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地球が回ればフィルムも回る(gooブログ)

『食卓の肖像』『悠久よりの愛 -脱ダム新時代』などを制作した記録映像作家、金子サトシのブログ。

村瀬 学『自閉症』(ちくま新書)

2006-07-24 00:12:40 | 障害者問題・教育問題
村瀬 学『自閉症 これまでの見解に異議あり!』(ちくま新書)。
新書なので読みやすいかなと思って手にしたのだけど、新書のわりには随分、哲学的な論考の本だなあという印象。
自閉症の人間を特殊な人間としてとらえないで正常とされている自分たちと地続きの人間なのではないかという観点から考察しているよう。
そもそも「おくれ」というのはなんなのか? 最初から遅れていない人間なんているのだろうか? 誰もが必死で勉強したり情報を集めたりして遅れないようにしているのではないのだろうか?
そんなところにまで議論が行き、哲学的論考としては興味深いものであった。
あの山下清の実像を分析した記述も興味津々。
ただこの本、実際の自閉症の人の治療などに役立つものなのかなあという疑問は持ったが。この本の中で、自閉症の人に対して実際に行なわれている治療法が、自閉症の人間を特殊な人間としてみることを前提にしているという観点から批判されているのだけれども、批判するのはいいのだが、それに変わる新しい治療法を提示しているわけではないようだし、そうすると実用性に結びつかない議論のような気もしてきてしまう。自閉症の人間を特殊な人間としてみないでともに生きる社会にしていこうということを提起しようとしているのかもしれないが、浅草レッサーパンダ事件の話を最後の方に持ってきているのはそうした意図かとは思うのだけど、それでは具体的にどういう社会システムをつくっていけばいいのかということまでは提起していないようだし。
副題に「これまでの見解に異議あり!」とついているので、問題提起の本としてこの著者は書いたのかもしれない。

介護費用が高額になるというのは「思い込み」なのか?

2006-07-22 17:28:37 | 障害者問題・教育問題
*以下の記事だけど、「思慮が足りない」犯行であったことはたしかかとは思うが、「何ら根拠なく介護費用が高額になると思い込んだに過ぎず」という、介護費用が高額になることが単に「思い込み」であったと判決で決めつけたのは、そっちのほうが裁判官の「思い込み」による間違いなのではないかと思えてならない。
障害者自立支援法が施行されれば介護費用が高額になるのは「思い込み」ではなく客観的な事実ではないのか?
(注・ネットでの議論を読んだら、担当の市役所が「国基準よりも上限額の低い独自施策を準備していた。だから思い込みだ。」と証言したのでこうした判決になったらしい。だとしても、その施策が公表されたのは事件が起こった後であり、単に「思い込み」ではなく現実的な問題に悩んでこうした事件を起こしたのだと考えるべきではないだろうか?)

(ニュース)
介護疲れで次女を殺害した母親に懲役5年 福岡地裁
 福岡市中央区の自宅で今年3月、身体障害者の次女(当時27)を殺害したとして、殺人罪に問われた吉岡美佐子被告(53)に対する判決公判が20日、福岡地裁であった。鈴木浩美裁判長は「独りよがりな思い込みから将来に絶望した結果の犯行で、余りにも思慮が足りないと言わざるをえない」と述べ、懲役5年(求刑懲役7年)を言い渡した。
 判決などによると、吉岡被告は3月11日午前5時50分ごろ、寝室で寝ていた次女の首を電気コードで締め付けて殺害した。その後カミソリで自分の両手首を切り、腹を包丁で刺して自殺を図った。
 弁護側は動機について、4月の障害者自立支援法施行などで家計に負担が増えると思い込んだうえ、長年の介護疲れが重なり将来を絶望視したためなどと主張し情状酌量を求めていた。これに対し鈴木裁判長は「何ら根拠なく介護費用が高額になると思い込んだに過ぎず、特にくむべき事情ではない」と退けた。
 一方で、被告が次女の回復を生きがいとして献身的に介護を続けてきたことを指摘。「被害者に対する強い愛情を持ち、被害者と自分を同化させていたからこそ起こった犯行であることは否定できない」と述べた。
(asahi.com 2006年07月20日11時49分)

ベトちゃん、ドクちゃんは今

2006-01-31 16:30:45 | 障害者問題・教育問題
*今日の「赤旗」にベトちゃん、ドクちゃんの今を伝える記事が出ていた。まとまったものだったので転載。

(2006年1月31日、しんぶん赤旗)
米軍による枯葉剤被害者 ベト君、ドク君はいま…
「ベトちゃん・ドクちゃんの発達を願う会」代表 藤本文朗さんのベトナム訪問記

 一九八五年に、誕生したボランティア団体「ベトちゃん・ドクちゃんの発達を願う会」は、昨年末、二十四歳になったベト君、ドク君に会うため、ベトナム・ホーチミン市を訪ねました。会の代表、藤本文朗さん(大阪健康福祉短期大学教授)の訪問記を紹介します。

三輪バイクを一人で操って
 昨年末、私たちは久しぶりに、ベト君、ドク君を訪ねました。
 厳しい冬の季節の日本を出発し、暑いホーチミン市トンニャット空港に降り立つと、にぎわう空港出口で松葉づえのドク君が、タン医師やヤン医師とともにわれわれを迎えてくれました。アメリカのベトナム侵略戦争の中で、アメリカが使用した枯れ葉剤の結果と思われる結合双生児であった二人の命は、分離手術ののち、元気に生き永らえてきました。
 弟のドク君は、日常生活においては、器用に松葉づえを使い、ホーチミン市内では三輪バイクを一人で操り活動しています。ホーチミン市のツーヅー産婦人科病院の事務職員となって三年になります。ボランティア活動として、ホーチミン市枯れ葉剤被害者の会やハンセン病友の会の仕事もしています。日本からの訪問者には、パワーポイントを駆使して病院の説明をするなど大変忙しい毎日を送っています。
 兄ベト君については、いまどうしているか日本ではあまり知られていないようですので、ここで少し詳しく述べます。

手厚い看護を受けながら…
 結合双生児時に脳症にかかり、日本に来て治療を受け、一命を取り留めましたが、重症児になりました。分離手術後も、首が据わらず、話し言葉もなく、寝たきりの状態で、排せつはカテーテルを通してなされています。「ベトちゃん・ドクちゃんの発達を願う会」は、このカテーテルセットを日本から贈り続けています。
 ベト君の日常生活は、朝五時に目覚め、介助によって流動食(四百cc)を食べ、シャワーを浴び笑顔もでます。人の声や音の方に顔をむけ、オルゴールを聞かせると気持ち良さそうにうとうと眠ります。夜九時に眠ります。このようにツーヅー病院で手厚く介助されています。ツーヅー病院平和村にはこのような障害児が六十数人入院し、介助を受けて生活しています。
 クリスマスの日、ここを訪問した私たちは、子どもたちにクリスマスケーキやマジックをプレゼントして一緒に楽しみました。

介助福祉士など養成の課題も
 今回のベトナム訪問のもう一つの目的は、私が勤めている大阪健康福祉短期大学(介護福祉学科)とホーチミン市幼児師範学校との学術交流協定の調印をすることでした。
 この調印式のなかで、ベトナム側から出されたのは、今後ベトナムでも介護福祉士などのスタッフの養成を行いたいということでした。ベトナムでも最近都市化がすすむなかで、核家族が増え、今までのベトナムの常識であった親の介護は家族の義務ということが通じなくなってきつつあるということでした。
 ベトナム統一三十周年、日本・ベトナムの友好をさらに発展させるために、新たな課題も見えてきた訪問でした。

子供の障害案じて小中学校に通わせなかった親の複雑な感情

2005-12-07 12:01:08 | 障害者問題・教育問題
*詳細は分からないけど、もしかして母親も高機能自閉症だったんだろうか?
それにしても、そういう子供がいることを行政は把握していたわけだから何も出来なかったのだろうか?
学校に来ないのなら(「恥ずかしかった」ということだけど、それだけではなくていじめられたりするかもしれないわけだし、学校に行けないということの事情はある程度、分かる気はします)、特別に家庭教師を派遣するっていうぐらいのことをすればいいのに。義務教育って言うならそこまでするべきだと思う。

(ニュース)
<福岡少女軟禁>子供の障害案じる親の複雑な感情
 福岡市博多区の母親(40)が二女(18)を小中学校に通わせず、11年以上自宅に閉じ込めていた問題で、二女は幼児期に一時保育所に通っていたことが分かった。保育生活になじめず中途退所。二女への傷害容疑で母親を逮捕した博多署は、退所を契機に自宅で養育しようとしたとみている。「(障害による)発達の遅れが恥ずかしかった」と母親が挙げた理由は、行政や教育現場、地域社会にさまざまな課題を投げかけ、子供の障害を案じる親の複雑な感情も浮かび上がった。【米岡紘子、井上俊樹、取違剛】
■訴訟恐れ放置
 虐待の恐れがある場合、児童相談所は児童福祉法などに基づき家庭への立ち入り調査、児童の保護ができる。しかし、二女にはその措置は取られなかった。
 福岡市教委や学校、福岡市こども総合相談センター(児童相談所)は01年9月に二女への対応を協議、立ち入り調査も検討した。虐待があったと確認できず、調査に踏み込めなかった。同センターは「調査して虐待がなければ、訴えられる恐れもある」と釈明する。そして、センターは二女が中学卒業の年齢に達すると、完全に放置した。
 福岡県警幹部は「行政や学校、民生委員などが本当に連携していたのか」と不信感を隠さない。
■付き合いなし
 二女の家族は父母と姉、兄の5人。姉と兄は独立し、今は父母と3人で市営住宅に暮らしていた。近所付き合いはほとんどなく、同じ団地の住民は「(二女がいるのは)全く知らなかった」と口をそろえる。
 二女が小学3~4年時のころ、民生委員が訪問、母親から「ちゃんとやっているので問題ありません」と言われ、何も出来なかったという。住民の一人は「今回のような家庭を住民同士でフォローするのは無理で、行政や学校が積極的に働きかけないとだめだ」とつぶやいた。
■愛情あった?
 福岡市自閉症児者親の会の伊丹健次郎会長は、母親がドリルなどを買って読み書き、計算を教えていた点を挙げ、「二女への愛情はあったのでは」と思いやった。同会会員の中には、子供の障害を苦に無理心中を考えた人もいる。「母親が引っ込み思案だったのかもしれない。『障害も個性』と言える社会になれば、こんな悲惨なことも起きなかったのではないか」と伊丹会長は指摘する。
 二女のように、教師が一度も会えない児童生徒は福岡市には他にないという。それでも、福岡県教委が04年に実施した小中学生の不登校状況調査で、30日間の調査中に児童生徒に教師らが面会できなかったケースは14.1%に上る。このため、市教委は虐待の有無が不明でも立ち入り調査できるかどうかの検討を始めた。
(毎日新聞) - 12月7日11時6分更新