水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

手に入らないものは・・・

2017-05-21 02:10:10 | 絵とか
絵を描いて発散するって偉い人が言ってた。
というわけで、現実逃避もかねてマウスで絵を描いてみました。
海兵隊歩兵一等小銃射法教授課軍曹礼服のラフ画です。

分かる人には分かる構図。
日本海軍軍装図鑑の「海兵隊伍長副略服」の構図をパクって模写しました。
自力で描ける様に練習せねば。


海兵隊夏服について

2017-05-17 21:44:59 | 服制
今日は人生で初めて国立公文書館に行ってきました。
いやぁ、凄いですね。
明治時代の原本を素手で触れるんですから。
写真を撮っている間、ニヤニヤが止まりませんでしたよ。
海兵隊服制のカラー版と、明治3年陸海軍服制、アジ歴には掲載されていなかった海兵隊服制に関する法令など、予想以上の収穫でした。
カラー版が手に入ったことだし、これで士官についても語れます。
というわけで、本日の話題は海兵隊夏服についてです。

こちらはおなじみ海兵隊服制下より、海兵隊曹長夏服です。

曹長に限らず、海兵下士以下夏服は腋章(袖の山型模様)が階級ごとに変わるだけで他は共通です。
H29.10.25追記:
明治10年改正の軍楽隊服制には、夏服の腋章は水色線と明記されているため、海兵下士以下夏服の腋章も同様であったと考えられます。

この海兵下士以下夏服、以前から肩章の色が気になって仕方が無かったのです。
服制図では肩章は水色の線で描かれています。
服の輪郭も同じ色で描かれていることから、恐らく肩章も白色だろうと見当は付いていたのですが、確実な資料が無く、断言する事ができませんでした。
ですがその答えは、海兵隊旗を調べるためにたまたま請求した資料に載っていました。
明治7年6月8日に布告された文書より一部抜粋します。

~以下、資料より抜粋(但:前記事ニ同ジ)~
海兵士官炎暑の際は、略服に白リンネルを用ゆ。下士以下は肩章も白色を用ゆ。
当省海兵士官、一般夏服の儀、上服「紺薄色」相用い候ところ、炎熱の間は略服に白リンネル相用い申し候。
下士官以下夏服肩章、浅萌色相用い候ところ、前条の如く白服を用い候間は、肩章も白色相用い申し候。
~中略~
砲歩兵隊ならびに楽隊へ従前相渡し候夏服肩章、浅黄色に候ところ、自今白紐に相改め候。
~以下略~

これで、夏服肩章が白紐である事が証明されただけでなく、礼常略服の肩に付いている赤黄色の物体が肩章であるという証明にもなりました。

そして海兵士官以下は夏季の間、日焼け帽子のため常帽に帽覆いを着用するのですが、明治9年5月14日布告の別資料により、その覆いに「帽垂れ」が追加されている事が判明しました。
とはいえ、年代的に見て実際に着用していたかは分かりませんが。


幕府陸軍伝習隊に似た雰囲気ですね。

さて、抜粋をよく読んで下さった方はお気付きかと思いますが、この文書にはなんと海兵士官の夏服についての記述も存在しているのです!

さて、そもそもの海兵士官略衣は、陸軍の肋骨服に似た形をしておりますが、生地が紺羅紗製なのです。
つまり、真夏にはとても着れた物じゃないという代物だったのです。
そこで、「海兵士官にも猛暑日用の夏服を作りましょう」ということになったのです。
その夏服がこちら

ちくしょう また しろくろ じゃないか!
まあ、普通に考えて飾り紐も白色でしょうけどね。

以上、海兵隊夏服についてでした。
今度公文書館に行くときは、時間のある日に行きたいですね。(午前中は大学でした)

海兵隊で使用していた小銃についての続き

2017-05-16 00:07:01 | 装備品
以前の記事において、海兵隊でマルティニー・ヘンリー銃について軽く触れましたが、新しい資料を発見できたので記事にしたいと思います。
まず結論から言うと、マルティニー・ヘンリー銃は海兵隊では採用されていなかったと見て問題ないと思われます。
「あれっ、Wikipediaには使ってたって書いてあるよ!?」と思われた皆さん。確かにマルティニー・ヘンリー銃は使用されていました。
海軍では。
といいますのも、今回発見した2つの資料は海兵隊廃止後の明治9年以降の書類で、これ以前の水兵本部および海軍省の資料には、同銃が海兵隊で使用されていたという記述が一切無いのです。
以下に、根拠とした資料の題名と抜粋、私の考察を記します。

資料一「往入十二 海軍使用小銃確定の件東海鎮守府上甲」
これは東海鎮守府司令長官 伊藤祐麿少将が、明治9年9月29日に海軍大臣 川村純義に宛てた上申書で、その中に以下の記述がありました。

~以下資料より抜粋(但しカタカナ及び一部の漢字をひらがなへ変更し、句読点を挿入してある)~
現今(げんこん、現在と同義)所轄の艦船にて使用致し候小銃は「スナイダ(スナイドル銃)」並「ヘンリー、マーチ子ー(マーチネー)」の両種にして
 ~中略~
追而(おって、追記と同義)両種の小銃相用いたし候内「スナイダ」銃その多きにいたり、独り清輝艦のみ「マーチ子ー」銃お渡し相成り居たし候
 ~以下略~
~抜粋終わり~

この資料は、ざっくり言うなら「スナイドル銃とヘンリー銃が混在してるから、どっちかに決めてくれ」という上申書です。
これに対する回答は「往出第六十五号の通り~略~」でした。
この往出第六十五号とは以下に示す文章のことで、ざっくり言うと「海軍の制式小銃は当分の間スナイドル銃とする」です。

海軍省 明治9年公文備考徃出巻14自1至170
海軍大輔 川村純義 明治9年10月13日
海軍省 東海鎮守府 軍務局
「明治9年公文備考往出巻14自1至170
 海軍使用之小銃従来区々ニ候処当分スナイトル銃ト相定候条此旨相達候也
 明治九年十月十三日
 海軍大輔 川村純義
 東海鎮守府司令長官海軍少将 伊東祐麿殿
 軍務局長海軍大佐 林清康殿
 兵学校長海軍大佐 松村淳藏殿
 兵器局副長海軍少佐 末川久敬殿
 往出第六十五号 原因ハ往入第十二号ニアリ」

資料二「軍二套第三十五号 マーチニーヘンリー銃操法書印刷之義上申」
こちらは明治11年1月31日に軍務局長 海軍大佐 林清康が海軍大臣代理に宛てた上申書で、その中に以下のような記述がありました。

~以下資料より抜粋(但し同上)~
従来諸艦船へ御備付のスナイドル銃を廃し、更にマーチニーヘンリー銃御備付可相成(相成るべく)見込については、右銃の操法書、元海兵隊規則取調掛において
 ~以下略~
~抜粋終わり~
ここでは紹介しませんが、海軍省は明治10年、陸軍省の倉庫に大量のマルティニヘンリー銃と同銃弾薬を預けており、同年に「入用に付」受け取っています。

以上の事から、海兵隊において制式採用された小銃はスナイドル銃、短スナイドル銃、砲兵用としてミニエー銃の三種類(ミニーヘル銃というのがスナイドル銃のことであった場合は二種類)で間違いないと言えるでしょう。
もし使っていたとしても、同銃が配備された艦の海兵などの一部部隊であったと思われます。
ちなみに資料によっては「短尾栓銃」という記述があるのですが、ミニエー銃のことでしょうかね?
明治の資料は書き手によって表現方法が変わるのが厄介です。
マルテニヘンリー、ヘンリーマルチニ、マーチ子ーetc.

海兵隊敬礼式

2017-05-05 23:46:34 | 資料・規則等
こちらは海兵隊の敬礼の形を調べているときに偶然発見した資料です。
敬礼式というのは、ざっくり言うと「こういう状況の時はこのような形で敬礼しなさい」という規則です。
陸軍や海軍にも同様のものが制定されています。

海兵隊の資料全般に言える事ですが、漢文に近い書き方に加え、旧字体や異字体などを多用していて非常に読みにくいです。
以下は、カタカナを平仮名にし、一部の漢字を常用漢字にしてある程度読めるようにしました。

第一章 総則

 第一条 およそ敬礼式は下たる者上たるものに対して之を行い上たる者之に答礼をなすものとす
 第二条 総てこの条例中に掲示したる敬礼式は海軍陸軍ならびに諸条約国の海陸士官にもその階級に応じて之を行うべし
 第三条 砲を備えたる砲隊には旗章を備える歩兵隊と一般に礼式を行うべし
 第四条 銃剣のみを帯したる部隊も軍装部隊と看傚す(みなす)べし
 第五条 軍旗は皇族以上の外は礼式を行うべからず
 第六条 軍旗及び隊旗(その覆いを脱しあるとき)には常に最上の尊敬
       すなわち捧銃喇叭手「フロウリン」譜を奉し鼓手は「ロップル」譜を打撃するの礼式を行うべし
 第七条 皇族にて陸海軍在官の人にはその職務上に於いて敬礼をなすさいにはその階級に応じたる礼式を行うべし
 第八条 三職諸省使の長官公事にて兵隊の在る所に来るさい三大臣には元帥に準する礼式その他は将官礼式を以て敬礼を行うべし
 第九条 水兵本部の局長にはその階級を論せず将官礼式を行うべし
 第十条 上級の職を代理する諸士官にはその代理中は本官相当の敬礼を行うべし
 第十一条 総じて部隊諸士官に対し礼式を行うときはその士官定服を着したるさいのみとす
 第十二条 部隊を指揮する士官は兵卒捧銃をなすさいの外は一切礼式を行わずまた答礼をも行わずただ注意の次勢をなすのみとす
 第十三条 車上にて途上往来するさい礼式を行うには皇族以上の外は総じて車上のまま姿勢を正し礼式するも妨なし

第二章 独身の礼式

 第一条 士官は職務上にて先任士官に告知をなし或いは報告書を渡す際には常に礼式をなすべし
       士官は定服を着したるさいには帽を脱せず右手をもって礼式をなすべし
       佩剣を抜鞘しあるさいには銃軍操法に記載せし法にて剱(つるぎ)を以て礼式を行うべし
 第二条 諸士官独歩にて皇族以上に行き会うさいは正面停止注意の姿勢をなし敬礼を行うべし馬上にて前面し難きさいはただ停止するのみ
 第三条 士官皇族以上に一人謁見をなすさい或いは室内に於いては総じて帽を脱して之を左脇に挟み少しく腰を屈曲して敬礼を行うべし
 第四条 諸士官は将官或いは自己所属の佐官指揮しある隊に行き会うさいはその司令官に対し礼式を行い旗章には常に礼式を行うべし
       砲を備えたる隊には旗章同様礼式をなすべし
 第五条 士官二人以上にて下士官及び兵卒或いは分遣隊番兵等より敬礼を受くる際には先任の者のみ答礼するものとす
       抜剣しあるさいには答礼することなし
 第六条 下士官及び兵卒は定服を着したる陸海軍の文武諸士官には都て(先に)礼式を行うべし
       ただし海兵士官には士官たるを認むればその着服に拘らず礼式を行うべし
       また下士官及び兵卒相逢のさいも互いに礼式を行うを可とする
 第七条 諸条約国の士官にも定服を着したるにはその階級に応じて自国士官同様に礼式を行うべし
 第八条 下士官及び兵卒武器を携えたるさい長上に対するの礼節を分けて三目とす
     其の一 挙手注目
     其の二 正面整立
     其の三 注目
 第九条 挙手注目の礼式は銃軍操法に記載せしごとく行うべし(※)
       ただし独歩中皇族以上に敬礼するさいは五・六歩以上前に停止正面しこの礼式を行い通御五・六歩の後進行すべし
 第十条 正面整立の礼式は敬礼すべき人およそ五・六歩前に来るさい姿勢を正し之に正面して注意の姿勢をなすべし
       また注目の礼節は敬礼すべき人と行き会うか或いはその人の前を通過するさいその人の方にやや頭を回して注目するものなり
       第二の礼節を行うべきさいは営内等にて脱帽し或いは礼式をなすに妨げとなる物品を携帯して静立しあるさいに
       この礼式を行うべきものとす
       而して上件同様にて行歩中なるさいは第三の礼式を行うべし
 第十一条 下士官及び兵卒武器を携え独歩にて皇族以上に行き会うさい敬礼を行うには五・六歩前に停止し正面し肩銃をなし
       五・六歩通御の後進行すべし
       士官に会う際は肩銃をなしその人に注目して通行すべし
       また停止しあるさいか或いは人と談話するさいは士官来らば談話をやめ正面して肩銃をなすべし
 第十二条 下士官及び兵卒独歩にて行進部隊に行き会うさいには進行中に司令官及び旗章ならびに砲を備えたる隊には砲に礼式を行うべし
 第十三条 下士官及び兵卒士官に演述をなし或いは文書を呈するさいは礼式をなし二歩隔て静立演述し
      或いは其の書を呈進し退去するさいもまた礼式をなすべし
      同上のさい銃を携いたるさいは肩銃の礼を行い二歩隔て静立演述し其の書を左手に呈すべし
      下士官兵卒は室内といえども一切脱帽の礼式を行うことなし
      しかし裁判所に出頭するさいか或いは囚人たるさいには其の帽を脱すべし

第三章 部隊の礼式

 第一条 海兵隊は何れの時何れの場所を論せず皇族以上には最上の敬礼を
       即ち皇礼式軍旗及び隊旗を下げ士官礼式をなし兵卒捧銃をなし楽隊祝楽を奉し以て敬礼を行うべし
 第二条 主上太皇后皇后に敬礼式を行うさいは楽隊は祝楽を全く奉すべし
       また皇族に敬礼を行うさいには第一節しかるに(六「バルス」各譜)を奉すべし
 第三条 外国の国王及びその王旗には我が主上及び皇族に相当なる敬礼式を行うべし
       而してその国の祝楽(為しあたうさい)を奉するを要す
 第四条 主上臨幸のために派出整列したる部隊は他人に礼式すべからず
 第五条 元帥職務上にて来るさいにはそこに皇族の人の在るさいの外は隊旗を下げ而して次条に記載したる将官礼式を以て敬礼を行うべし
     第一 砲隊は士官礼式をなし下士官佩剱を抜鞘し而して楽隊遅足の第一節を奉す
     第二 歩兵隊は士官礼式をなし兵卒捧銃をなし而して楽隊遅足の第一節を奉す
     第三 楽隊を備えざる隊においては喇叭手「フロウリシ」譜を奉し或いは鼓手「ロッフル」譜を打撃す
 第七条 部隊静止中に将官以上来るさいには肩銃をなすべし
       行進中に将官以上に行き会うさいは肩銃をなし楽隊或いは喇叭手鼓手奏楽をなすべし
 第八条 本省勅任官の人にも将官同様の礼式を行うべし
 第九条 二個の大隊或いは軍装部隊行進中に出会うさいには気を付けの令を下し抜剣し而して司令官の予令或いは記号にて
       先頭小隊より逐次に肩銃をなし楽隊楽を奏して通過すべし
       軍装せざる部隊も眼右(左)の令にて礼式をなすべし
       砲を備えたる砲隊は眼右(左)の令を以て礼式を行うべしその他は歩兵隊に同じ
 第十条 一個の隊静止しあるさいは外の隊通過するさいには互いに肩銃をなすべし
 第十一条 部隊行進中に本隊の司令官に行き会うさいには旗章或いは砲を備えざる隊なれば礼式を行うべし
 第十二条 途上の行換は各隊己の右側に侍りて行進すべし
 第十三条 部隊番兵或いは立番兵の前を通過するさいは常に肩銃(眼右或いは左)をなすべし
 第十四条 士官の指揮する分遣隊は定服を着したる将官本省勅任官本隊の司令官にのみ肩銃(眼右左)の令を以て敬礼すべし
        乗艦の隊なるさいは本艦艦長にも本隊司令官同様の礼式を行うべし
 第十五条 分遣隊を指揮する下士官は其の隊軍装すると否とを論せず総じて定服を着したる士官の前を通過するさいには
        相当の礼式を行うべし
 第十六条 総じて部隊は敬礼する人二人以上のさいは先任の人にのみ敬礼を行うべきとす

第四章 番兵及び立番兵の礼式

 第一条 儀仗兵は主上或いは皇族の警衛兵及び盛典儀式の節派出すべきものにしてこの儀仗兵は百人の伍長兵卒より編成し
       大尉之を指揮し二人の従属士官(一人軍旗を携持す)定員の軍曹及び楽隊を付属す是れ一般の規則なり
       ただし特別の場合に於いて高貴の人に儀仗兵を供する時には五十人の伍長兵卒より編成し
       二人の士官定員の軍曹及び隊旗を付属し以てこれ職を命することとす
       たとえばこの儀仗兵は高官の人特派全権公使の命を奉して抜錨乗艦の時或いは諸港上陸の時或いは遠伝の都督出帰
       および凱旋の時または提督府の司令官始めて守衛地に着する時及び其の任を終わりて発途するとき
       並びに外国高官の人響應の時その外特別儀式の節等に之を要するものとす
 第二条 軍旗は主上或いは皇族の警衛兵の外他の番兵は之を携持すべからず
       儀仗兵は午前八時前或いは日没後は供せらるを一般の規則とす
       ただし特別の場合はこの例にあらず
 第三条 番兵は定服を着したる将官には何れの時に於いても室外に整列しこの章の第五条に記載したる礼式を行うべし
 第四条 番兵は定服を着せざる士官には室外に出るの礼を施行すべからず
       ただし皇族の人にはこの例にあらず
 第五条 番兵に三職諸省使の長官大礼服を着して通過するときには将官と同様の礼式を行うべし
 第六条 陣営の番兵は本隊の司令官にはその位階を論せず一日に一回は室外に整列して必ず捧銃の礼を行うべし
 第七条 定服を着したる将官或いは室外整列の礼式に相当する人番兵の後方を通過するとき
       番兵司令官は番兵をして其の固有の正面に面して並列せしめ肩銃をさしむべし
       このときは鼓手喇叭手奏楽すべからず
 第八条 番兵交代式の間に諸士官番兵所を通過する時には両番兵司令官の内先任の者号令して相当の礼式を行うべし
 第九条 番兵は軍曹部隊其の衛所に近接するさいには室外に整列し肩銃にて静立すべし
       もしその隊中に覆を脱したる旗章を携持するさいは番兵は旗章の近接したるさい捧銃をなし通過すれば肩銃になすべし
       砲を備えたる砲隊には捧銃の礼を行うべし
 第十条 番兵は日没と日の出の間は礼式をなすべからず
       また軍装せざる部隊には室外整列を行うべからず
       主上通御の時或いは週番佐官当直士官巡検のさいは日没後といえども室外に整列して礼式をなすべし
 第十一条 主上及び皇族の警衛兵は皇族の外は礼式をなすべからず
        皇族の警衛兵は将官或いは当直士官職務上にて巡検するさいには室外整列し肩銃をなすべし
        総じて他の番兵は将官及び当直佐官には捧銃を以て礼式を行うべし
 第十二条 立番兵礼式一般の規則は静止正面し而して将官佐官及び軍装部隊には捧銃をなし
        それ以下の士官には肩銃にて礼式することとす
        三職諸省使の長官本省勅任官以上にも捧銃の礼を行うべし
 第十三条 主番兵日没暗号より日の出暗号までは総じて捧銃の礼を行わず常に肩銃の礼のみを行うべし
        ただし皇族以上にはこの例ににあらず
 第十四条 主番兵は敬礼する人凡そ十五歩前に来るとき正面に停止注意の姿勢をなして肩銃をなし
        もし捧銃の礼をなすべきさいはその人の近接するに及ら之を行うべし
 第十五条 皇族以上の警衛兵より分派したる立番兵は皇族或いは覆し脱したる旗章にのみ捧銃をなし定服を着し
        その衛所を通過する士官には総じて肩銃にて静立すべきなり
 第十六条 将官守護の立番兵は将官以上にのみ捧銃の礼を行いそれ以下の士官には静立して肩銃をなすべし

(※)銃軍操法という文書は発見できていませんが、水兵本部が請求した資料の中にそれらしきものが有ったので、また別の機会に紹介したいと思います。

浮世絵と海兵隊

2017-05-05 00:04:55 | 未分類

さて、本日の話題は海兵隊と浮世絵についてです。
明治海兵隊は短命な組織であったにも関わらず、何度か実戦を経験しています。
明治7年2月に起きた、不平士族による初の大規模反乱である「佐賀の乱」では、歩兵隊2個小隊と砲兵隊1個小隊を。
同年に起きた「台湾出兵」では、海軍歩兵1個小隊と海軍砲兵二門を出動させています。(歩兵小隊は後に出動取り消し)
その中でも、本日の話題である浮世絵に海兵隊が描かれた事件がありました。
江華島事件(こうかとうじけん、カンファドじけん)です。
江華島事件についての説明はウィキペディアにお任せするとして、ここではこの事件を描いた2枚の浮世絵について紹介したいと思います。




ベルトの色など細かい配色のミスはありますが、かなりの部分が正確に描かれています。
1枚目の絵で兵達が持っている刀、よく見るとヤタガン式銃剣独特の反りや切羽が詳細に描かれています。
また、襷にかけたベルトには小盒が描かれています。
2枚目は服やベルト、スナイドル銃に似た形状の小銃などかなり写実的に描かれています。

こういった浮世絵も、明治初期を知る上では重要な資料になる・・・
やっぱり明治は面白いですね。