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血はリングに咲く花(グレート東郷)

2010年07月11日 | 読書
森達也『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)

 ジョージ・カズオ・オカムラ。1911年、オレゴン州フードリバーで熊本県出身の移民の長男として生まれた日系2世(1913年生まれ説もある)。家は貧農で貧しく、プロレスラーとなるが、日本軍による真珠湾攻撃が勃発して日系収容所に隔離。

 終戦後、再びリングに上がったオカムラは、「グレート東条」をリングネームに再登場。この東条の名は、あの東条英機から借りたものである。しかしこの名前はあまりに刺激が強すぎた。試合後に興奮した観客からナイフで刺されてしまう。そこで日露戦争の英雄である東郷平八郎から「グレート東郷」が生まれた……。

 日の丸と「南無妙法蓮華経」があしらわれた白地のハッピ、高下駄、「神風」と書いた日の丸鉢巻き。試合はラフファイト一辺倒。塩を相手の目にすりこんだり、凶器で血だるまにするなど日常茶飯事。負けそうになると土下座して、油断を誘ったところで反則攻撃。相手が倒れると、「バンザーイ、バンザーイ、パールハーバー」と狂喜乱舞。

 母国アメリカでは「卑劣なジャップ」、祖国日本では「売国奴」「守銭奴」。良く言う人はほとんどいない。リングの上でも下でも徹底した卑劣漢だった。

 ところが力道山だけは東郷とウマが合い、「東郷さん」と敬意をもって接したという。「救国のヒーロー」と「卑劣な売国奴」がなぜ?

 森達也を取材に駆り立てたのは、あるプロレス雑誌の小さなコラムだった。カリフォルニア州トゥールレイク収容所で、日本人の監視役をつとめ、東郷の大母親は中国人だったという証言のようだ(「週刊プロレス」1996年8月27日の記事)。

 今ではよく知られているように、力道山は、ノースコリア出身の在日一世。なぜグレート東郷が、アメリカでも日本でも憎悪を集めるファイトに終始したのか、また、そんな東郷をなぜ力道山が重用し敬慕したのか。この出生の秘密をあてはめることで、初めてピースが合う……というのが、筆者のもくろみだったらしい。

 ところがこのもくろみは外れた。グレート東郷は、生前、あまり自分のことを語らなかった。生年・兄弟の数も証言により異なる。この本でも「両親とも日本人で熊本」「父は日本人、母は中国人」「沖縄移民」「朝鮮半島出身」など証言が食い違い、結局真相にはたどりつけなかった。グレート東郷の素顔は結局わからずじまいである。

 戸籍制度があるのは日本・韓国・台湾だけで、取材が困難を極めたのはわかる。新書の予算では、アメリカ現地の取材もむずかしかったのだろう。しかしあの豪邸や、マフィアまで傘下にしていたらしいグループ企業は、どうなってしまったのか。住所がわかるなら、不動産登記を調べるなどの基礎取材はできなかったのかと惜しまれる。

 ノンフィクションとしては、「大山鳴動して」と辛い点をつけざるをえない。しかし「鼠一匹」といって終わらすには、『プロレススーパースター列伝』などを愛読した世代には、誠に楽しい本なのである。ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ルー・テーズはもとより、大日本プロレスを創設したグレート小鹿、渡米して獄中生活を巌流島対決のマサ斎藤、交通事故で半身不随になった上田馬之助、2008年に亡くなったグレート草津など、あのスターたちのオンパレードだ。

 グレート東郷がマネージャーをつとめた「カナダの密林王」グレート・アントニオなどのなつかしい名前も登場する。もちろん、リアルタイムでは知らないが、アントニオがバス5台を満員の人を乗せたまま引っ張ったエピソードは、ネッシーや雪男、宇宙人やUFOなどといっしょに図鑑に紹介されていたものである。プロレスがまだ禍々しい怪しさを放っていた「おおらかな時代」である。

 『週刊ファイト』の編集長の「プロレスとは、底が丸見えの底無し沼である」という言葉を引用して、「プロレス」を「ナショナリズム」に置き換えたとしても、意味はそれほど変わらない……と本書を結んでいる。

 プロレスが煽り立てるナショナリズムは、あくまでもリング上のギミックにすぎない。「ナチス親衛隊の生き残り」と称した「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックが、実はドイツ系ユダヤ人だったのを初め、この種の例には枚挙にいとまがない。プロレスの虚実のダイナミズムは、ギミックをギミックで済まなくさせることもあれば(靖国奉納プロレス)、ナショナリズムやその他の「イズム」を無効化する瞬間もあるだろう。

 「プロレスが左半身を軸にする」というのは 本書で初めて知った。ヘッドロックは必ず左脇に相手の頭を抱える。右サイドのヘッドロックは存在しない。この基本型があるから、初対面でも言葉が通じなくても、初めて試合が成り立つ。こうしたウンチクを知るだけでも楽しい一冊だった。でも、懐かしの映像も含めて、ドキュメンタリー化してもらえたら、もっとうれしいな。



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