水兵本部広報局

明治時代の大日本帝国海軍 海兵隊について、これまで調べた事等を紹介するブログです。

ベタ(下手とも言う)塗り

2017-06-24 17:37:33 | 絵とか

ラフ画を書いて暫く放置していた絵の修正とベタ塗りが終了。ベタ塗りというよりかは下手塗り
あとは陰付けなのですが、一等小銃射法教授課軍曹がサーベルを所持していたかどうか・・・
小銃教授掛の権曹長は支給されているんだが・・・
水兵本部の各局分課について調べなくてはorz

大日記の区分について

2017-06-17 01:28:55 | 資料・規則等
明治5年11月に制定された海軍条例を見ていたら、今まで気になっていた点が一つ解決したので載せておきます。
海兵隊関連の記録に必ず出てくる記号として、「甲○号大日記」「己○号大日記」などがあります。
↓こんな感じ

被服の制式や支給、装備の図面、兵器の調達。給料など、全ての書類にこれらの通し番号が振られております。
そもそも、この「大日記」というのは、海軍省に存在していた各局各課ごとの書類綴りの名称であり、各課ごとに以下のような割り当てがなされていました。
これらは各課の大日記の名号に従い「甲乙丙第何号」といった形で、書類の右端に朱書きで記しました。
各大日記は10月から翌年の9月までを一括りにする。といった決まりになっていました。

(例)記号:課
    甲:事務
    乙:文書
    丙:軍事
    丁:規定
    戌:人別
    己:金穀出納(きんこくすいとう)※金銭と穀物
    庚:調度
    辛:倉庫
    壬:営繕(えいぜん)
    癸:秘事

事務・文書課は秘史局の。軍事・規定・人別課は軍務局の。金穀出納・調度・倉庫・営繕課は会計局の分課。
最後の秘事は、「秘密の書類。或いは海軍卿の厳に秘せんと欲する書類」とされ、秘史局長管轄のうえ他見が禁止されました。

当時の海軍省に存在していた各局各課の配置と業務内容については、下記の表を参考にしてください。

※クリックして拡大してください

以上が「海軍条例」から読み取りました、当時の書類の命名方式と、海軍省の組織構造です。
当時の規則や組織体系を知ることも、海兵隊を研究する上では重要なことです。

海兵隊 権曹長の腋章(階級章)についての考察

2017-06-09 17:59:20 | 服制
海兵隊の階級(下士卒)にも追記しましたが、海兵隊でも権曹長という階級が明治6年に廃止されるまで存在していました。
ここで気になってくるのが、権曹長の礼服・常略服の腋章(階級章)です。
権曹長は軍曹と曹長の間に位置する階級で、二等曹長に位置づけられる階級ですが、「海兵隊服制下」には権曹長の服制図はありません。
腋章の存在自体は資料より確認ができるのですが、その図案等は不明のままです。
そこで注目したのが、「砲(歩)兵一等大砲(小銃射法)教授課軍曹」の腋章です。
当該箇所の但し書きには「但し、二等三等は両腕の櫻花を除く」と記してあります。
この但し書きが曹長にも当てはまるとすれば、二等曹長である権曹長の腋章は、曹長の腋章から櫻花を取り払ったもの。つまり、「海兵隊服制下」中の「給養課・陣営課曹長」と同様のものである可能性があります。

ここまでもっともらしく書いていますが、権曹長腋章の図面は私が発見できていないだけであり、存在しないとは言いきれません。海兵士官夏服同様、アジ歴に掲載されていないだけで、国立公文書館にて所蔵されている資料に図が掲載されている可能性は十分にあります。
明治海兵隊は本当に奥が深いですね。

また予断ですが、楽隊権曹長、小銃教授掛権曹長はサーベルが支給されたようです。

海兵脱営者手配書

2017-06-05 23:48:26 | 資料・規則等
第七十七号 甲五套
 元白川県管下
 歩兵 古谷頼久

右の者、去る二十九日、寝入りの後窃に透を計り脱営致し候段、届け申し出候につき
同夜番兵等細々取り締まり候えども、更に相分からず如何様 垣を越え脱走いたし候儀にても
これあるべき際請所探索に及び候えども、今もって行方相分からず申し候間
別紙官物所持品並びに人相書添、この段お届け致し候也
 第四月二日  水兵本部
 本省
 御中
 四月二日
  裁判処回

一:礼服      一揃
一:正服      一揃
一:略服      一揃
一:略帽      一ツ
一:ケレードコード 一枚
同三百七十一号
一:縞シャチ(ツ)  二枚
一:フラ子(ネ)ル  二枚
一:櫛       一ツ
一:ヅボン釣    一ツ
一:沓(靴)     一足
一:沓足袋     二足
一:沓刷毛     一ツ
右古谷頼久所持品

人相
 白川県管下当住居芝伊血子
 毛利邸内士族古吉頼長二男
 海兵
  古谷頼久

一:年酉二十歳
一:色白く
一:眉毛濃き方
一:鼻高き方
一:口小さき方
一:顎小さき方
一:眼小さき方
一:額小さき方
一:髪毛黒き方

こちらの五等歩兵 古谷頼久ですが
明治6年1月8日 海兵を志願し、召抱え
同年年3月29日夜 上記の官品を持って脱営。※1
         その際に支給された被服類を転売。
同年4月18日 野州足利郡管沼村禅宗浄固寺の僧侶と兄の古谷為重に連れられて裁判所に出頭し、入牢。
同年5月 「其情実ヲ斟酌シ」禁固35日が言い渡される。※2
同年5月30日 「隊伍整列の上処刑」が言い渡される。※3
同年7月3日 禁固満期に付き水兵本部へ引き渡される。

※1 彼は同隊の大屋義尚から借金をしており、その返済から逃れるために脱営したようです。
※2 「甲五大日記 裁判所伺 歩兵古谷頼久脱走の件」
※3 処刑と書いてあるが、死刑ではない。

手に入らないものは・・・

2017-05-21 02:10:10 | 絵とか
絵を描いて発散するって偉い人が言ってた。
というわけで、現実逃避もかねてマウスで絵を描いてみました。
海兵隊歩兵一等小銃射法教授課軍曹礼服のラフ画です。

分かる人には分かる構図。
日本海軍軍装図鑑の「海兵隊伍長副略服」の構図をパクって模写しました。
自力で描ける様に練習せねば。