早稲田松竹でサタジット・レイ監督の2本、『ビッグ・シティ』(1963年)『チャルラータ』(1964年)。サタジット・レイ最高傑作と言われる『チャルラータ』をこれまで見てなかったのは不覚だった。
サタジット・レイが生真面目な映画作家…だなんていうのは、どこの誰が作った伝説なんだ!と思わずにはいられない、なんとも荒唐無稽な、不倫メロドラマの傑作。ヒロインの人妻のマドビ・ムカージー(インドの吉永小百合と言うべき)が双眼鏡を手にしていたり、トランプとか、この映画、ディテールが妙と思って見ていると、家の中なのになぜか嵐がやってきて、傘を手にした文学青年が登場するシーンで、この映画が尋常ならざる映画であることが確定になる。そういえば、ウェス・アンダーソンが大好きな映画としても『チャルラータ』は知られているのだが、それも納得の、オーバーラップの印象的な使い方を含めて、まるでダニエル・シュミットが影で微笑んでいるかのような、荒唐無稽なメロドラマの傑作だ。サタジット・レイがこういう映画作家でもあったことを人類は発見し直すべきだろうか。
同時上映された『ビッグ・シティ』を見ると、『チャルラータ』がどうしてうまれたのか、レイが何を考えていたのかの背景も分かるようで、さらに興味深い。
おそらくインドのミュージカル映画があまりにもとんでもないものが多かったから、その対比でうっかりレイの映画は生真面目なインド映画なんて言われてしまったのだろうが、ミュージカルシーンはほとんどなくても、『ビッグ・シティ』『チャルラータ』の2作ともバックの音の使い方は実にユニークで、ちょっとほかの映画にはない荒唐無稽な域に達しているし、音の面だけでもレイが生真面目な映画作家などではなかった、実に豊かな映画作家であったことは改めて考えてみないといけないのかもしれない。
サタジット・レイが生真面目な映画作家…だなんていうのは、どこの誰が作った伝説なんだ!と思わずにはいられない、なんとも荒唐無稽な、不倫メロドラマの傑作。ヒロインの人妻のマドビ・ムカージー(インドの吉永小百合と言うべき)が双眼鏡を手にしていたり、トランプとか、この映画、ディテールが妙と思って見ていると、家の中なのになぜか嵐がやってきて、傘を手にした文学青年が登場するシーンで、この映画が尋常ならざる映画であることが確定になる。そういえば、ウェス・アンダーソンが大好きな映画としても『チャルラータ』は知られているのだが、それも納得の、オーバーラップの印象的な使い方を含めて、まるでダニエル・シュミットが影で微笑んでいるかのような、荒唐無稽なメロドラマの傑作だ。サタジット・レイがこういう映画作家でもあったことを人類は発見し直すべきだろうか。
同時上映された『ビッグ・シティ』を見ると、『チャルラータ』がどうしてうまれたのか、レイが何を考えていたのかの背景も分かるようで、さらに興味深い。
おそらくインドのミュージカル映画があまりにもとんでもないものが多かったから、その対比でうっかりレイの映画は生真面目なインド映画なんて言われてしまったのだろうが、ミュージカルシーンはほとんどなくても、『ビッグ・シティ』『チャルラータ』の2作ともバックの音の使い方は実にユニークで、ちょっとほかの映画にはない荒唐無稽な域に達しているし、音の面だけでもレイが生真面目な映画作家などではなかった、実に豊かな映画作家であったことは改めて考えてみないといけないのかもしれない。