水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

浮世絵と海兵隊

2017-05-05 00:04:55 | 未分類

さて、本日の話題は海兵隊と浮世絵についてです。
明治海兵隊は短命な組織であったにも関わらず、何度か実戦を経験しています。
明治7年2月に起きた、不平士族による初の大規模反乱である「佐賀の乱」では、歩兵隊2個小隊と砲兵隊1個小隊を。
同年に起きた「台湾出兵」では、海軍歩兵1個小隊と海軍砲兵二門を出動させています。(歩兵小隊は後に出動取り消し)
その中でも、本日の話題である浮世絵に海兵隊が描かれた事件がありました。
江華島事件(こうかとうじけん、カンファドじけん)です。
江華島事件についての説明はウィキペディアにお任せするとして、ここではこの事件を描いた2枚の浮世絵について紹介したいと思います。




ベルトの色など細かい配色のミスはありますが、かなりの部分が正確に描かれています。
1枚目の絵で兵達が持っている刀、よく見るとヤタガン式銃剣独特の反りや切羽が詳細に描かれています。
また、襷にかけたベルトには小盒が描かれています。
2枚目は服やベルト、スナイドル銃に似た形状の小銃などかなり写実的に描かれています。

こういった浮世絵も、明治初期を知る上では重要な資料になる・・・
やっぱり明治は面白いですね。

海兵隊の階級(下士卒)

2017-05-03 23:07:52 | 未分類
海兵隊下士卒の階級は「海兵隊服制下」にある程度載っていますが、卒は「一等卒以下は~」というレベルでしか書かれていません。
また、階級を規定した文書も(探し方が悪いのか)発見できませんでした。
そんな海兵隊の階級ですが、皮肉なことに海兵隊が消滅した明治9年のある文書により判明しました。

「元海兵より下士水兵に転職の者姓名等の件軍務局届」
この資料は名前の通り、海兵から水兵に転職した者の氏名と階級を記した表で、砲歩ごとに区別されています。
これにより、海兵隊の階級のほとんどが判明しました。

・海兵隊下士卒階級表
  曹長
  曹長心得(曹長見習いのようなもの)
  権曹長
  軍曹
  軍曹心得(軍曹見習いのようなもの)
  伍長
  伍長心得(伍長見習いのようなもの)
  伍長副(上等兵に相当。一等卒中優秀な者)
  伍長副心得(上等兵見習いのようなもの)
  一等卒
  二等卒
  三等卒
  四等卒
  五等卒(新兵)

卒は砲歩のどちらに所属しているかによって、○等歩兵、○等砲兵のように区別されたようです。

また、海軍では曹長の下に「権曹長」という階級が存在していたようですが、海兵隊では不明です。
服制に記述が無かったのでおそらくなかったと思われます。

~2017年5月10日 追記~
明治5年6月18日、「己2号大日記 水兵本部申出 軍曹桑波田十郎外1名昇級の件」より
海兵軍曹 桑波田十郎 岩永一郎の二名が権曹長に昇進しているため、海兵隊においても権曹長という階級が存在していたことが判明しました。
「甲第百六号 権曹長被廃及外2廉他2件」より、海軍における権曹長の廃止が明治6年5月18日
「海兵隊服制」は明治6年11月14日に改定されているため、権曹長の礼常略服は権曹長廃止に伴い、服制中の図から削除されたものと思われます。

はじめに

2017-05-01 17:00:11 | 未分類
大日本帝国海軍海兵隊
明治3年から明治9年(一説では明治11年)までという短期間しか存在していなかったため、知っている人はあまり多くないと思う。

このブログでは、そんな海兵隊についての資料や考察などを紹介していきます。