水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

海兵隊砲歩各隊における隊長職の階級と氏名

2017-07-22 00:12:22 | 資料・規則等
明治9年9月11日の資料。海兵隊解体時点での各隊主要幹部の階級と氏名です。
?内は文字が読めなかった箇所。
取り消し線部は資料でも同様に削除されていた箇所である。

・砲兵大隊
   大隊長    海軍少佐  大野義範
   副長     海軍大尉  坂本基桂
  ・一番小隊
    小隊長   海軍大尉  石田熊六
    半隊長   海軍中尉  堀 正
    分隊長心得 海軍少尉補 久武禎蔵
               同    森有兄
  ・二番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  長井利英
    半隊長心得 海軍少尉  佐着平内
    分隊長心得 海軍少尉補 原田主馬
               同    浜田新之丞
  ・三番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  九里孫次郎
    半隊長心得 海軍少尉  坂本俊一
    分隊長心得 海軍少尉補 西季重
  ・四番小隊
    小隊長心得 海軍中尉  池田貞周
    半隊長心得 海軍少尉  魚住守節
    分隊長心得 海軍少尉補 安住保弘
  ・例外
    砲兵隊砲兵教官 海軍大尉  池辺弥一郎
    同副教官    海軍中尉  但馬惟賢
    砲兵隊射法教官 海軍中尉  三原經備
    同隊教佐    海軍大尉  古屋 ?
              海軍少尉  詫間教治
    同隊主計掛   海軍中尉  川上親英
    同隊給養掛   海軍大尉  倒川尚義
               海軍中尉  秀島成債
               海軍中尉  寺内道呼?
               海軍少尉補 濱武岸生

 ・歩兵大隊
   大隊長勤務  海軍大尉  村岡道純
   ※明治6年7月13日、松岡方祇少佐が大隊長に任命されたが、同年7月24日に撤回。
   副長     海軍大尉  ?住成貞
           同    志岐守行
   ※明治6年8月15日、一番小隊長 徳田盛芳大尉、二番小隊長 村田道純大尉が副長に任命。
  ・一番小隊
    小隊長    海軍大尉  木藤貞良
    半隊長心得  海軍少尉  林幸雄
    分隊長心得  海軍少尉補 西直資?
  ・二番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  松村義擻
    半隊長心得  海軍少尉  蓑田春堯
    分隊長心得  海軍少尉補 岩氶縄矩?
  ・三番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  大久利利貞
    半隊長心得  海軍少尉  島川宗儀
    分隊長心得  海軍少尉補 乗?田景幸?
  ・四番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  馬屋原孝範
    半隊長心得  海軍少尉補 青木行恒
    分隊長心得  海軍少尉補 徳久武宜
  ・五番小隊
    小隊長    記載無し
    半隊長心得  海軍少尉補 ??隆長
    分隊長心得  海軍少尉補 ??村緒?
  ・六番小隊
    小隊長    記載無し
    半隊長心得  海軍少尉補 ?瀬勇七
    分隊長心得  海軍少尉補 池村譲助
  ・七番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  北郷次郎
    半隊長心得  海軍少尉  小芦弥八郎
    分隊長    記載無し
  ・八番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  二階?智行
    半隊長心得  海軍少尉  柴田五郎次
    分隊長心得  海軍少尉補 東?義正
  ・九番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  利屋道四郎
    半隊長心得  海軍少尉  木村信?
    分隊長    記載無し
  ・十番小隊
    小隊長心得  海軍中尉  大塚勝作
    半隊長心得  海軍少尉  小畑?穂
    分隊長心得  海軍少尉補 町田実義
  ・例外
    歩兵隊教佐  海軍中尉  髙坂元顕
                同    新納時亮
    同隊射法教官 海軍中尉  寺岡求馬
    同隊主計掛  海軍少尉補 渡邉徤
    同隊給養掛  海軍中尉  肥後芳智
              海軍少尉  児玉利武
                同    山田中三
           海軍少尉補 二?良作?
    同隊舶砲教官 海軍中尉  飯田信呂?
    同隊砲兵副教官 海軍少尉補 翔田景林
    兵学寮舶砲??掛 海軍少尉 堀?太

以上の一覧から以下の事がいえる。
一. 砲兵大隊は四個小隊を、歩兵大隊は十個小隊を内包する
一. 大隊長は少佐もしくは大尉が務めており、大尉が務める場合は大隊長勤務と称す。
一. 大隊副長は大尉が務める。
一. 小隊長は大尉が務め、中尉が務める場合は小隊長心得と称す。
一. 半隊長は中尉が務め、少尉が務める場合は半隊長心得と称す。
一. 分隊長は少尉が務め、少尉補が務める場合は分隊長心得と称す。
一. 各大隊には教官・主計掛・給養掛が数名ずつ所属している

ところが、澤鑑之丞 著「海軍七十年史談」では若干異なっている箇所が存在している。
以下は、同書より抜粋した記述である。なお、藩名等一部省略している。
『水兵本部長以下各士官・砲兵・歩兵は何れも各藩から募集された。
 ・本部長心得  海軍中佐 唯 武連
  同次官心得  海軍少佐 大野義方
    同    海軍少佐 松岡方祇
 ・砲兵科令長  海軍少佐 大野義範
  同副長    海軍少佐 肥田有年
 ・歩兵科大隊長 海軍少佐 徳田盛芳
  同副長    海軍大尉 村岡道純
         以下略                  』

澤鑑之丞 著「海軍七十年史談」では、「歩兵科大隊長 海軍少佐 徳田盛芳」と記されていたが、徳田盛芳は明治9年の雲揚艦沈没時に死亡しており、その際の階級は大尉であった。
澤は明治8年6月1日海軍省出版「海軍省及所轄寮部所府諸艦船分課一覧」を参照してこの表を作成しているが、徳田盛芳は当該資料が出版された時点では海軍大尉であり、確認できる限りその死後も少佐に昇進していないことから、徳田大尉が歩兵少佐であったとは考えにくい。
とはいえ、当該資料が間違っていたのかどうかについては当該資料を参照しておらず、また当該資料の存在がインターネット上では確認できないため、現時点では断定できない。

とまあ、ここまでつらつら書いてきましたが、途中からですます調を忘れてますね(汗)。
長文を書いているとつい論文書く時の癖が出てしまいます。
以上です。

部隊編成について

2017-07-08 16:59:40 | 資料・規則等
今回は海兵隊の部隊編成について、現時点で分かっている範囲でまとめたいと思います。
・部隊名等
 当時の部隊名は、現在一般的に使われる「第○小隊」といった名称ではなく、「○番小隊」といった呼称が使用されていたようです。所属海兵は「海兵○番小隊△分隊」もしくは「○番小隊△分隊 階級 名前」「○番小隊 階級 名前」といった表記が成されたようです。
 隊長職に任命された士官においては「○番小隊長(心得)」「○晩小隊半隊長(心得)」「○番小隊分隊長(心得)」などといった表記が確認されています。
※H29.7.21追記
 砲兵大隊には一番小隊から四番小隊までが所属し、各小隊に半隊・分隊が存在していた。
 例外として、砲兵隊砲兵教官、同副教官、砲兵隊射法教官、同隊教佐、同隊主計掛、同隊給養掛が所属していた。
 歩兵大隊も同様に、一番小隊から十番小隊までが所属し、例外として歩兵隊教佐、同隊射法教官、同隊主計掛、同隊給養掛、同隊舶砲教官、同隊砲兵副教官、兵学寮舶砲??掛(??内不明)が所属していた。

なお、部隊の規模は、大隊>半大隊>小隊>半隊>分隊の順です。

・歩兵一大隊
 8個小隊から編成され、以下のような編成がなされた
 ・一大隊
  大隊長1名、大隊副長1名。
  ※大隊長および大隊副長は佐官と思われるが、それが記された書類は未発見である。
  ※H29.7.21追記:大隊長は少佐、副長は大尉が任命された。大隊長を大尉が務める場合、大隊長勤務を名乗った。
  大尉相当医官(大軍医)1名、中尉相当医官(中軍医)2名、軍医副2名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)1名、手傅(てつだい)3名

 ・半大隊
  中尉相当医官(中軍医)1名、少尉相当医官(少軍医)1名、軍医副1名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)1名、手傅(てつだい)1名

 ・一小隊
  小隊長1名、半隊長1名、分隊長2名。
  内約:大尉1名、中尉2名、軍曹4名、伍長4名、鼓手兼喇叭手1名、海兵60名
  ※ただし、他の資料では少尉や曹長、権曹長も小隊に所属しているため、正確な内約は不明。
  ※H29.7.21追記
   小隊長は大尉が、半隊長は中尉、分隊長は少尉が勤めていた。
   なお、小隊長を中尉が務める場合は、小隊長ではなく小隊長心得と
   半隊長を少尉が務める場合は、半隊長心得と
   分隊長を少尉補が務める場合は、分隊長心得と呼称されていた。
   

・砲兵一砲隊(砲兵大隊と同義と思われる。※H29.7.21追記:砲兵大隊と表記された資料もある)
 4個小隊をもって編成された。一小隊につき海兵80名が所属し、状況によっては40名を以て一小隊を成した。
 ・一砲座
  大尉相当医官(大軍医)1名、中尉相当医官(中軍医)1名、軍医副1名
  司薬ノ内(詳細不明。薬剤師のようなもの?)、手傅(てつだい)1名

 ・一小隊
  歩兵隊と同様と思われる

以上が現時点で判明している、海兵隊の部隊編成とその内約でした。
不明な点が多いので、これからも研究を続けていきたいと思っています。

大日記の区分について

2017-06-17 01:28:55 | 資料・規則等
明治5年11月に制定された海軍条例を見ていたら、今まで気になっていた点が一つ解決したので載せておきます。
海兵隊関連の記録に必ず出てくる記号として、「甲○号大日記」「己○号大日記」などがあります。
↓こんな感じ

被服の制式や支給、装備の図面、兵器の調達。給料など、全ての書類にこれらの通し番号が振られております。
そもそも、この「大日記」というのは、海軍省に存在していた各局各課ごとの書類綴りの名称であり、各課ごとに以下のような割り当てがなされていました。
これらは各課の大日記の名号に従い「甲乙丙第何号」といった形で、書類の右端に朱書きで記しました。
各大日記は10月から翌年の9月までを一括りにする。といった決まりになっていました。

(例)記号:課
    甲:事務
    乙:文書
    丙:軍事
    丁:規定
    戌:人別
    己:金穀出納(きんこくすいとう)※金銭と穀物
    庚:調度
    辛:倉庫
    壬:営繕(えいぜん)
    癸:秘事

事務・文書課は秘史局の。軍事・規定・人別課は軍務局の。金穀出納・調度・倉庫・営繕課は会計局の分課。
最後の秘事は、「秘密の書類。或いは海軍卿の厳に秘せんと欲する書類」とされ、秘史局長管轄のうえ他見が禁止されました。

当時の海軍省に存在していた各局各課の配置と業務内容については、下記の表を参考にしてください。

※クリックして拡大してください

以上が「海軍条例」から読み取りました、当時の書類の命名方式と、海軍省の組織構造です。
当時の規則や組織体系を知ることも、海兵隊を研究する上では重要なことです。

海兵脱営者手配書

2017-06-05 23:48:26 | 資料・規則等
第七十七号 甲五套
 元白川県管下
 歩兵 古谷頼久

右の者、去る二十九日、寝入りの後窃に透を計り脱営致し候段、届け申し出候につき
同夜番兵等細々取り締まり候えども、更に相分からず如何様 垣を越え脱走いたし候儀にても
これあるべき際請所探索に及び候えども、今もって行方相分からず申し候間
別紙官物所持品並びに人相書添、この段お届け致し候也
 第四月二日  水兵本部
 本省
 御中
 四月二日
  裁判処回

一:礼服      一揃
一:正服      一揃
一:略服      一揃
一:略帽      一ツ
一:ケレードコード 一枚
同三百七十一号
一:縞シャチ(ツ)  二枚
一:フラ子(ネ)ル  二枚
一:櫛       一ツ
一:ヅボン釣    一ツ
一:沓(靴)     一足
一:沓足袋     二足
一:沓刷毛     一ツ
右古谷頼久所持品

人相
 白川県管下当住居芝伊血子
 毛利邸内士族古吉頼長二男
 海兵
  古谷頼久

一:年酉二十歳
一:色白く
一:眉毛濃き方
一:鼻高き方
一:口小さき方
一:顎小さき方
一:眼小さき方
一:額小さき方
一:髪毛黒き方

こちらの五等歩兵 古谷頼久ですが
明治6年1月8日 海兵を志願し、召抱え
同年年3月29日夜 上記の官品を持って脱営。※1
         その際に支給された被服類を転売。
同年4月18日 野州足利郡管沼村禅宗浄固寺の僧侶と兄の古谷為重に連れられて裁判所に出頭し、入牢。
同年5月 「其情実ヲ斟酌シ」禁固35日が言い渡される。※2
同年5月30日 「隊伍整列の上処刑」が言い渡される。※3
同年7月3日 禁固満期に付き水兵本部へ引き渡される。

※1 彼は同隊の大屋義尚から借金をしており、その返済から逃れるために脱営したようです。
※2 「甲五大日記 裁判所伺 歩兵古谷頼久脱走の件」
※3 処刑と書いてあるが、死刑ではない。

海兵隊敬礼式

2017-05-05 23:46:34 | 資料・規則等
こちらは海兵隊の敬礼の形を調べているときに偶然発見した資料です。
敬礼式というのは、ざっくり言うと「こういう状況の時はこのような形で敬礼しなさい」という規則です。
陸軍や海軍にも同様のものが制定されています。

海兵隊の資料全般に言える事ですが、漢文に近い書き方に加え、旧字体や異字体などを多用していて非常に読みにくいです。
以下は、カタカナを平仮名にし、一部の漢字を常用漢字にしてある程度読めるようにしました。

第一章 総則

 第一条 およそ敬礼式は下たる者上たるものに対して之を行い上たる者之に答礼をなすものとす
 第二条 総てこの条例中に掲示したる敬礼式は海軍陸軍ならびに諸条約国の海陸士官にもその階級に応じて之を行うべし
 第三条 砲を備えたる砲隊には旗章を備える歩兵隊と一般に礼式を行うべし
 第四条 銃剣のみを帯したる部隊も軍装部隊と看傚す(みなす)べし
 第五条 軍旗は皇族以上の外は礼式を行うべからず
 第六条 軍旗及び隊旗(その覆いを脱しあるとき)には常に最上の尊敬
       すなわち捧銃喇叭手「フロウリン」譜を奉し鼓手は「ロップル」譜を打撃するの礼式を行うべし
 第七条 皇族にて陸海軍在官の人にはその職務上に於いて敬礼をなすさいにはその階級に応じたる礼式を行うべし
 第八条 三職諸省使の長官公事にて兵隊の在る所に来るさい三大臣には元帥に準する礼式その他は将官礼式を以て敬礼を行うべし
 第九条 水兵本部の局長にはその階級を論せず将官礼式を行うべし
 第十条 上級の職を代理する諸士官にはその代理中は本官相当の敬礼を行うべし
 第十一条 総じて部隊諸士官に対し礼式を行うときはその士官定服を着したるさいのみとす
 第十二条 部隊を指揮する士官は兵卒捧銃をなすさいの外は一切礼式を行わずまた答礼をも行わずただ注意の次勢をなすのみとす
 第十三条 車上にて途上往来するさい礼式を行うには皇族以上の外は総じて車上のまま姿勢を正し礼式するも妨なし

第二章 独身の礼式

 第一条 士官は職務上にて先任士官に告知をなし或いは報告書を渡す際には常に礼式をなすべし
       士官は定服を着したるさいには帽を脱せず右手をもって礼式をなすべし
       佩剣を抜鞘しあるさいには銃軍操法に記載せし法にて剱(つるぎ)を以て礼式を行うべし
 第二条 諸士官独歩にて皇族以上に行き会うさいは正面停止注意の姿勢をなし敬礼を行うべし馬上にて前面し難きさいはただ停止するのみ
 第三条 士官皇族以上に一人謁見をなすさい或いは室内に於いては総じて帽を脱して之を左脇に挟み少しく腰を屈曲して敬礼を行うべし
 第四条 諸士官は将官或いは自己所属の佐官指揮しある隊に行き会うさいはその司令官に対し礼式を行い旗章には常に礼式を行うべし
       砲を備えたる隊には旗章同様礼式をなすべし
 第五条 士官二人以上にて下士官及び兵卒或いは分遣隊番兵等より敬礼を受くる際には先任の者のみ答礼するものとす
       抜剣しあるさいには答礼することなし
 第六条 下士官及び兵卒は定服を着したる陸海軍の文武諸士官には都て(先に)礼式を行うべし
       ただし海兵士官には士官たるを認むればその着服に拘らず礼式を行うべし
       また下士官及び兵卒相逢のさいも互いに礼式を行うを可とする
 第七条 諸条約国の士官にも定服を着したるにはその階級に応じて自国士官同様に礼式を行うべし
 第八条 下士官及び兵卒武器を携えたるさい長上に対するの礼節を分けて三目とす
     其の一 挙手注目
     其の二 正面整立
     其の三 注目
 第九条 挙手注目の礼式は銃軍操法に記載せしごとく行うべし(※)
       ただし独歩中皇族以上に敬礼するさいは五・六歩以上前に停止正面しこの礼式を行い通御五・六歩の後進行すべし
 第十条 正面整立の礼式は敬礼すべき人およそ五・六歩前に来るさい姿勢を正し之に正面して注意の姿勢をなすべし
       また注目の礼節は敬礼すべき人と行き会うか或いはその人の前を通過するさいその人の方にやや頭を回して注目するものなり
       第二の礼節を行うべきさいは営内等にて脱帽し或いは礼式をなすに妨げとなる物品を携帯して静立しあるさいに
       この礼式を行うべきものとす
       而して上件同様にて行歩中なるさいは第三の礼式を行うべし
 第十一条 下士官及び兵卒武器を携え独歩にて皇族以上に行き会うさい敬礼を行うには五・六歩前に停止し正面し肩銃をなし
       五・六歩通御の後進行すべし
       士官に会う際は肩銃をなしその人に注目して通行すべし
       また停止しあるさいか或いは人と談話するさいは士官来らば談話をやめ正面して肩銃をなすべし
 第十二条 下士官及び兵卒独歩にて行進部隊に行き会うさいには進行中に司令官及び旗章ならびに砲を備えたる隊には砲に礼式を行うべし
 第十三条 下士官及び兵卒士官に演述をなし或いは文書を呈するさいは礼式をなし二歩隔て静立演述し
      或いは其の書を呈進し退去するさいもまた礼式をなすべし
      同上のさい銃を携いたるさいは肩銃の礼を行い二歩隔て静立演述し其の書を左手に呈すべし
      下士官兵卒は室内といえども一切脱帽の礼式を行うことなし
      しかし裁判所に出頭するさいか或いは囚人たるさいには其の帽を脱すべし

第三章 部隊の礼式

 第一条 海兵隊は何れの時何れの場所を論せず皇族以上には最上の敬礼を
       即ち皇礼式軍旗及び隊旗を下げ士官礼式をなし兵卒捧銃をなし楽隊祝楽を奉し以て敬礼を行うべし
 第二条 主上太皇后皇后に敬礼式を行うさいは楽隊は祝楽を全く奉すべし
       また皇族に敬礼を行うさいには第一節しかるに(六「バルス」各譜)を奉すべし
 第三条 外国の国王及びその王旗には我が主上及び皇族に相当なる敬礼式を行うべし
       而してその国の祝楽(為しあたうさい)を奉するを要す
 第四条 主上臨幸のために派出整列したる部隊は他人に礼式すべからず
 第五条 元帥職務上にて来るさいにはそこに皇族の人の在るさいの外は隊旗を下げ而して次条に記載したる将官礼式を以て敬礼を行うべし
     第一 砲隊は士官礼式をなし下士官佩剱を抜鞘し而して楽隊遅足の第一節を奉す
     第二 歩兵隊は士官礼式をなし兵卒捧銃をなし而して楽隊遅足の第一節を奉す
     第三 楽隊を備えざる隊においては喇叭手「フロウリシ」譜を奉し或いは鼓手「ロッフル」譜を打撃す
 第七条 部隊静止中に将官以上来るさいには肩銃をなすべし
       行進中に将官以上に行き会うさいは肩銃をなし楽隊或いは喇叭手鼓手奏楽をなすべし
 第八条 本省勅任官の人にも将官同様の礼式を行うべし
 第九条 二個の大隊或いは軍装部隊行進中に出会うさいには気を付けの令を下し抜剣し而して司令官の予令或いは記号にて
       先頭小隊より逐次に肩銃をなし楽隊楽を奏して通過すべし
       軍装せざる部隊も眼右(左)の令にて礼式をなすべし
       砲を備えたる砲隊は眼右(左)の令を以て礼式を行うべしその他は歩兵隊に同じ
 第十条 一個の隊静止しあるさいは外の隊通過するさいには互いに肩銃をなすべし
 第十一条 部隊行進中に本隊の司令官に行き会うさいには旗章或いは砲を備えざる隊なれば礼式を行うべし
 第十二条 途上の行換は各隊己の右側に侍りて行進すべし
 第十三条 部隊番兵或いは立番兵の前を通過するさいは常に肩銃(眼右或いは左)をなすべし
 第十四条 士官の指揮する分遣隊は定服を着したる将官本省勅任官本隊の司令官にのみ肩銃(眼右左)の令を以て敬礼すべし
        乗艦の隊なるさいは本艦艦長にも本隊司令官同様の礼式を行うべし
 第十五条 分遣隊を指揮する下士官は其の隊軍装すると否とを論せず総じて定服を着したる士官の前を通過するさいには
        相当の礼式を行うべし
 第十六条 総じて部隊は敬礼する人二人以上のさいは先任の人にのみ敬礼を行うべきとす

第四章 番兵及び立番兵の礼式

 第一条 儀仗兵は主上或いは皇族の警衛兵及び盛典儀式の節派出すべきものにしてこの儀仗兵は百人の伍長兵卒より編成し
       大尉之を指揮し二人の従属士官(一人軍旗を携持す)定員の軍曹及び楽隊を付属す是れ一般の規則なり
       ただし特別の場合に於いて高貴の人に儀仗兵を供する時には五十人の伍長兵卒より編成し
       二人の士官定員の軍曹及び隊旗を付属し以てこれ職を命することとす
       たとえばこの儀仗兵は高官の人特派全権公使の命を奉して抜錨乗艦の時或いは諸港上陸の時或いは遠伝の都督出帰
       および凱旋の時または提督府の司令官始めて守衛地に着する時及び其の任を終わりて発途するとき
       並びに外国高官の人響應の時その外特別儀式の節等に之を要するものとす
 第二条 軍旗は主上或いは皇族の警衛兵の外他の番兵は之を携持すべからず
       儀仗兵は午前八時前或いは日没後は供せらるを一般の規則とす
       ただし特別の場合はこの例にあらず
 第三条 番兵は定服を着したる将官には何れの時に於いても室外に整列しこの章の第五条に記載したる礼式を行うべし
 第四条 番兵は定服を着せざる士官には室外に出るの礼を施行すべからず
       ただし皇族の人にはこの例にあらず
 第五条 番兵に三職諸省使の長官大礼服を着して通過するときには将官と同様の礼式を行うべし
 第六条 陣営の番兵は本隊の司令官にはその位階を論せず一日に一回は室外に整列して必ず捧銃の礼を行うべし
 第七条 定服を着したる将官或いは室外整列の礼式に相当する人番兵の後方を通過するとき
       番兵司令官は番兵をして其の固有の正面に面して並列せしめ肩銃をさしむべし
       このときは鼓手喇叭手奏楽すべからず
 第八条 番兵交代式の間に諸士官番兵所を通過する時には両番兵司令官の内先任の者号令して相当の礼式を行うべし
 第九条 番兵は軍曹部隊其の衛所に近接するさいには室外に整列し肩銃にて静立すべし
       もしその隊中に覆を脱したる旗章を携持するさいは番兵は旗章の近接したるさい捧銃をなし通過すれば肩銃になすべし
       砲を備えたる砲隊には捧銃の礼を行うべし
 第十条 番兵は日没と日の出の間は礼式をなすべからず
       また軍装せざる部隊には室外整列を行うべからず
       主上通御の時或いは週番佐官当直士官巡検のさいは日没後といえども室外に整列して礼式をなすべし
 第十一条 主上及び皇族の警衛兵は皇族の外は礼式をなすべからず
        皇族の警衛兵は将官或いは当直士官職務上にて巡検するさいには室外整列し肩銃をなすべし
        総じて他の番兵は将官及び当直佐官には捧銃を以て礼式を行うべし
 第十二条 立番兵礼式一般の規則は静止正面し而して将官佐官及び軍装部隊には捧銃をなし
        それ以下の士官には肩銃にて礼式することとす
        三職諸省使の長官本省勅任官以上にも捧銃の礼を行うべし
 第十三条 主番兵日没暗号より日の出暗号までは総じて捧銃の礼を行わず常に肩銃の礼のみを行うべし
        ただし皇族以上にはこの例ににあらず
 第十四条 主番兵は敬礼する人凡そ十五歩前に来るとき正面に停止注意の姿勢をなして肩銃をなし
        もし捧銃の礼をなすべきさいはその人の近接するに及ら之を行うべし
 第十五条 皇族以上の警衛兵より分派したる立番兵は皇族或いは覆し脱したる旗章にのみ捧銃をなし定服を着し
        その衛所を通過する士官には総じて肩銃にて静立すべきなり
 第十六条 将官守護の立番兵は将官以上にのみ捧銃の礼を行いそれ以下の士官には静立して肩銃をなすべし

(※)銃軍操法という文書は発見できていませんが、水兵本部が請求した資料の中にそれらしきものが有ったので、また別の機会に紹介したいと思います。