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新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

たかがフィクションじゃないか

2025年04月07日 | 読書
娘ちゃんたちと、モスバーガーに行って、たまごっちのコラボグッズをもらってきました。ほんとうは土日に行くつもりでしたが、疲れて寝て終わり。おもちゃが残っていてよかった。

たまさかのミステリが知的な息抜きだったのですが、最近はミステリにはうんざりしています。この週末はコンビニ本の『華中華』、本棚の底から取り出した『マスター・キートン』を読んでいました。

いつかも書いたとおり、最近はミステリを楽しめなくなってきました。現実がフィクションを超えてしまっていると感じるからです。イスラエルやロシアのジェノサイドにくらべたら、フィクションの猟奇殺人者、不条理殺人など、かわいいものです。

といいながら、以前『ミステリと言う勿れ』が好きでないと書いたのも、この作品に出てくる猟奇殺人者がきらいだからです。生き埋めとか溺死とかも願い下げです。ほんとうに、この作品の殺しや死の描き方は、スタイリッシュに洗練されていますけれどほんとうにエグいです。恐怖のツボを心得ているから、「くけけけけけけけけけけ」「ぐぎゃぎゃぎゃぐぎゃ」といった、顔芸や擬音で盛り上げる(?)必要がありません。詩音ちゃんは大好きですけれどね。

ある方が、本作の劇場版を手厳しく批判していました。イケメンの若い男性にミソジニーのおっさんを批判させることで、男女差別を世代間対立の問題にすりかえてしまい、男女差別の構造そのものは温存するものだと。なるほどと思います。

映画やドラマは知りませんが、原作はそんなことはないだろうと思います。その証拠に、ザ・昭和のおっさんである私には、整くんは正直鬱陶しい存在です。若者や女性に対して、青砥さん程度には理解あるおっさんでありたいと努めていますが、根は藪さん……そんなかっこいいものでもないか……反抗期の娘に悩む乙部さんと同じです。

ぶっちゃけいうと、私がこの作品を読み続けているのは、風呂光さんが好きだからです。



しかし謎めいた存在が気がかりだったライカも退場してしまったので、この作品も、そのうち興味をなくして放棄してしまうかもしれません。もっと風呂光を。風呂光がすべて。オンリー・フォー・風呂光。以上。

ミステリは楽しめなくなってきましたが、辻真先さんの作品は別ですね。猟奇殺人に頼らなくても、人間がなぜ殺人や犯罪に至るのか、世界観、歴史観がある。

『たかが殺人じゃないか』は、戦後の共学校の雰囲気が、山田風太郎の『青春探偵団』を思い出させて好きな作品です。しかも、名古屋時代、モデルの学校の近くに住んでいたので、なつかしさも倍増です。



辻真先『たかが殺人じゃないか』
辻真先『たかが殺人じゃないか』読了。いわゆる昭和24年、敗戦から4年の1949年、共学の新制高校となったばかりの名古屋の県立高校を舞台にした青春ミステリ。推理小説研究部と映画......




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