新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

どんなに傷ついても私は文学を信じます 太宰治と魯迅の話 フランス流日本文学入門(10)

2021年02月08日 | 文学少女 五十鈴れんの冒険

[今回のテクスト]
『こう読めば面白い! フランス流日本文学 -子規から太宰まで-』柏木隆雄(阪大リーブル)
第10章太宰治『惜別』の生成

[登場人物]
夏目かこ
13歳の中学1年生。古書肆・夏目書房の一人娘。本が大好きで、時間も忘れて読書に耽る日々。大人顔負けの読書量を誇る。読みたい本がどんどんたまっていくのが悩み。英語も得意で、学校では留学生と一緒に日本文学を読む読書サークルを主催。 自分が人生一度限りの十三歳であることに強いこだわりを持っている。


五十鈴れん
15歳の中学3年生。父が夏目書房の常連で、かことも幼なじみ。父が夏目書房で買い集めた「テニエル以外の『不思議の国アリス』コレクション」が宝物。『狂人日記』が恐かったので、魯迅はそれ以来読んでいない。

五十鈴九郎(お父さん)
ひとり娘のれんを溺愛する、コロナで隔日勤務の会社員。今回は、中国文学が専門の父親を持つかこに、魯迅に関するレクチャーを受ける。



(1)夏目かこ登場 『源氏物語』から『不思議の国のアリス』まで

お父さん ただいま……お客さん?ああ、お久しぶりです。

かこ おじさん、ご無沙汰しております。以前お借りした本と資料、お返しに来ました。

お父さん それは、わざわざご丁寧に。学校でれんに渡してくれたらいいのに……。

かこ いえいえ、直接お礼を申し上げたかったので、五十鈴先輩に無理をいって、お邪魔させていただきました。
『あさきゆめみし』英訳版、図書室にご寄贈いただき、アシュリーちゃん大喜びしていました。『源氏物語』全帖の英訳ダイジェストも、ものすごく感動されちゃいました。源氏物語のきれいな絵の図録までいただいて、国境を越えた13歳同士、アシュリーちゃんとの絆がグッと強まった気がします。

お父さん 英訳ダイジェストは、あの図録の絵描きさんの展覧会で配った解説でした。全56帖の絵をすべて買い取りたいという外国のお客さんがいて、友人に頼んで訳してもらって、お礼に差し上げたんですよ。また役に立つ機会があってよかったです。

かこ はい、ものすごくありがたかったです!

お父さん しかしれんと一緒に仲良く絵本を読んでいたのが、つい昨日のように思われるのに、ご立派になられましたね。れんは、あなたに会うのが楽しみで、休日にはいつもお店に連れていけってせがまれたものです。一人っ子で、妹ができたように思ったのでしょう。

かこ お店で本を読むのは禁止でしたが、れんちゃん…五十鈴先輩が来るときは、特別に許可してもらえて、私もいつも楽しみでした。私も一人っ子ですから、お姉ちゃんができたみたいでした。

れん 学校じゃなぃんだから、いつも通り「れんちゃん」でぃいんだよ?

かこ そんな、先輩は先輩ですし、お父さまの前ですから。では、お言葉に甘えて、れんちゃん先輩で。
おじさんは、れんちゃん先輩のために、ディズニーでない白雪姫や人魚姫やアリスの絵本を探しておられたんですよね。今日は昔れんちゃん先輩と一緒に見た絵本と再会できて感動していたんです。 『不思議の国のアリス』だけでも、アーサー・ラッカム、ヤンセン・ギュセレフ、アーサー・バックハム、リスベート・ツヴェルガー、トーベ・ヤンソンと、その他たくさん、どれも懐かしくて……。おじさん、れんちゃん先輩のために、テニエル以外の『アリス』をコレクションされていたんですよね。

お父さん ディズニーのアリスも、テニエルがベースですが、それ以外のアリスの存在も知って表現の多様性を学んでほしくて、親ばかでちょっと奮発してしまいました。

れん ツヴェルガーさんやヤンソンさんの『アリス』、ヘンテコでかわぃい生き物がたくさん出てきて、すごく面白かったなぁ…ぅん。ぃまも大好き!

お父さん ヤンソンの本を読めっていわれたときは、往生したものです。スウェーデン語の原書でしたからね。翻訳が出ていたとは知りませんでした。

れん (おぼえてぃるよ…。「オランダはスウェーデンとご近所だから」といいながら、ミッフィーちゃんにデタラメに読ませてたね…。ぉ父さんが、女の子の声も出せるのは、家族だけの秘密…ぁ、梨花ちゃんには教えちゃった…)

かこ 村山由佳さんの翻訳は、私も読みました! それで、今日お訪ねしたのは、もう一つ、お願いがありまして……これです。

 野宮葵『ブス源氏 -ブスのブスによるブスのための超訳源氏物語』

ご迷惑かもしれませんが、野宮先生、サインをいただけませんでしょうか?

お父さん ああ。たしかに、これは私の書いた本です。よくこんなもの、お持ちでしたね。源氏物語千年紀に便乗した、「アラサーこじらせ文学女子による古典入門シリーズ」第一弾企画でした。まあ、この本一冊で終わりましたが。

かこ 「十三歳の夏目かこへ」で、サインをお願いできませんか?

お父さん いや……そんなサインするような立派な人間ではないし、立派な著作でもありません。
うーん。そうですか。ご愛読、ありがとうございます。れん、硯箱と、あと水差しに水を入れてきてくれる?
そのタイトル、編集さんが付けたのですが、ひどい題名ですね。たしかに末摘花は、紫式部が自分をモデルにした自虐キャラではありましたが、そこだけ強調されてしまいました。
あ、ありがとう。今から墨を磨りますから、少々お待ちください。

かこ お店に入ってきたとき、手に取ったのはたしかにこの題名のインパクトでしたけれど、読んでみて、「これだ!」って思って、父にせがんでおこづかい天引きで譲ってもらったんです。小学6年生のときでした。
アシュリーちゃんと一緒に『源氏物語』を勉強するのに、「この本が、私のソウル源氏入門本です」とれんちゃん先輩に見せたら、おじさんが書かれたと知って、驚きました。

お父さん よし、墨も整いました。
しかし無名のライターの著者名を書いてもなあ。うーん。歌でも書いてみましょうか。この本が友人の娘さんであるあなたの手に渡り、また私のところにやってくるとは、いかなる運命のいたずらなのでしょうね。まさに「いかなるすぢを尋ね来つらむ」の玉鬘だが、友人の娘さんに「恋わたる身」は差し障りがありますね。では、これでいきましょう。

   神垣のしるしの杉もなきものを 
   いかにまがへて折れる榊ぞ 

       十三歳の夏目かこさんへ
                                 野宮 葵

かこ わあ!六条御息所の歌だ! やっぱり嵯峨の野宮が、ペンネームの由来だったですね! 

れん そぅ! でも元々は、ぉばあちゃんのペンネームなんだ…よ!『源氏物語』が大好きで、特に六条御息所と葵上が好きだったの…。

お父さん 離婚して家を出てから、何かものを書いて暮らしていたようです。この本を出したのがちょうど故人の十周忌で、追善供養のようなものでした。
もう少し墨を乾かした方がいいと思いますが、ご査収ください。

かこ はい、ありがとうございます!一生の宝ものにします!

お父さん しかし夏目さんに叱られてしまうなあ。将来のある人なんですから、こんな門外漢のヤクザものが書いた本なんか読んでたらダメですよ?

かこ とんでもありません。『源氏物語』をa系、b系、c系、d系に分解して、読み解いていく手法は、眼からウロコでした!
私、小学5年生のとき『あさきゆめみし』を読んで、父が薦めてくれた晶子の新訳版を読んだんです。すごく面白くて夢中になったんですけれど、「夕顔」と「若紫」、プッツと物語のつながりが切れて、不自然ですよね。野宮先生のこの本で、まずa系の紫の上系の物語があって、そのスピンオフとして、b系の玉鬘系の物語が執筆されたという解説を読んで、初めて納得できたんです。今の『源氏物語』は、元々は別の物語だったものを、時系列に編集し直したものだったんですね。

お父さん エンタメ本ですから、面白おかしくああは書きましたが、どうだったんでしょうね。紫式部の直筆本は現存しませんし、おそらく紫式部本人が存命中の写本にもさまざまなバージョン、ヴァリアントがあったはずです。『源氏物語』には、これは明らかに後代の加筆だとわかる箇所もありますが、そうしたノイズを除去したとしても、原『源氏物語』がどんなものだったのか、現在のわれわれには知るすべがありません。現存しないテクストの本来の姿の再現を望むのは、あの学者さんが提唱した日本語=タミル語起源説のように、ロマンやファンタジーの類いにすぎないと思いますよ。
しかし、『蛍』帖の源氏が語るとおり、物語、すなわちロマンやファンタジーの方が真実を語ることもあります。あくまで仮説に基づくものですが、想定される執筆順に読めば、あの物語の話の流れが、より自然なものとして受け取れるというメリットはあります。

かこ 野宮先生が、b系パートの序章の「帚木」で、「あー、かったるかった。六条の大臣は栄華の絶頂、夕霧と雲居雁も無事に結ばれて、あーめでたし、めでたし、とでもいうと思った?六条院が生ける仏の御国だとか、ばっかじゃないの?光源氏とかいって、スーパースター気取りだけれど、ほんとはさ」って、ぶっちゃけモードのやさぐれ紫式部が語り出すのが、インパクト抜群でした。

お父さん あれはふざけすぎててしまいましたが、「帚木」の書き出しを読んだときには、西郷信綱のいう、ソフィスト張りのイロニーに満ちたエクリチュールに、「紫式部、この女は何者なんだ」と思ったものですよ。



(2)夏目書房四代目・夏目かこ十三歳、魯迅について大いに語る

かこ エクリチュール。書くこと、書き方、書かれたもの。フランス語ですね。おじさんは若い頃に『零度のエクリチュール』のロラン・バルトが好きで、現代フランス思想を読みふけったって父に聞きました。
今はバルザックで有名な柏木隆雄先生の著作を読んでいらっしゃるんですよね。……あ、これです!、『こう読めば面白い!フランス流日本学』です!おじさんが商店街の相談所にこの本贈っていただいて、いま回し読みしていて、順番待ちなんです。ちょっと見せてもらっていいですか?いいんですか?ありがとうございます!やったー、柏木先生の著作は人気があって、たまにしか出てこなくて、お店に出てもすぐに売れて行ってしまうんですよー。

お父さん ああ。悪書は良書を駆逐し、良書は書庫に退蔵される、だ。

かこ もくもく(無言で熱心に読んでいる)

れん ぃまの、どぅぃう意味なのかな…?

お父さん ん? ああ、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則のもじりだよ。1万円のお買い物をするとき、1万円分の金(きん)をちゃんと使った金貨と、7000円分の金しか使っていないパッチモンの金貨と、どちらを支払いに使う? 1万円の方? うん、君は親に似ず正直でいい子に育ったね。しかし残念ながら、世間の人たちは、7000円分の価値しかない金貨を支払に使って、1万円分の価値のある金貨は手元に置いておくだろうね。だから市場には出回るのは、価値のない悪貨ばかりになって、価値のある良貨は流通しなくなってしまう。これがグレシャムの法則だ。
本も一緒だね。ネットの普及と、新古書店の登場で、出版業界と古書業界の共存共栄、循環サイクル、文化の生態系が完全に汚染され破壊されてしまった。ネットは言葉や画像や映像の暴力で人々の劣情と分断を煽り、書店にはネット受けする低劣な屑本が溢れ、それが新古書店に流れ、新本も古本も、価値や価格がすっかり下落してしまった。そうなると、コストも時間もかかる良質な本は作られることが少なくなる。大学や図書館の文化教育予算は打ち切られ、書物文化を愛する蔵書コレクターも高齢化してやがては死に絶え、貴重なコレクションは散逸し古紙再生工場行きになる。100年後のこの国には、光る板をピコピコ叩いてウホウホ喜ぶ、退化したサルしか生き残っていないかもしれないね。

かこ 書物を愛するお客様とともに歩んで創業72年、古書肆・夏目書房四代め・夏目かこ十三歳が、そのような未来は断じて許しません! あ、失礼しました。すっかり読みふけってしまいまして。柏木先生編さんの『なにわ古書肆 鹿田松雲堂五代のあゆみ』は、われわれ古書業界の人間のバイブルなんですよ。
おじさん、この本、お借りしてもいいですか?この『惜別』に関する章を読ませて、父の意見を聞いてみたいんです。

お父さん どうぞ、どうぞ。私はそっちの方はさっぱりだが、お父さんは中国文学がご専門でしたね。

かこ いえ、父も好きで読んでいるだけで、専門というほどではないと思います。

お父さん 今回久しぶりに太宰の『惜別』を読み直したんですが、わからないことばかりなんですよ。お父さんに教えを乞いたいな。

かこ ぜひお店に来てください! 父も喜びます!

お父さん しかし予備知識も何もなしでいきなり訪ねていくのもなあ。もっと勉強しろって、また本をたくさん買わされてしまう。そうだ、かこさんは、お父さんに日本文学も東洋文学も西洋文学も、オーバージャンルでレクチャー受けていると聞いていますよ。自慢の娘さんだ。もしお時間あるなら、少し質問していいですか。めんどくさいお客を相手にする練習と思って、お父さんの代わりに話相手になってください。もちろん、お父さんおすすめの本は買わせていただきますよ。

かこ 毎度ありがとうございます! 私に答えられるかどうか、自信ありませんが。父が好きなのは中国文学、私が好きなのはファンタジーなんですけれど、お客様のどんなご要望にも応えられるように、精一杯努めます。

お父さん さすが、夏目書房の跡取り娘だ。いや、ごく初歩的なことで恥ずかしいんですが、『惜別』のここで、魯迅が西洋文化や西洋科学を批判して、日本が近代化に勝利したのは、蘭学でなく国学だと、当時の皇国史観を大絶賛する場面がありますね。竹内好が、戦争から復員して帰ってきて『惜別』を読んでガッカリした、太宰の芸術的抵抗に共感していたのに、戦争に便乗するなんて、太宰おまえもか、と思ったであろう箇所です。

かこ はい、そこは父もがっかりしていました。このページの書き込み、おじさんですか?変な生き物がごはんを食べながら「親子どんぶり」といってます。

れん ぉ父さん、ご本にときどき自分で挿絵を描く趣味があるの。この子、ォオサンショウウオだよね?チャペックさんの『山椒魚戦争』にも同じ子出てきた。

かこ あ、『黄村先生言行録』ですね! オオサンショウウオが出てくる話で、親子どんぶりの話も出てきました!

お父さん 私が初めて読んだのは、中学生か高校生でしたが、この魯迅は、オオサンショウウオを見て「古代そのものの純粋のやまと」とトンチンカンな古代論、日本讃美を展開する黄村先生のようだと思ったんですよ。黄村先生は、「花より親子どんぶり」の俗っ気たっぷりの人で、語り手の書生に、「親子どんぶり、親子どんぶり」とツッコミを入れられています。この作品を読んだ頃には、私は太宰が本気だとは思えませんでした。
太宰は、戦後、「倫理の儀表」を天皇に求める、一種の王道アナキズム、ある種の古代ユートピア社会主義を唱えた人ですから、この国学礼賛も、太宰本人の考えも入っていて、当局に強制されたり、安直に時流に乗っただけではないとは思います。しかしこの魯迅は黄村先生そのままで、褒め殺しといいますか、当局や時流を完全におちょっくっているのではないかと思ったんですよ。だからこの部分は、「親子どんぶり、親子どんぶり」とあいの手を入れて読む必要があると思いました。
このときはそう思ったんですが、魯迅その人は日本の国学について、どう考えていたのでしょうか。これは完全に太宰の創作なんですかね?太宰は他人の翻訳でも、自分流に勝手に改変してしまう人ですが、それは逆にいえば、原典がなければ独創性が発揮できない弱点でもあります。多少なりとも根拠になるような魯迅の発言なり、文章なりは残っていないのでしょうか?

れん ぁ…メール。ん…ちょっと、失礼。(ぴろん)…ぁ、すぐ返事来た。ん-。ちょっと、お部屋で電話してくるね?かこちゃんごめんね、ぉ父さんの相手してぁげて…

かこ はい、喜んで!
えーと、魯迅が国学をどう思っていたのかは、残念ながら存じ上げません。すみません。
しかし魯迅は日本の近代文学を高く評価していました。それが国学の力だと考えていたかどうかはわかりませんけれど、日本の近代化そのものは評価していた、ということはいえるかと思います。魯迅は漱石や鴎外、芥川や菊池寛、国木田独歩や有島武郎、志賀直哉や武者小路実篤、佐藤春夫や鈴木三重吉などの作品を中国語に訳して、紹介しているんですよ。

お父さん へー。それは知らなかった。

かこ すべて父の受け売りですけど。芥川が訪中しているときに、魯迅が訳した『羅生門』が新聞に連載され始めて、芥川は「これには自分の心地がはっきりと現れている」と喜んだそうです。二人は結局会うことはなかったようですが、相互に尊敬する関係だったと父はいっています。
魯迅は芥川の『将軍』『桃太郎』も訳しています。この両作品は、芥川の反軍国主義の考えを表した作品といわれますが、魯迅は、『桃太郎』の「鬼ヶ島」で中国を暗示させることで、日本の中国侵略、戦争の泥沼化を警告しようとしたのだろうと、これも父の受け売りなのですが。
日中関係、魯迅からみたら中日関係の悪化もあって、中国の青年には、芥川を全く評価せず否定する人もいましたが、魯迅は芥川を擁護し、「もっと中国の青年に芥川を読ませたい」と願っていたそうです。

お父さん 芥川との関係は初めて知りました。お父さんと話しているようだ。かこさんは、本当によく勉強していますね。

かこ いえいえ、ただ好きなだけです。しかし父は太宰の『惜別』も認めがたいが、それを批判した竹内好の『魯迅』も、違うんじゃないかと考えているんですよ。


(3)太宰治vs竹内好 太宰はなぜ魯迅を書こうとしたのか

お父さん 私は太宰も読んだという、竹内の『魯迅』は読んだことがありません。お父さんは、どうおっしゃっているんですか。

かこ 竹内が魯迅の小説を、ちゃんと理解できていたのか、評価できていたのか、疑わしいというんです。
『魯迅』には、政治と文学の関係についての話が出てきます。私も父に読ませてもらったんですけど、竹内はこんなことをいっていました。記憶違いもあるかもしれませんが、
〈政治と文学は、従属関係でも、相克関係でもない。政治に迎合し、政治を拒絶するものは、文学ではない。真の文学とは、政治において自己からの離脱を図ることにある。政治と文学の関係は、矛盾的自己同一の関係である〉
父は、これでは、文学と政治が一緒くたにされちゃって、父は商工会の役員もさせていただいてますけど、結局、大企業が個人経営の中小企業を合併するようなもので、対等なんて建前で、結果として力のある政治に文学が従属するしかなくなる、というんです。
竹内好は、文学がわからない人だったんじゃないかともいっていました。『魯迅』では、『阿Q正伝』と漱石の『坊ちゃん』を比較検討しているけれど、ピントがズレていて、この人は魯迅も漱石もわかっていなかったにちがいない、って。
すみません、こんぐらがっちゃってますけど、私の説明、わかりますか?

お父さん いえいえ、よくわかります。矛盾的自己同一か。私の昔の親分が「諸君の意見はどれも正しい。しかし私の意見にはその全てが入っている」と皆を煙に巻くのが得意な人でした。本人は革命的弁証法と称していたが、あれは西田哲学の悪用だね。そういえばあの人も、京大だった。
竹内が文学がわからない人というのは、なるほど、そうだったかもしれませんね。たしかに毛沢東の書く物には、点が甘すぎました。文学がわかっていたら、あんな風には評価できない。
太宰の『魯迅』では、有名な幻燈事件も出てきますが、それは副次的な扱いで、魯迅は文学熱のために医学校をやめるんですね。ここが竹内を最も激怒させたたポイントだったはずです。太宰と竹内では、とらえ方が逆ですね。太宰は竹内の本も読んだ上で、ああ書いているわけですから、ある意味、確信犯だった。

かこ 太宰は表向き謝意を述べていますが、竹内の『魯迅』には反撥を抱いたのではないかと父はいっています。

お父さん 『惜別』が失敗作であるという定説のもとになった竹内の『魯迅』も、鵜呑みにせず疑ってかかる必要があるようですね。
しかし、まあ、そうはいっても、やっぱり『惜別』は成功作とはいえないなあ。柏木先生のおっしゃるように、調べたことをすべて詰め込んで、収拾が付かなくなった出来の悪いレポートのようです。
空襲が始まって、燈火制限もあり、執筆活動もままならなかった時代ですから同情の余地はありますね。もっと準備期間があって、資料を咀嚼する時間があったら、安吾も賞賛した太宰本来のM.C、マイ・コメディアン、マイ・チェホフに徹することもできたのでしょう。

かこ 「不良青年とキリスト」ですね!あの、虫歯で苦しんでいるところがおかしくて。安吾も絶賛する「魚服記」、私も大好きです。太宰の作品は、ときどき二日酔いだからだめだっていうのも、わかる気がします。父もおじさんとお酒を飲んだ翌日は、いつも二日酔いで、ちょっと心配です。

お父さん いつもお父さんを引き回してしまってごめんなさい。今はコロナ禍でご無沙汰ですから、家族に叱られずに済んでいます。『魚服期』は残酷で悲しいお話ですが、生涯消えなかっただろうあの人の呪いや傷の痛みを、美しい再生の祈りの歌に昇華した傑作でしたね。
親切な藤野先生や友人たちが魯迅を引っかき回す『惜別』と、「善意の悪人」たちが主人公を傷つけ苛む『人間失格』との類似性は、柏木先生のこのテクストで初めて気づきました。「宿のどてらに着換えたら、まるで商家の若旦那」という描写は、たしかに太宰の青春の自画像であり、戯画像ですね。これがまあ、失敗の理由でしたが、失敗作にこそ作者の本質がよく表れる。

かこ いまの話、気になります!おじさんは、どの辺に太宰の本質が表れていると思われましたか?

お父さん あなたとお話していて、太宰が魯迅に関心を持った理由が、きょう初めて腑に落ちましたよ。漱石や鴎外、そして芥川龍之介という共通のバックボーンを持った二人は、文学を通じて固く結ばれていたのですね。それは日支和平や日中友好という政治的なテーマを超えた、より本質的な人間の連帯の可能性というか、魂の尊厳をかけた連帯だった。魯迅の部屋に、森鴎外、上田敏、二葉亭四迷などの著作が机の周辺に散らばっていたという描写がありましたね。このあたりを掘り下げていたら、また新しい境地を開くことができたでしょう。

かこ 『惜別』は、おじさんのおっしゃる「ロマンとファンタジー」、『蛍』で光源氏のいう「物語」そのもののような気がします。太宰の『惜別』の魯迅は、伝記的な意味での魯迅とは似ても似つかぬ架空の人物だったかもしれませんが、太宰フィルターで魯迅の文学の真実の一部を語っている、といいますか。これは父に早速報告してみたいです!


(4)次のページへ進みましょう

お父さん 『惜別』は失敗作でしたが、太宰を擁護するとすれば、「あのやうな社会的な、政治的な意図をもつた読み物は、あのやうな書き方をせざるをえない」という、冒頭の語り手の医師の文章の意味するところですね。このあたりの読みの深さは、さすが柏木先生です。「周さんも、恩師の藤野先生も、また私も、まるで私には他人」と、自分が新聞記者に受けたインタビューについて述べているように見せかけながら、内閣情報局と日本文学報国会の企画によって執筆された『惜別』というテクストの運命そのものへの自己言及にもなっています。
戦争に便乗したように見せかけて、これこそ「芸術的抵抗」の高度な戦略でした。どんなに傷ついても、どんな時代にあっても、太宰は言葉の力を信じ、文学の力を信じ抜いた。まあ、巻き添えを食った魯迅や、魯迅ファンには本当にご愁傷様というほかなく、今なら炎上騒ぎですが。
岡本太郎が、反万博運動、反博運動を笑って、「自分こそが最大の反パクだ」とうそぶいていたのを思い出しましたよ。「太陽の塔」なんてふざけきった名前をつけて、莫大な国家予算を出させて、太郎本人のことばならベラボーだが、とんでもないものをおっ立ててくれたものです。いや、失礼。いまの発言は忘れてください。

かこ いえいえ、私が十三歳だからってお気遣いなく。知っていますよ、由来は『太陽の季節』で、命名は小松左京さんでしたね。

れん 戻ってきました。かこちゃん、ぉ父さんの相手させちゃって、ごめんね。…でも、太郎さんの何がふざけてて、とんでもなぃのかな?太郎さんはいつでも真面目だよ?

お父さん ぐっ。

かこ えっと……れんちゃん先輩は、お聞きにならない方がいいかと思います。

れん むう。ずるい。かこちゃん、ぉねえさんに、教えなさい。

かこ えっ……!あの……

お父さん むむむ……それはあれだ、とんでもないといえばだね、これは美術史家の塚原史さんの本で知ったんだけど、みんなが「腕」とか「翼」といっているのは、実は足でね。あれは赤ん坊が生まれてきた瞬間なんだよ。

れん ぇっ!

かこ そうだったんですか?

お父さん 塚原さんは、太郎はフランス留学時代に文化人類学を学んでいるから、そのときヒントを得たのではないかと考察してたね。もちろん、それがベースにあるんだけれど、直接には、太郎が高く評価していた縄文土器から、あのモチーフを得たのではないかと私は思います。縄文土器には、赤ん坊の顔が鉢の胴体から飛び出てくる、「出産土器」といわれる深鉢型土器があるんですよ。出産土器では、鉢の口にあたる部分にも顔があって、これが母親の顔だといわれますが、太陽の塔ではあの黄金の顔にあたるものですね。

かこ 全く知りませんでした……

れん ほんと、私も…。でも、赤ちゃんが生まれるのは、ふざけてなぃし、とんでもなぃことでもないょ?まだ続きがあるんでしょ。

お父さん い、いや、それだけの話だよ。お父さん、また間違えた。

れん ぁやしい。そうだ、ぁのね、かこちゃん、さっきのメール、今度のチョコ交換会の相談だったの。かこちゃん家のお店で、お菓子作りのご本、探しに行きたいんだ。ね、ぉ父さん、行ってきてもぃい?

お父さん いいよ、今日はお母さんも早いから、夕飯までに帰っておいで。

れん じゃ、かこちゃん、行こ。いまの話、歩きながら、じっくり聞かせてもらうから…ね?

かこ おじさーん!

お父さん すみません。娘をよろしくお願いいたします。お父さんにくれぐれもよろしくお伝えください。

かこ お邪魔いたしましたー!きゃあー!れんちゃん、くすぐらないでー!

お父さん ふう。どれどれ。うん。Wikipediaには、何で突き破るかまでは、書いていないな。しかし知るのも時間の問題か。こうしてあの子も大人になっていくんだな。


友達で、幼なじみのかこちゃんです…はぃ。


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1 コメント

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Unknown (くろまっく)
2021-02-24 14:24:38
2月22日、アシュリー・テイラーまさかの実装。サービス終了した北米版からの逆輸入版でした。
しかし北米版でも工匠学舎で、れんちゃんやかこちゃんとは学校違いました。塁ちゃんとも出会っており、中2以上ではあるようです。まあ、二次創作ゆえに大目にみてください。アシュちゃんのSDかわいいですよね。
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