水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

海兵隊 権曹長の腋章(階級章)についての考察

2017-06-09 17:59:20 | 服制
海兵隊の階級(下士卒)にも追記しましたが、海兵隊でも権曹長という階級が明治6年に廃止されるまで存在していました。
ここで気になってくるのが、権曹長の礼服・常略服の腋章(階級章)です。
権曹長は軍曹と曹長の間に位置する階級で、二等曹長に位置づけられる階級ですが、「海兵隊服制下」には権曹長の服制図はありません。
腋章の存在自体は資料より確認ができるのですが、その図案等は不明のままです。
そこで注目したのが、「砲(歩)兵一等大砲(小銃射法)教授課軍曹」の腋章です。
当該箇所の但し書きには「但し、二等三等は両腕の櫻花を除く」と記してあります。
この但し書きが曹長にも当てはまるとすれば、二等曹長である権曹長の腋章は、曹長の腋章から櫻花を取り払ったもの。つまり、「海兵隊服制下」中の「給養課・陣営課曹長」と同様のものである可能性があります。

ここまでもっともらしく書いていますが、権曹長腋章の図面は私が発見できていないだけであり、存在しないとは言いきれません。海兵士官夏服同様、アジ歴に掲載されていないだけで、国立公文書館にて所蔵されている資料に図が掲載されている可能性は十分にあります。
明治海兵隊は本当に奥が深いですね。

また予断ですが、楽隊権曹長、小銃教授掛権曹長はサーベルが支給されたようです。

海兵隊夏服について

2017-05-17 21:44:59 | 服制
今日は人生で初めて国立公文書館に行ってきました。
いやぁ、凄いですね。
明治時代の原本を素手で触れるんですから。
写真を撮っている間、ニヤニヤが止まりませんでしたよ。
海兵隊服制のカラー版と、明治3年陸海軍服制、アジ歴には掲載されていなかった海兵隊服制に関する法令など、予想以上の収穫でした。
カラー版が手に入ったことだし、これで士官についても語れます。
というわけで、本日の話題は海兵隊夏服についてです。

こちらはおなじみ海兵隊服制下より、海兵隊曹長夏服です。

曹長に限らず、海兵下士以下夏服は腋章(袖の山型模様)が階級ごとに変わるだけで他は共通です。
H29.10.25追記:
明治10年改正の軍楽隊服制には、夏服の腋章は水色線と明記されているため、海兵下士以下夏服の腋章も同様であったと考えられます。

この海兵下士以下夏服、以前から肩章の色が気になって仕方が無かったのです。
服制図では肩章は水色の線で描かれています。
服の輪郭も同じ色で描かれていることから、恐らく肩章も白色だろうと見当は付いていたのですが、確実な資料が無く、断言する事ができませんでした。
ですがその答えは、海兵隊旗を調べるためにたまたま請求した資料に載っていました。
明治7年6月8日に布告された文書より一部抜粋します。

~以下、資料より抜粋(但:前記事ニ同ジ)~
海兵士官炎暑の際は、略服に白リンネルを用ゆ。下士以下は肩章も白色を用ゆ。
当省海兵士官、一般夏服の儀、上服「紺薄色」相用い候ところ、炎熱の間は略服に白リンネル相用い申し候。
下士官以下夏服肩章、浅萌色相用い候ところ、前条の如く白服を用い候間は、肩章も白色相用い申し候。
~中略~
砲歩兵隊ならびに楽隊へ従前相渡し候夏服肩章、浅黄色に候ところ、自今白紐に相改め候。
~以下略~

これで、夏服肩章が白紐である事が証明されただけでなく、礼常略服の肩に付いている赤黄色の物体が肩章であるという証明にもなりました。

そして海兵士官以下は夏季の間、日焼け帽子のため常帽に帽覆いを着用するのですが、明治9年5月14日布告の別資料により、その覆いに「帽垂れ」が追加されている事が判明しました。
とはいえ、年代的に見て実際に着用していたかは分かりませんが。


幕府陸軍伝習隊に似た雰囲気ですね。

さて、抜粋をよく読んで下さった方はお気付きかと思いますが、この文書にはなんと海兵士官の夏服についての記述も存在しているのです!

さて、そもそもの海兵士官略衣は、陸軍の肋骨服に似た形をしておりますが、生地が紺羅紗製なのです。
つまり、真夏にはとても着れた物じゃないという代物だったのです。
そこで、「海兵士官にも猛暑日用の夏服を作りましょう」ということになったのです。
その夏服がこちら

ちくしょう また しろくろ じゃないか!
まあ、普通に考えて飾り紐も白色でしょうけどね。

以上、海兵隊夏服についてでした。
今度公文書館に行くときは、時間のある日に行きたいですね。(午前中は大学でした)

隊付き佐官以下着装の義

2017-05-03 00:48:11 | 服制
さて、本日の話題は隊付き佐官以下着装の義…つまり「この状況ではこういう着装をしなさい」という規則についてです。

明治7年2月10日 「隊付き佐官以下着装の義」により、海兵隊に属する佐官以下の着装が定められました。
礼服帽の廃止が同年9月8日のため、礼服帽の記載があります。

・皇帝礼式並びに祝砲 葬式
 礼帽
 礼服 下士官以上肩章
 ただし、背嚢を用いず格別の命令あるまでは脚絆 外套を用いる

・警備兵並びに戦時
 常服
 常帽
 背嚢 糧袋 外套 脚絆 水入を携帯す
 ただし、当分の中士官は略帽 略服を代用す

・行軍 他所操練
 略帽 略服を用いる
 背嚢 糧袋 外套 脚絆 水入を携帯す
 ただし、他所操練の時は背嚢 水入れを除き、格別の命令あるまでは外套を持つ

・演習 営内外兵
 略帽
 略服
 銃具一式を携す

・出火消防兵
 略帽
 略服
 銃具一式を不携

・招魂祭(詳細はこちら
 礼帽
 礼服 下士官以上肩章
 ただし、背嚢を用いず格別の命令あるまでは脚絆 外套を用いる

・軍議所出席 軍法会議
 士官以上軍議席 軍法会議には常服に礼帽 礼剣帯を付し然るべき候


しかし、明治の公文書は旧字体や異字体が多い上に、人によって書き方が違うからわかりにくいですね。


海兵隊服制

2017-05-01 20:50:56 | 服制
記念すべき?初の記事は、海兵隊服制についてです。

明治6年(1873年)11月に布告された、「海兵隊服制 上下」
上巻は海兵隊士官の服制について、下巻は海兵隊下士卒の服制について記述されています。

海兵隊服制を語る前に、予備知識として知っておいて頂きたいことを書いておきます。

海兵隊には歩兵、砲兵、楽隊の兵科に分かれており、各兵科はそれぞれ 黄、赤、紺 の三色に分けられています。
色分けされている箇所は、襟、肩章、服のパイピング、そして帽天頂のポンポンです。

ここで注意していただきたい点は、下の画像のように襟色とパイピングの色が逆転していることです。




以下、海兵隊服制より書き出したものです。()内は筆者の補足。

海兵隊服制上(士官)
一:海兵砲歩佐尉 大礼服 常服 略服共総て紺羅紗を用ふ
  大佐より少尉に至るまで其の制式同形図の如し
  ただし 襟及び袖章袴章を異にするのみ
一:礼帽 紺羅紗にて製し頂上に赤黄色の砲歩区別を付す 図の如し
一:常帽紺羅紗にて製し頂上に砲歩区別赤黄星(ポンポン)
  及び黒線にて五個の瓣(びら)を加ふ
一:帽前章桜花及び大砲小銃其左右へ桜の葉を纏圍す
一:襟に級に分つ図の如し
一:襷は大佐より少尉補に至るまで分つて七級とす図の如し
一:紐釦(ボタン)は砲歩区別の章を付す図の如し 礼服は十個 常服は八個各一行にす
一:剣及び帯二級とす図の如し
一:袖章大佐より少尉補に至るまで七級とす図の如し
一:通常礼服を着用する時は常服に礼帽 襷(たすき) 剣帯を付す
一:着用日及び付録等は海軍武官の部に照準すべし

海兵隊服制下(下士卒)
一:礼服常服は紺色大羅紗を以て製し略服は「セルジ」を以て製す
  曹長或は楽隊長より兵卒 楽手 喇叭手に至るまで其の製式同形図の如し
  唯袖章服色を異にするのみ
一:礼帽は紺羅紗にて製し頂上に赤黄白色毛を付し黄線にて纏う 各兵区別図の如し
一:常帽は赤黄色星(ポンポン)五個の瓣(びら)を加ふ(びらは曹長のみ)
  帽前章は桜花及び大砲或いは小銃 喇叭を付し各兵区別図の如し
  (直径一寸四分=約4.242cm)
一:襟は赤黄紺色にす図の如し(襟幅一寸三部=約3.939cm)
一:夏服は白ドリル(葛城など)を以てす 帽は白切れを以て蓋う図の如し
一:襷は曹長或いは同等より各軍曹ならびに楽鼓長に至るまで赤色を用ふ
一:剣及び剣帯図の如し 楽師以上は長剣を着け 楽手は短剣を着く 艦内にては用いざるべし
一:紐釦(ボタン)は砲歩楽兵各区別して七個一行にす図の如し
  但し下士は鍍金(ときん)を用い一等卒以下は真鍮を用ふ
  (大釦七分=21mm、小釦四分=12mm)
一:着用日等は其の司令官の指揮に因る(よる)べし


このように、海兵隊礼服は派手な装飾が施された豪華なものでしたが、一着ごとの単価はお察し。
金がかかりすぎるという理由で、明治7年9月8日には士官、下士卒ともに礼服、礼帽が廃止されています。

明治7年9月8日改正
 ・士官
  大礼服を用いる際は常服帽を用いることとし、常帽に毛錺(けかざり)を刺す。
  礼服を用いる際は常服帽を用いる。
  常略共に白バンドを用いる。
 ・下士官
  礼服帽を廃止し、常服帽を用いる。
  礼服を用いる際は士官に同じ。
  但し、礼服ご用命などの際は常服帽を用いる。
 ・兵卒
  礼服帽を廃止し、常服帽を用いる。
  礼服に常服を用いる際は常帽に毛飾を刺す。
  但し、礼服ご用命などの際は常服帽を用いる。


当時の日本には海外派遣できるほどの国力が無く、存在意義がほとんど無かった海兵隊。
短命に終わった理由には、この派手で高価な軍服も含まれていたのでしょうね。


アジア歴史資料センター「海兵隊服制上」リンク
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000045290

アジア歴史資料センター「海兵隊服制下」リンク
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000045297