年末年始は予約投稿モードです。
これ、年末に取り上げたかったんだけれど。
女子高生については一切ノールック
http://workingnews.blog117.fc2.com/?no=4586
おまえら、ちゃんとノールックしてますか。この間は男が歩いている事案まで発生したのだそうだよ。2012年はノールック、ノーウォークだね☆
冗談はさておいて、芹沢一也氏の『暴走するセキュリティ』が説くように、今の過剰なセキュリティ社会の背景には、凶悪犯罪は減少しているにもかかわらず、体感治安は悪化していることがある。マスコミのセンセーショナルな報道のせいもあるね。しかし根っこにあるのは、これまで保障されてきた社会的セーフティネットを享受できない人達が大勢生み出されてきたこと。下からの権力問題は、橋下旋風を読み解くキーワードでもある。
しかしいいな、ノールック。
「アウトオブ眼中」は「見ない」という主観が入ってしまっている。「華麗にスルー」も華麗でないケースが多い。
ノールックといっても、視界に入っていないわけではない。興味関心がないだけ。ほんとうにノールックなら、JKに自転車で激突してしまう。
ここで唐突に、JKならぬDKだった頃に読んだ、フーコーを思いだした。
哲学者の役割は、〈見えないもの〉を見えるようにするのではなく、〈見えているもの〉を見えるようにすることだ。つまり、常に人が見ていながらその実態において見ていないもの、あるいは見損なっているものを、ちょっと視点をずらすことによってはっきりと見えるようにすること。〈見えないもの〉を見えるようにするのは、科学の役割なんだね。(『哲学の舞台』朝日出版社)
ネット社会の問題点は、見えているのに見ていないノールック問題ではないのか。情報社会の氾濫する〈知〉は、人からかえって自由な発想や認識を奪っている。ノールックな盲点や死角がバグになって、思考や運動の無限ループやフリーズ状態を引き起こしてしまうんだね。振り返れば出口があるのに、密室と錯覚して、完全犯罪のように思い込んでしまう。
続けてフーコーは次のようにいう。
「現代社会における〈知〉は、その軌跡が余りにも複雑になったために、文字どおりわれわれの社会の〈無意識〉になってしまっている。われわれはわれわれの知っていることが何かを知らないし、われわれは〈知〉の作用がいかなるものかを知らないのです。その意味で、知識人の役割とは、われわれの社会に無意識のようにして君臨するこの〈知〉を、意識へと転換することにある、と言えると思います」(前掲書)
この来日インタビューは1978年4月。東大の講演では、フーコーは三里塚闘争を大絶賛している。フーコー学者の多くは、このラディカルな反体制哲学者の側面はノールックらしい。しかし〈無意識〉として君臨するネットの現在のネット社会にあって、この提言は充分に予見的であり有効だと思うな。
(でもまあ、JKについてはノールックが無難だね)
これ、年末に取り上げたかったんだけれど。
女子高生については一切ノールック
http://workingnews.blog117.fc2.com/?no=4586
おまえら、ちゃんとノールックしてますか。この間は男が歩いている事案まで発生したのだそうだよ。2012年はノールック、ノーウォークだね☆
冗談はさておいて、芹沢一也氏の『暴走するセキュリティ』が説くように、今の過剰なセキュリティ社会の背景には、凶悪犯罪は減少しているにもかかわらず、体感治安は悪化していることがある。マスコミのセンセーショナルな報道のせいもあるね。しかし根っこにあるのは、これまで保障されてきた社会的セーフティネットを享受できない人達が大勢生み出されてきたこと。下からの権力問題は、橋下旋風を読み解くキーワードでもある。
しかしいいな、ノールック。
「アウトオブ眼中」は「見ない」という主観が入ってしまっている。「華麗にスルー」も華麗でないケースが多い。
ノールックといっても、視界に入っていないわけではない。興味関心がないだけ。ほんとうにノールックなら、JKに自転車で激突してしまう。
ここで唐突に、JKならぬDKだった頃に読んだ、フーコーを思いだした。
哲学者の役割は、〈見えないもの〉を見えるようにするのではなく、〈見えているもの〉を見えるようにすることだ。つまり、常に人が見ていながらその実態において見ていないもの、あるいは見損なっているものを、ちょっと視点をずらすことによってはっきりと見えるようにすること。〈見えないもの〉を見えるようにするのは、科学の役割なんだね。(『哲学の舞台』朝日出版社)
ネット社会の問題点は、見えているのに見ていないノールック問題ではないのか。情報社会の氾濫する〈知〉は、人からかえって自由な発想や認識を奪っている。ノールックな盲点や死角がバグになって、思考や運動の無限ループやフリーズ状態を引き起こしてしまうんだね。振り返れば出口があるのに、密室と錯覚して、完全犯罪のように思い込んでしまう。
続けてフーコーは次のようにいう。
「現代社会における〈知〉は、その軌跡が余りにも複雑になったために、文字どおりわれわれの社会の〈無意識〉になってしまっている。われわれはわれわれの知っていることが何かを知らないし、われわれは〈知〉の作用がいかなるものかを知らないのです。その意味で、知識人の役割とは、われわれの社会に無意識のようにして君臨するこの〈知〉を、意識へと転換することにある、と言えると思います」(前掲書)
この来日インタビューは1978年4月。東大の講演では、フーコーは三里塚闘争を大絶賛している。フーコー学者の多くは、このラディカルな反体制哲学者の側面はノールックらしい。しかし〈無意識〉として君臨するネットの現在のネット社会にあって、この提言は充分に予見的であり有効だと思うな。
(でもまあ、JKについてはノールックが無難だね)
ノールック問題は、この社会のクラスター化、分断状況とワンセットです。しかし3・11以降、それを打ち破ろうとする動きも出てきている。兵法の言葉でいえば、兵は良き方向に荒れさせよ、です。
政治的には真逆ですが、良い文章でしたね。大阪労連ネタは笑いましたが。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/01/2012-78be.html
しかし特定専門分野の特定専門家の人の話のほうが、考えるヒント、生きるヒントになるってたくさんありますね。
たとえば、自閉症の子どもに、お正月なのに病院から自宅に帰れないのをどう納得させるか? 熱は下がっていて元気だけれど、経過を見守る必要がある。しかし「if、then~」という話し方は通じない。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20111229
九井諒子さんの「人魚禁漁区」でも、言葉の通じない人魚と砂浜にチャートを描いて対話する場面があります。
パニック状態のときは誰もが思考停止に陥ります。それでも集団や個人の危機を避けるにはどうしたらいいか、伝わらないならどう伝えたらいいのか。複雑そうに見える事象を、単純なパーツの組み合わせにばらして、基本パターンの繰り返しで表現する。5歳児にもわかるような積み木思考が必要だと思いますね。