水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

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海兵隊の紅一点

2018-01-28 02:57:22 | 絵とか
お久しぶりでございます。
私生活が忙しくて\(^o^)/状態になっておりました。

今回は海兵隊の紅一点、楽隊所属の楽師(伍長に相当)です。





イギリスのレッドコートをパクッた参考にした緋羅紗の上衣は非常に目立ちますね。当時の楽隊・鼓隊の上衣は禮常略すべて緋羅紗でした。後年の軍楽隊でも緋羅紗が用いられていましたが、実はこの緋羅紗、一度消滅しているのです。当時は輸入に頼っていた緋羅紗はかなり高価だったのでしょうね。
敬礼しているのにトランペットを持たせているのは記念撮影的な何かっていう設定だからです。

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海兵士官常服

2017-10-14 17:00:26 | 絵とか
色々忙しくて更新が滞ってました。
さて、本日紹介するのは随分前に描いた海兵士官常服のイラストです。
前回書いた略服の差分なんですがね。
手前の椅子に座っているのが佐官、奥で立っているのが尉官です。


こちらは砲兵科。
端の色が兵科色の赤色です。
どことなく米海兵隊のブルードレスを思わせるデザインです。
海兵士官の軍服は大禮服、常服、略服すべて紺羅紗で作られており、袖章や胸飾りによる区別以外は大佐から少尉補に至るまでほぼ同様の形をしています。
大禮服は常服と大差が無く、襟に金線が付され、金ボタンが10個に増える程度の違いしかありません。
砲兵科の金ボタンは桜花と3つ重ね並べた野砲の図柄が特徴で常服は8個です。
少佐の袖章は3本の中線で表され、中線の幅は4分5厘で線と線の間は1分5厘程の幅が空けられました。
剣帯は大礼帯と同様のものを用いていますが、明治7年9月に白帯に改正されました(2枚目)
バックルの意匠は佐尉官ごとに区別されており、尉官は銀色の櫻花、佐官は銀色の五三の桐が付されました。
共通点としては、縁の二重輪の間に「日本海砲兵隊」と刻印されている点で、歩兵科は「日本海歩兵隊」と刻印されていました。


続きまして歩兵科です。
この絵は袖章の関係で両名とも少尉補です。
兵科色の黄色に変わるだけで印象がガラッと変わります。
常袴の赤線の幅は砲兵科よりも細く四分五厘になります。
少尉補の常帽は尉官の常帽から金線を取り払ったものになっています。
金ボタンは桜花と3つ重ね並べた小銃の図柄で個数は上に同じ。
少尉補の袖章は各兵科の金ボタン3個を三角形に並べたものです。
黄色になるだけで印象がガラッと変わります。
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海兵士官略服

2017-08-13 23:25:06 | 絵とか
就活やら何やらでただでさえ遅い更新が更に遅くなってしまいました。
更新だけでなく絵も滞ってます。元々低い技量が更に低くなってそう…
さて、本日紹介しますのは海兵士官略服です。
※公開した後に酷い間違いを発見したので修正しました。

略服を着したる海兵士官砲兵科少佐(手前)と同尉官(後ろ)です。
配色が微妙だったため分かりにくいですが、紺羅紗です。
海兵士官の略服は陸軍と似た肋骨服を用いていますが、陸軍とは階級の表し方が違います。
陸軍の肋骨服では袖章で階級を区別していましたが、海兵隊では佐尉官を胸章の数で区別していました(佐官5本、尉官4本)
袖章での区別は行われず、佐官のみ襟の櫻花の数で階級を区別していました。(大佐3個、中佐2個、少佐1個)
常帽は佐尉官の区別があり、佐官は2本、尉官は1本と定められました。
尉官にいたっては襟の櫻花すらなく、大尉から少尉補に至るまで区別がありません。
唯一、少尉補のみ常帽の金線を除く、という違いが有る程度でした。
常袴の側線は砲歩で区別されており、砲兵一寸、歩兵四分五厘と定められました。

こちらは炎暑の際の海兵士官です。
上衣は明治7年6月8日に制定され、夏季炎暑の際は白リンネル製略服を用いてもよいとされました。
実はこの絵に関しては想像の域を出ない点がいくつかあります。
というのも、帽上覆垂(帽覆い)が制定されたのは明治9年5月24日
海兵隊が廃止されたのが同年7月という点を考えると、この組み合わせが実際に着用された可能性は低いと考えられます。
あとは、佐官の櫻花章が夏服でも付けたかどうかという点です。
こちらは生地が変わっただけですので、通常略服と同様であると判断しました。
大体の雰囲気が伝わってくれればいいなと思います。

さて、略服は以上です。
次は差分で常服を描きたいなと思ってます。/font>
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海兵隊砲歩各隊における隊長職の階級と氏名

2017-07-22 00:12:22 | 資料・規則等
明治9年9月11日の資料。海兵隊解体時点での各隊主要幹部の階級と氏名です。
?内は文字が読めなかった箇所。
取り消し線部は資料でも同様に削除されていた箇所である。

・砲兵大隊
   大隊長    海軍少佐  大野義範
   副長     海軍大尉  坂本基桂
  ・一番小隊
    小隊長   海軍大尉  石田熊六
    半隊長   海軍中尉  堀 正
    分隊長心得 海軍少尉補 久武禎蔵
               同    森有兄
  ・二番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  長井利英
    半隊長心得 海軍少尉  佐着平内
    分隊長心得 海軍少尉補 原田主馬
               同    浜田新之丞
  ・三番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  九里孫次郎
    半隊長心得 海軍少尉  坂本俊一
    分隊長心得 海軍少尉補 西季重
  ・四番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  池田貞周
    半隊長心得 海軍少尉  魚住守節
    分隊長心得 海軍少尉補 安住保弘
  ・例外
    砲兵隊砲兵教官 海軍大尉  池辺弥一郎
    同副教官    海軍中尉  但馬惟賢
    砲兵隊射法教官 海軍中尉  三原經備
    同隊教佐    海軍大尉  古屋 ?
              海軍少尉  詫間教治
    同隊主計掛   海軍中尉  川上親英
    同隊給養掛   海軍大尉  倒川尚義
               海軍中尉  秀島成債
               海軍中尉  寺内道呼?
               海軍少尉補 濱武岸生

 ・歩兵大隊
   大隊長勤務  海軍大尉  村岡道純
   ※明治6年7月13日、松岡方祇少佐が大隊長に任命されたが、同年7月24日に撤回。
   副長     海軍大尉  ?住成貞
           同    志岐守行
   ※明治6年8月15日、一番小隊長 徳田盛芳大尉、二番小隊長 村田道純大尉が副長に任命。
  ・一番小隊
    小隊長    海軍大尉  木藤貞良
    半隊長心得  海軍少尉  林幸雄
    分隊長心得  海軍少尉補 西直資?
  ・二番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  松村義擻
    半隊長心得  海軍少尉  蓑田春堯
    分隊長心得  海軍少尉補 岩氶縄矩?
  ・三番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  大久利利貞
    半隊長心得  海軍少尉  島川宗儀
    分隊長心得  海軍少尉補 乗?田景幸?
  ・四番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  馬屋原孝範
    半隊長心得  海軍少尉補 青木行恒
    分隊長心得  海軍少尉補 徳久武宜
  ・五番小隊
    小隊長    記載無し
    半隊長心得  海軍少尉補 ??隆長
    分隊長心得  海軍少尉補 ??村緒?
  ・六番小隊
    小隊長    記載無し
    半隊長心得  海軍少尉補 ?瀬勇七
    分隊長心得  海軍少尉補 池村譲助
  ・七番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  北郷次郎
    半隊長心得  海軍少尉  小芦弥八郎
    分隊長    記載無し
  ・八番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  二階?智行
    半隊長心得  海軍少尉  柴田五郎次
    分隊長心得  海軍少尉補 東?義正
  ・九番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  利屋道四郎
    半隊長心得  海軍少尉  木村信?
    分隊長    記載無し
  ・十番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  大塚勝作
    半隊長心得  海軍少尉  小畑?穂
    分隊長心得  海軍少尉補 町田実義
  ・例外
    歩兵隊教佐  海軍中尉  髙坂元顕
                同    新納時亮
    同隊射法教官 海軍中尉  寺岡求馬
    同隊主計掛  海軍少尉補 渡邉徤
    同隊給養掛  海軍中尉  肥後芳智
              海軍少尉  児玉利武
                同    山田中三
           海軍少尉補 二?良作?
    同隊舶砲教官 海軍中尉  飯田信呂?
    同隊砲兵副教官 海軍少尉補 翔田景林
    兵学寮舶砲??掛 海軍少尉 堀?太

以上の一覧から以下の事がいえる。
一. 砲兵大隊は四個小隊を、歩兵大隊は十個小隊を内包する
一. 大隊長は少佐もしくは大尉が務めており、大尉が務める場合は大隊長勤務と称す。
一. 大隊副長は大尉が務める。
一. 小隊長は大尉が務め、中尉が務める場合は小隊長心得と称す。
一. 半隊長は中尉が務め、少尉が務める場合は半隊長心得と称す。
一. 分隊長は少尉が務め、少尉補が務める場合は分隊長心得と称す。
一. 各大隊には教官・主計掛・給養掛が数名ずつ所属している

ところが、澤鑑之丞 著「海軍七十年史談」では若干異なっている箇所が存在している。
以下は、同書より抜粋した記述である。なお、藩名等一部省略している。
『水兵本部長以下各士官・砲兵・歩兵は何れも各藩から募集された。
 ・本部長心得  海軍中佐 唯 武連
  同次官心得  海軍少佐 大野義方
    同    海軍少佐 松岡方祇
 ・砲兵科令長  海軍少佐 大野義範
  同副長    海軍少佐 肥田有年
 ・歩兵科大隊長 海軍少佐 徳田盛芳
  同副長    海軍大尉 村岡道純
         以下略                  』

澤鑑之丞 著「海軍七十年史談」では、「歩兵科大隊長 海軍少佐 徳田盛芳」と記されていたが、徳田盛芳は明治9年の雲揚艦沈没時に死亡しており、その際の階級は大尉であった。
澤は明治8年6月1日海軍省出版「海軍省及所轄寮部所府諸艦船分課一覧」を参照してこの表を作成しているが、徳田盛芳は当該資料が出版された時点では海軍大尉であり、確認できる限りその死後も少佐に昇進していないことから、徳田大尉が歩兵少佐であったとは考えにくい。
とはいえ、当該資料が間違っていたのかどうかについては当該資料を参照しておらず、また当該資料の存在がインターネット上では確認できないため、現時点では断定できない。

とまあ、ここまでつらつら書いてきましたが、途中からですます調を忘れてますね(汗)。
長文を書いているとつい論文書く時の癖が出てしまいます。
以上です。
コメント

部隊編成について

2017-07-08 16:59:40 | 資料・規則等
今回は海兵隊の部隊編成について、現時点で分かっている範囲でまとめたいと思います。
・部隊名等
 当時の部隊名は、現在一般的に使われる「第○小隊」といった名称ではなく、「○番小隊」といった呼称が使用されていたようです。所属海兵は「海兵○番小隊△分隊」もしくは「○番小隊△分隊 階級 名前」「○番小隊 階級 名前」といった表記が成されたようです。
 隊長職に任命された士官においては「○番小隊長(心得)」「○晩小隊半隊長(心得)」「○番小隊分隊長(心得)」などといった表記が確認されています。
※H29.7.21追記
 砲兵大隊には一番小隊から四番小隊までが所属し、各小隊に半隊・分隊が存在していた。
 例外として、砲兵隊砲兵教官、同副教官、砲兵隊射法教官、同隊教佐、同隊主計掛、同隊給養掛が所属していた。
 歩兵大隊も同様に、一番小隊から十番小隊までが所属し、例外として歩兵隊教佐、同隊射法教官、同隊主計掛、同隊給養掛、同隊舶砲教官、同隊砲兵副教官、兵学寮舶砲??掛(??内不明)が所属していた。

なお、部隊の規模は、大隊>半大隊>小隊>半隊>分隊の順です。

・歩兵一大隊
 8個小隊から編成され、以下のような編成がなされた
 ・一大隊
  大隊長1名、大隊副長1名。
  ※大隊長および大隊副長は佐官と思われるが、それが記された書類は未発見である。
  ※H29.7.21追記:大隊長は少佐、副長は大尉が任命された。大隊長を大尉が務める場合、大隊長勤務を名乗った。
  大尉相当医官(大軍医)1名、中尉相当医官(中軍医)2名、軍医副2名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)1名、手傅(てつだい)3名

 ・半大隊
  中尉相当医官(中軍医)1名、少尉相当医官(少軍医)1名、軍医副1名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)1名、手傅(てつだい)1名

 ・一小隊
  小隊長1名、半隊長1名、分隊長2名。
  内約:大尉1名、中尉2名、軍曹4名、伍長4名、鼓手兼喇叭手1名、海兵60名
  ※ただし、他の資料では少尉や曹長、権曹長も小隊に所属しているため、正確な内約は不明。
  ※H29.7.21追記
   小隊長は大尉が、半隊長は中尉、分隊長は少尉が勤めていた。
   なお、小隊長を中尉が務める場合は、小隊長ではなく小隊長心得と
   半隊長を少尉が務める場合は、半隊長心得と
   分隊長を少尉補が務める場合は、分隊長心得と呼称されていた。
   

・砲兵一砲隊(砲兵大隊と同義と思われる。※H29.7.21追記:砲兵大隊と表記された資料もある)
 4個小隊をもって編成された。一小隊につき海兵80名が所属し、状況によっては40名を以て一小隊を成した。
 ・一砲座
  大尉相当医官(大軍医)1名、中尉相当医官(中軍医)1名、軍医副1名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)、手傅(てつだい)1名

 ・一小隊
  歩兵隊と同様と思われる

以上が現時点で判明している、海兵隊の部隊編成とその内約でした。
不明な点が多いので、これからも研究を続けていきたいと思っています。
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