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モトログ ~ある診断士の終わりなき挑戦~

常に挑戦者であることでkurogenkokuは成長を続けるとともに、人の痛みのわかる診断士を目指します。

「生きる」という意味について考えることのできた1ヶ月 (6)

2012-01-21 07:15:00 | お仕事・私生活

幸いなことにこの1ヶ月、私は「生きる」という意味について真剣に考えることができました。

私は家族が何不自由なく過ごせるように準備をしていたつもりでした。
立派な大人として独り立ちできるようになるまで子供の面倒を見るのが親の務めだと思っています。高校や大学に進学すればそれなりのお金がかかります。それを予測して計画的に学資を積み立てています。金銭的な面だけでなく、一緒にサッカーをしたり旅行をしたり思い出をつくりたい。
でもそれらはすべてこれから先何十年も私が無事であったらという前提に基づいているから成せることなのです。


私が務める商工会議所では、昨年、若手経営指導員3人が商工会議所の経営革新計画をつくって発表会をしました。3人とも職場の強みとして私(中小企業診断士)の存在をあげました。質疑応答の際、ベテラン職員Aさんがこんなことを言いました。「実はkuroさんがいるのは弱みにもなるんじゃないかな。こういう人はいつ出て行ってしまうかもわからないし、いなくなってしまうと何もできない職場になるんじゃないか」と。
その言葉が強く印象に残り、私がいなくなっても混乱しないよう経営指導員の教育には人一倍力をいれるようにしました。企業訪問の際には必ず帯同させるようにしました。経営革新支援についてもなるべく部下に考えさせるようにしました。彼らがどんどん成長しているのがわかります。でも明日私がいなくなったら・・・。まだまだ時間が必要です。


いま私がいなくなったらどうなるか。
 想像しえないほど多くの人を困らせることに気づきました。

大切なのは“どれだけ生き延びられるかというよりも、どれだけ多くのものを残しておけるか”ということです。

腫瘍があるという事実を知りながら、戻りが多い保険とか探したりもしました。でもそんなものはありませんし、正義が許しません。
自分がいなくなっても残された家族がお金を手にすることはできないか。いま加入している保険では、生まれて間もない子供2人が大人になるまで必要とされる費用を賄うのには不十分です。これから先、ヨメは働き続けなければならないでしょう。だから残された家族の少しでも足しになればと本を書こうとも思いました。某メディアで記者をしている友人が以前ドキュメンタリー番組を作りたいといっていたことがありました。病気と闘う自分を取材してくれれば、有名になって本が売れるかもしれない。

どれもこれも浅はかで自分にとって都合の良いアイデアばかりです。






1月13日
検査結果が出ました。
腫瘍は心臓に付着しておらず、手術は可能との結論。
痰に血が混ざるなど気になる症状も残っていますが、PET検査で後縦隔の腫瘍以外に悪いところは見つからなかったのでたぶん大丈夫でしょう。
食道が酷く炎症を起こしていることもわかり、追加で内視鏡検査を実施することにもなりました。でも腫瘍に比べれば軽いものです。


そんな私に対し、「長い目で見ればわずかな時間なんだから徹底的に治せ」と上司が温かい言葉をかけてくれました。職員みんな心配してくれています。ありがたいことです。
しっかりと治療し必ず元気な姿でカムバックします。



最後に。
守るべきものが多ければ多いほど、「生きる」という言葉は自分以外に向けられるべきなんだと強く感じました。

病気と闘うのは決して楽なことではありませんが、ここを乗り越えることでまたひとつ人間的に成長できるんじゃないか。
今回起こったことを、私は前向きに捉えたいと思います。


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「生きる」という意味について考えることのできた1ヶ月 (5)

2012-01-20 06:09:00 | お仕事・私生活

年が明け、本格的な検査が始まりました。

1月6日
心電図、呼吸機能、造影MRIの検査です。
咳がヒドイ自分にとって最も苦しかったのは呼吸機能検査。限界まで吸ったり吐いたり40分くらい続けさせられました。目が回りそうになりました。

MRI検査の待合室にいると、小学生くらいの男の子が看護師さんに手をひかれながらやってきました。顔は青白く、髪も薄くなってしまっています。痩せこけて歩くのがようやっとという状態でした。入院生活が長いのでしょう。両親の姿が見えません。小さくも楽しそうな声でお話をしている男の子の様子を見て、胸が張り裂けそうな思いがしました。
なんとかこの小さな命を救って欲しいと心の底からそう思いました。

毛糸の帽子をかぶっている若い女性。友達らしき2人と楽しそうに会話をしています。でも顔色は良くありません。車椅子に座りながら大勢の家族に囲まれて笑っているおばあちゃんがいると思えば、1人で窓の外を眺めている中年男性がいます。
その日はいろいろな方の表情が目に飛び込んできました。



1月10日
 PET検査。
正常細胞に比べてがん細胞は3~8倍のブドウ糖を取り込むという性質を利用して調べます。腫瘍の良性or悪性、転移の様子等もわかるということです。
PET検査は他の検査と比べて高額です。健常者が行なうと保険は適用されません。がんの発見が遅れて亡くなる方が多いことを考えると、早期発見に有効なPET検査が広く利用し易い環境が整うといいなぁなんて思ったりしました。



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「生きる」という意味について考えることのできた1ヶ月 (4)

2012-01-19 06:27:00 | お仕事・私生活

隠そうと思っても隠せないことってありますよね。

これだけ長い期間マスクをしていると、いろいろ言われます。市役所の方々に「随分長いこと風邪ひいているみたいだけど大丈夫?」と何度声をかけられたことか。


仕事をあまり休まなかったのが裏目に出ることもあります。私が頻繁に休暇をとるようになって、職員の皆さんも感じることがあったのでしょう。ある日、女性職員に聞かれました。
「やっぱり何か悪いところがあるんですか?」
上司には病状のことを伝えてありましたが、他の職員には話をしていませんでした。隠して休みを取り続けるのも組織人としてどうなのだろうか。悩んだ挙句、職員全員に病状の説明をしました。また休暇が増えることについてお詫びをしました。


お酒を好きな私が忘年会シーズンにお酒を飲まないのですから不審がられます。
「ちょっと風邪をこじらせてしまって」と嘘をついたこともありましたが、親しい方にはきちんと説明するようにしました。





ところである日、いやな夢を見ました。
不吉なことなのでためらいましたが・・・。
書きます。



葬式の夢です。私の。。。


その様子を遠くから眺めている自分がいます。

家族は泣き崩れています。
お世話になった方々が、これほど多く葬儀に訪れてくださるとは・・・。


喪主は父でした。
チビクロは母に抱かれ、プチクロはヨメに抱かれています。
母とヨメは泣いていましたが、チビクロもプチクロも泣いていませんでした。



「ここにいるよ」と声をかけても気づきません。

この世を去るとは、こういうことなんですかね。




先日、このブログで同い年の友人が亡くなったという記事を書きました。
小さな子供たちを残してこの世を去った彼はどんな気持ちだったのだろうか・・・。




ハッと目が覚めたとき、となりにスヤスヤ寝ているチビクロがいました。



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「生きる」という意味について考えることのできた1ヶ月 (3)

2012-01-18 02:43:00 | お仕事・私生活

12月8日木曜日
再検査の日です。造影剤を使ったCT検査を行ないました。造影剤を注射すると画像が鮮明に写ります。その後、S先生と撮影結果を検証しました。


先生の診断は「後縦隔腫瘍」
悪いところは素人目にもはっきりわかりました。



聞きなれない病気です。帰宅後、インターネットで調べてみました。
良性の確率が比較的高い病気ということ。ちょっと安心。ただ良性でも肥大化して臓器を圧迫したり悪性化することもあるため、外科的手術をすることも多い。わかったのはこれくらいでした。



すぐにS先生が埼玉医大国際医療センターの予約をとってくださいました。ほんとうに助かります。



翌週12月16日
埼玉医大国際医療センター。私が受診しているのは包括的がんセンターというところです。実はここに来るのは2回目。大好きだったオジサンがここに入院していて、お見舞いに来たことがあります。オジサンは数年前、食道がんで亡くなりました。まさか自分がここに通院するとは考えてもみませんでした。


正面玄関を入るとエントランスホールのキリストとマリア様の肖像画が出迎えてくださいます。その高さ20~30m。外科病棟には肖像画横の長いエスカレーターを使います。初めてここを通る方は天に召されているような気がするでしょう。何とも複雑な気持ちになります。


私の担当はY先生。かかりつけ医のS先生とは同じ医局にいたことがあるそうで、初めて会うような気がしないくらい気さくな方でした。

Y先生はS先生から預かったCT画像を見ていろいろ説明してくださいました。
「後縦隔に腫瘍があるのは間違いないなぁ。ただ心臓に接しているのが気になる。心臓と分離していれば問題ないが、付着しているようだと手術はとても難しい。良性であれば問題でないが、必ずしもそうは言い切れないなぁ・・・etc」


その日は血液の採取とレントゲンの撮影だけ行い、年明け早々から本格的に検査することになりました。



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「生きる」という意味について考えることのできた1ヶ月 (2)

2012-01-17 02:56:00 | お仕事・私生活

12月6日
長女出産の当日。
私の両親も病院に駆けつけました。

腫瘍が見つかったということについては、昨日電話で話しておきました。
心配性の母親は私に「大丈夫なの?」そればかり言います。


「まあ見た感じ全く問題ないと思うよ」
いつものように何の根拠もないことを笑いながら答えました。




午後4時過ぎ
「kurogenkokuさん、無事女の子が産まれました」

私だけが奥の部屋へと案内されました。


大きな産声をあげる長女。思わず目じりが垂れ下がりました。
キレイに拭いて、タオルで包んで・・・。

「はい、パパ。抱っこしてあげてください」


2736グラムの小さな娘を抱いたとき、心の底から「死にたくない」と思いました。



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