水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

部隊編成について

2017-07-08 16:59:40 | 資料・規則等
今回は海兵隊の部隊編成について、現時点で分かっている範囲でまとめたいと思います。
・部隊名等
 当時の部隊名は、現在一般的に使われる「第○小隊」といった名称ではなく、「○番小隊」といった呼称が使用されていたようです。所属海兵は「海兵○番小隊△分隊」もしくは「○番小隊△分隊 階級 名前」「○番小隊 階級 名前」といった表記が成されたようです。
 隊長職に任命された士官においては「○番小隊長(心得)」「○晩小隊半隊長(心得)」「○番小隊分隊長(心得)」などといった表記が確認されています。
※H29.7.21追記
 砲兵大隊には一番小隊から四番小隊までが所属し、各小隊に半隊・分隊が存在していた。
 例外として、砲兵隊砲兵教官、同副教官、砲兵隊射法教官、同隊教佐、同隊主計掛、同隊給養掛が所属していた。
 歩兵大隊も同様に、一番小隊から十番小隊までが所属し、例外として歩兵隊教佐、同隊射法教官、同隊主計掛、同隊給養掛、同隊舶砲教官、同隊砲兵副教官、兵学寮舶砲??掛(??内不明)が所属していた。

なお、部隊の規模は、大隊>半大隊>小隊>半隊>分隊の順です。

・歩兵一大隊
 8個小隊から編成され、以下のような編成がなされた
 ・一大隊
  大隊長1名、大隊副長1名。
  ※大隊長および大隊副長は佐官と思われるが、それが記された書類は未発見である。
  ※H29.7.21追記:大隊長は少佐、副長は大尉が任命された。大隊長を大尉が務める場合、大隊長勤務を名乗った。
  大尉相当医官(大軍医)1名、中尉相当医官(中軍医)2名、軍医副2名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)1名、手傅(てつだい)3名

 ・半大隊
  中尉相当医官(中軍医)1名、少尉相当医官(少軍医)1名、軍医副1名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)1名、手傅(てつだい)1名

 ・一小隊
  小隊長1名、半隊長1名、分隊長2名。
  内約:大尉1名、中尉2名、軍曹4名、伍長4名、鼓手兼喇叭手1名、海兵60名
  ※ただし、他の資料では少尉や曹長、権曹長も小隊に所属しているため、正確な内約は不明。
  ※H29.7.21追記
   小隊長は大尉が、半隊長は中尉、分隊長は少尉が勤めていた。
   なお、小隊長を中尉が務める場合は、小隊長ではなく小隊長心得と
   半隊長を少尉が務める場合は、半隊長心得と
   分隊長を少尉補が務める場合は、分隊長心得と呼称されていた。
   

・砲兵一砲隊(砲兵大隊と同義と思われる。※H29.7.21追記:砲兵大隊と表記された資料もある)
 4個小隊をもって編成された。一小隊につき海兵80名が所属し、状況によっては40名を以て一小隊を成した。
 ・一砲座
  大尉相当医官(大軍医)1名、中尉相当医官(中軍医)1名、軍医副1名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)、手傅(てつだい)1名

 ・一小隊
  歩兵隊と同様と思われる

以上が現時点で判明している、海兵隊の部隊編成とその内約でした。
不明な点が多いので、これからも研究を続けていきたいと思っています。

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