トリスウイスキーのCMソングは、
アラフォー世代には「ドリフの大爆笑」のテーマソング。
しかしそのオリジナルをたどると、
岡本一平作詞の「隣組の歌」。
恥ずかしながら、こうの史代『この世界の片隅に』を読むまで、
知らなかった。
軍国主義一色に見えた戦争時代に、
あの能天気で明るくポジティブなメロディが生まれたことは、
驚きであった。
こうの史代(同学年である)もいっていたように、
決して私たちは「戦争を知らない世代」ではない。
もちろん戦争の時代を直接体験したわけではないが、
戦争経験者は身近に大勢いた。
労働歌の多くが軍歌の替え歌であるように、
ただ意匠を変えただけで、内容は変わっていない。
青木昌彦教授風にいえば、
今の官僚制多元主義(青木)を規定しているのは、
国家総動員法に基づく1940年体制である。
連続した時代の中を生きているのだ。
玉音放送を聞いて、
「ここに5人もいるのに!」と怒り、
敗戦を認めようとしないヒロインには、
激しく共鳴する。同意する。
暴力で従わせていただけだから、
暴力に屈しただけなのだ。
と、これは評者の政治的立場に引きつけすぎだ。
やはりこうの作品である。
子ども時代のすずと周作が、
謎のバケモンにさらわれかける導入部は秀逸。
(それが二人の出会いになる)
劇中劇の漫画「鬼イチャン」をはじめ、
絵を描くのが大好きなすずの漫画・スケッチ・らくがきは、
どれもよい。
軍港の船をスケッチしているところで、
憲兵に間諜の疑いをかけられるが、
それも憲兵の横暴を描くだけの、
決してステレオタイプに終わっていない。
一見弱者に見える庶民のしたたかさと生活力。
はじめは辛く当たる元モダンガールの義姉・徑子や、
遊郭(「二葉館」……双葉社だからか)の女・リンとの、
あるいは妹のすみちゃん、
女たちの友情物語も楽しく美しい。
こうの作品は百合スキーにもうれしい。
そういえば今日はひなまつりである。
アラフォー世代には「ドリフの大爆笑」のテーマソング。
しかしそのオリジナルをたどると、
岡本一平作詞の「隣組の歌」。
恥ずかしながら、こうの史代『この世界の片隅に』を読むまで、
知らなかった。
軍国主義一色に見えた戦争時代に、
あの能天気で明るくポジティブなメロディが生まれたことは、
驚きであった。
こうの史代(同学年である)もいっていたように、
決して私たちは「戦争を知らない世代」ではない。
もちろん戦争の時代を直接体験したわけではないが、
戦争経験者は身近に大勢いた。
労働歌の多くが軍歌の替え歌であるように、
ただ意匠を変えただけで、内容は変わっていない。
青木昌彦教授風にいえば、
今の官僚制多元主義(青木)を規定しているのは、
国家総動員法に基づく1940年体制である。
連続した時代の中を生きているのだ。
玉音放送を聞いて、
「ここに5人もいるのに!」と怒り、
敗戦を認めようとしないヒロインには、
激しく共鳴する。同意する。
暴力で従わせていただけだから、
暴力に屈しただけなのだ。
と、これは評者の政治的立場に引きつけすぎだ。
やはりこうの作品である。
子ども時代のすずと周作が、
謎のバケモンにさらわれかける導入部は秀逸。
(それが二人の出会いになる)
劇中劇の漫画「鬼イチャン」をはじめ、
絵を描くのが大好きなすずの漫画・スケッチ・らくがきは、
どれもよい。
軍港の船をスケッチしているところで、
憲兵に間諜の疑いをかけられるが、
それも憲兵の横暴を描くだけの、
決してステレオタイプに終わっていない。
一見弱者に見える庶民のしたたかさと生活力。
はじめは辛く当たる元モダンガールの義姉・徑子や、
遊郭(「二葉館」……双葉社だからか)の女・リンとの、
あるいは妹のすみちゃん、
女たちの友情物語も楽しく美しい。
こうの作品は百合スキーにもうれしい。
そういえば今日はひなまつりである。