)、エクアドル(4)
国家政策を遂行する手段としての戦争放棄 1 フィリピン(2-2)
外国軍隊の通過禁止・外国軍事基地の非設置 13
ベルギー(185)、マルタ(1)、アンゴラ(15)、フィリピン
(18-25)、アフガニスタン(3)、モンゴル(4)、カーボベル
デ(10)、リトアニア(137)、カンボジア(53)、モルドバ
(11)、ウクライナ(17)、ブルンジ(166)、アルバニア(12)
核兵器の禁止・排除 11
パラオ(Ⅱ3)、フィリピン(2-8)、ニカラグア(5)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、コロンビア(81)、パラグアイ(8)、リトアニア(137)、カンボジア(54)、ベラルーシ(18)、ベネズエラ(前文)
軍隊の非設置 2 コスタリカ(12)、パナマ(305)
軍隊の行動に対する規制 30 アメリカ(修正 3)、メキシコ(16・129)、ボリビア(209・210)、パプアニューギニア(189)、ザンビア(100)等
戦争の煽動・準備の禁止 12 ドイツ(26)、ルーマニア(30)、スロベニア(63)、トルクメニスタン(28)、ベネズエラ(57)等

(引用、ここまで。)

以下が私の感じたこと。
日本国憲法の憲法9条とまったく同じ条文ではなくても、世界の多くの憲法で、「侵略戦争の制限又は放棄」などの平和主義の条項はもうけられているのだ。日本国憲法第9条は、こうした世界の憲法の流れの中でうまれた条項なのであり、決して世界の憲法の中で特異な条項ではないのではないか?
ここに書かれているように、
「日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する。」
のである。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi033.pdf/$File/shukenshi033.pdf#search='%E6%86%B2%E6%B3%95+%E4%BE%B5%E7%95%A5%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%90%A6%E5%AE%9A+%E4%B8%96%E7%95%8C

SEALDsの奥田愛基さんの8月15日の書き込みに触れて

2015-08-17 20:46:00 | 時事問題
SEALDsの奥田愛基さんの、「8月15日は、この国が君主、王様とか一人の偉い人に全てを任せるんじゃなくて、民主国家として歩み始めた」という書き込みに、ネトウヨ中心に批判がけっこうある模様。
この歴史観は、左翼的には全然、ありのものだと思うし(僕自身はちょっと異なる見解を持つが)、やはり僕のSEALDs擁護の考えになんら変更はないんだけれども、まさに、右と左の歴史観の違いの重要な論点に触れたものなのかなと思う。
なので、僕自身の考えをおさらいしておきたい。
昭和天皇に戦争責任はなかったという主張の論拠は、大日本帝国憲法の第55条なのだが、第55条の条文に照らすなら、戦争責任はあるとすれば昭和天皇ではなく国務大臣にあることになるのではないかということだろう。
それに対して、左翼の側からは、第55条があるとは言っても、統帥権が天皇にあったのならやはり天皇に責任があったのではないかということを主張しているわけだが、この左翼的な見方も最初に書いたように「全然、あり」だと思うのだけど、ただそれでは第55条の条文はどうなるのか、立憲主義を主張しているはずの左翼が条文を無視して言うのなら理屈にあわないのではないかという批判が成立し得るのかなとも思う。
実態として戦前の日本の国のあり方はどうだったのかということもあるけど、実態としても、美濃部達吉氏の天皇機関説が戦前に問題になったけど、実はこの天皇機関説が正しくて、天皇ではなく軍部が暴走して戦争を始めたのだという見方もあるのではないかと思う。そうするとやはり昭和天皇の戦争責任は問えないのではないかと。
ここらへんの右と左の歴史の解釈の違いでこうした見解の相違がうまれているわけだが、で、僕の見解はどうなのかと言うと、大日本帝国憲法はたしかに立憲主義によるものではあるし、昭和天皇に戦争責任が帰結するとは言えないのではないか、天皇制は君主制とは違うのではないかといった右側の解釈の理屈も成り立つところがあるのかなあとは思うのだけど、しかし、僕としては、むしろ、君主制というのとはちょっと違って、立憲主義の憲法がありながら同時に天皇に統帥権があったという、二重構造的な体制の「天皇制」というものを持ち得たところに、逆にこの日本という国のあり方の独特の恐さがあるのではないかなあという風に思う。
僕は、この日本という国を愛するかどうかというより(自分に愛国心があるのか、ないのかと言われると正直、よく分からない…)、この日本という国のあり方が恐いなあと思う…というのが正直な気持ちなのかなあ…。
(この一文、右からも、左からも、理解されないものでしたら、どうもすみません!)

フランスのデモに感じる違和感について

2015-01-15 23:40:00 | 時事問題
フランスのデモ、何百万人も集まったというのは凄いなとは思うんだけど、各国首脳が集まり、各国首脳が先導するデモというのは違和感がある。
そもそもデモというのは、権力がやっていることに対して、これは違うなと異議申し立てをしたいようなことがあった時に、市民の側が意思表示として行うものではないのだろうか。各国首脳が集まって、権力の側が主導して、国歌を歌いながらのデモというのはなんか、違うのではないか。
政府が呼びかけたわけではなく、自発的に、市民が集まって、それが何百万人にも膨れ上がったということなら素直にフランスは凄いなと思えるのだけど、どうも今回は違和感を感じてしまう。
下手すると、権力側に都合がよい方向、たとえばテロとの戦い(戦争)のために団結しようみたいな方向に行かないかという気もしてきてしまう。テロはもちろん言語道断だが、テロとの戦いというのが「戦争」になってしまってももちろんいけないわけで、市民の側としては、テロにも反対だし、「戦争」という形でのテロとの戦いにも反対という立場でなければいけないのではないだろうか?
ということは、テロにはもちろん反対だが、「戦争」という形でのテロとの戦いもいけない、「戦争」という形ではなく平和的なやり方でテロとの戦いをしていかないといけないという理屈になるかと思うのだが、このように書くのは簡単なのだが、実際のところ、それはどうすればいいのかと言うと、難しい問題で、実は僕も明快には答えられないのだけど…。
なので、結局、自分自身の考えがよくまとまらないまま、この文章を書いているわけで、自分でも俺も優柔不断だなあとは思うんだけど、とにかく、これはなんか、ちょっと違うのでは…という違和感をどうも感じるということを書いておきます。

アベノミクス考

2014-12-18 23:44:00 | 時事問題
アベノミクスについて、あるメーリングリストで議論をしていて自分なりに考えがまとまったので書き留めておきたい。
まず、大きな流れとしては、小泉政権の、新自由主義的な、「小さな政府」の方向への揺り戻しとして、「大きな政府」が出てきて、国家主義的な方向に回帰しているという見方は出来るのかもしれないと思う。
小泉政権のおこなったことをざっくばらんに整理すると、いわゆる新自由主義の考え方というのは市場の経済活動はなるべく政府が介入しないで企業に自由にさせたほうが活発化していいという考え方で、そのため、「小さな政府」で、規制緩和して企業に自由にさせた。規制緩和され企業間の競争が熾烈になるということは、価格のデフレの競争が熾烈になるから、そのために企業は人件費を切り詰め、非正規社員が増えたり、ブラック企業化したりしていった。これを、小泉氏は「痛みなくして成長なし」と言っていたのだが、ところが、デフレ競争が進みすぎていつまでも不況を脱出できない悪循環になり、「痛み」ばかりで「成長」がいつまでもなかった。
この小泉政権の「小さな政府」に対する揺り戻しとして安倍政権の国家主義的な「大きな政府」が出てきているのだと考えると、アベノミクスという経済政策は新自由主義的な「小さな政府」とは別方向のものであり、アベノミクスの金融緩和政策は新自由主義とは異なるケインズ主義的な政策であると言えるのかもしれない。
しかし、アベノミクスの問題点は、第一の矢、第二の矢はケインズ主義的な政策なのだが、第三の矢は新自由主義的な政策であり、ケインズ主義的な政策と新自由主義的な政策がごっちゃになっているように考えられる点ではないか。
つまり、金融緩和政策はケインズ主義的な政策なのだけど、国家戦略特区の構想を見ると、国家戦略特区は大まかには国家戦略として行うものなので「大きな政府」が行うものとも言えるのかもしれないが、その中身はより規制緩和して企業間に自由に経済活動をさせるもので新自由主義的な政策であり、小泉氏が進めてきた方向へのアンチどころか、さらに進めるものという見方ができるのだ。
私は金融緩和政策自体は有効性を持つところがあるかとは思う。
とにかく、デフレから脱却して、不況を脱出しなければならないということは言えると思うし、そのためにまずインフレを起こして景気を回復する必要があるというのはまったく間違った考え方だとまでは思わない。
しかし、インフレで物価が上がるのなら、同時に労働者の賃金も上がっていくのでなければならない。物価が上昇していけばやがては賃金も上がっていくのではないかとは思うが、たとえば数年先に物価が2倍になり、賃金が1.5倍になると想定すると、実質賃金は下がることになってしまう。物価の上昇に追いつくだけ、賃金が上がらなければその人にとって景気が回復したとは言えない。
特に、ギリギリで生活をしている低所得者層にとっては実質賃金が下がるのは厳しいし、金融緩和政策を行い、インフレを起こすのであれば、同時に、低所得者層がさらに実質賃金が下がって、さらに格差が広がるようなことにならないようにする格差是正の政策が必要なのではないだろうかと思う。
なのに、安倍政権は、格差是正どころか、第三の矢として新自由主義的な政策を掲げていて、消費税増税も行うようであり、ますます格差を広げる政策を行うようなのだ。これではやはりトータルに考えて安倍政権の経済政策は危ういのではないかと思えるのだが。