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メアリー・エインズワース浮世絵コレクション

2019年09月12日 | アート/ミュージアム
 先週金曜、通院のため半休をとった。空き時間で、大阪市立美術館の「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」に出かけた。

 開催は知っていたが、わざわざ観に行くつもりはなかった。展覧会より、新世界の総本家更科で、帰りに親子丼を食べるのが楽しみで、そちらのほうが主たる目的だった。そういうことはよくある。午後からは仕事だから、今日はビールはなし。

 女性浮世絵コレクターのメアリー・エインズワース(1867-1950)の名前は、今回初めて知った。

 メアリー・エインズワースは、イリノイ州ヘンリー郡ジェネシオで生まれる この郡名は、アメリカ独立運動の指導者、パトリック・ヘンリーにちなむ。ヘンリーは「自由を与えよ。然らずんば死を」「代表無くして課税なし」という言葉で有名だ。

 1885年、メアリーは18歳でオハイオ州にあるオーバリン大学に入学。オーバリン大学は、1833年の創設以来、入学資格に性別や肌の色の制限を設けなかった大学として知られ、創設当初から女性の学生を受け入れ、1835年からは有色人種の学生も受け入れた先進的な大学。

 1889年に、大学を卒業して、メアリーは1905年にアジア旅行に出発する。1906年に来日し、浮世絵に魅了される。以降、約25年かけて、1500点以上の浮世絵版画を収集 1950年に83歳で死去。死後、膨大な浮世絵版画・版本のコレクションは、母校・オーバリン大学に寄贈された。

 このコレクションは貴重な初期浮世絵も多く、なかには世界で1点しか知られていない作品も含まれている。今回初めて見る作品もかなりの点数があった。またコレクションの過半数を占める歌川広重、世界的にも人気の高い葛飾北斎のほか、菱川師宣、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽ら「六大浮世絵師」の作品がすべて揃った展示会も、私の知る限り初めてである。

 メアリーは、墨一色で摺られた、初期浮世絵に魅せられたらしい。初期浮世絵には、安土桃山以来の大和絵の風俗画のほか、奈良絵の素朴さ、大津絵の諧謔に通じるものを感じる。その素朴さや力強さが、メアリーをとらえたようだ。彼女と同じく生涯独身だった女性画家の先生も、奈良絵のコレクターだったことを思い出した。古代の埴輪から平安期の女絵、住吉人形、うめ先生の「へちょ絵」まで、日本の「KAWAII」のルーツがそこにある。

 メアリーは、峰不二子のレッグホルスターよろしく、小銭入れを足に装着していたそうだ。甥や姪たちにソフトクリームなどを買い与えるときには、スカートをたくし上げ小銭入れを取り出すので、周囲の人は大変驚いたそうだ。千葉市美術館が手がけたらしい解説ボードの似顔絵のイラストがかわいかった。

 最初は、「北斎も広重も、もういいや」と思ったけれど、思わぬ作品との再会もあるから、展覧会にはこまめに足を運ぶべきだね。




 再会を果たしたのは、国芳の『忠臣蔵十一段目夜討之図』(ようちのず)である。『仮名手本忠臣蔵』第十一段の吉良邸討ち入りの場面を描いた図である。

 私はこの絵を、ここ大阪市立美術館で開かれた、国芳の没後150年展で見た。過去記事を検索すると、8年前、2011年6月のことだった。この国芳展では、スカイツリーそっくりの謎の櫓(やぐら)が描かれた「東都三ツ股の図」が評判になったので、覚えておられる人もいるだろう。

 吉良邸討ち入りは、『忠臣蔵』で最も盛り上がる場面だが、西洋の遠近法と、光と影のコントラストを用いて、静謐な空間を描き出しているのが印象的である。たしかに襲撃するなら、物音を立てたり派手になってはいけない。義士が道端の野良犬が吠えないように、なだめているところにも、奇妙なリアリティとユーモアがある。幾何学的な建物の描写も、どこか異国風でモダンな感じもするが、それも当然で、オランダで刊行されたニューホフ『東西海陸紀行』に収録された銅版画を元絵にしているからだ。この元絵のタイトルは、「バタビアの領主館」で、バタビア(バタヴィア)は、オランダ植民地時代のインドネシアの首都・ジャカルタの名称である。南国の強烈な真昼の陽射しでできた影を、日本の雪月夜の討ち入りに援用したことで、シュルレアリスム絵画のような、不思議な効果が生まれている。

 メアリーは、広重をことのほか愛したらしい。『東海道五十三次 日本橋 朝之景(あさのけい)』の別バージョンの「変わり図」を見ることができたのは、この展覧会の大きな収穫だった。




 一般に知られている『東海道五十三次』の「日本橋」といえば、初摺(しょずり)のこの図柄だと思う。茜空をバックにして、日本橋に渡ってくる大名行列と、当時日本橋の北詰にあった魚河岸や、南詰にあった船着き場から、鮮魚や野菜を仕入れてきた天秤棒をかつぐ棒手振(ぼてふり・行商人)たちが描かれる。大名行列の出立するのは夜明け前で、日本橋の大木戸が開くのも暁七ツ(午前3時前~4時過ぎ)だった。




この後摺(あとずり)の絵柄もよく知られている。しかし空の色数(版数)を減らしただけで、その他の絵柄は初摺と基本的に変わらない。



 この「変わり図」は初めて見た。住吉踊りや物売りの群衆が、大名行列を遮るように横切っていく。副題も「朝之景」から「行烈振出」(ぎょうれつふりだし)に変更されている。絵はにぎやかになり、江戸の町の喧噪を伝えるが、ゴシャゴシャして、絵としての完成度は下がったように見える。

 北斎が歌人や詩人たちをテーマにした作品も、初めて見るものだった。春道列樹(はるのみちの つらき)、源融(みなもとのとおる)、在原業平、阿倍仲麻呂、清少納言、李白、白楽天などの和歌や漢詩や故事にちなんだ作品である。春道列樹は、小倉百人一首にも「山川に風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり」という和歌が収録されているというのに、私は「えーと、どちら様でしたでしょうか?」状態だった。普段からちゃんと勉強しておかないとだめだね。

 展覧会が終わり、楽しみにしていた更科に足を向けた。しかし、シャッターが降りている。店先に、いつもの占いのおばちゃんがいるだけである。今まで店に来るのは週末ばかりだったから、金曜が休店日であることを知らなかったのだ。空腹だったが、そのまま、なんば方面に歩き出すと、『甲州麺 恵比寿町店』の看板が目に入る。甲州名物のほうとうを食べさせてくれるらしい。昨年も一昨年も、いや、8年前に国芳展に来たときにも、もうこのお店はあったような気がする。

 このお店で、初めてほうとうを食べた。もちもちしていて、『ゆるキャン△』のなでしこのほっぺは、こんな感じなのだろうなと思った。

 そういえば、なでしこは富士山大好きガールだったね。北斎の『冨嶽三十六景』の『凱風快晴』(がいせいかいふう)も出展されていた。本作は、「赤富士」の別名で知られる。この絵は夏の早朝に朝日を浴びた「赤富士」現象を描いたものとされていた。しかし、江戸時代にはこの「赤富士」現象は一般に知られておらず、富士山の赤茶けた山肌を強調したものだと最近は考えられているようだ。エインズワース展は、9月29日(日)まで。


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