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まだ携帯もなかった時代から 「あずまんが大王」と「マリア様がみてる」

2022年10月08日 | コミック/アニメ/ゲーム
イラストレーターの深井涼介氏が、こんなことをつぶやいておられた。

あずまんが大王、今見ると「高校生がネットや携帯電話でコミュニケーションを取る事が無かったおそらく最後の世代の様子」を伺える貴重な資料でもある気がする。

『あずまんが大王』は、『電撃大王』1999年2月号-2002年5月号に連載され、2002年4月-9月にアニメ化された。この作品の大ヒットは、当時の中高生はもちろん、当時30代の作者と同年代の世代にも支持されたことが大きかったのではないか。私にこの作品を教えてくれたのも、同年代の先輩の某氏だった。



左から、榊、ちよ(初登場時10歳。飛び級で高校に進学)、とも、暦、大阪こと歩。

携帯がない時代に、どうやって遊びに行く約束をしていたのかも、いまの若い人には謎かもしれない。本書はその歴史的史料(!)になるだろう。

連休にテーマパークに行く回では、教室で、ちよが持ってきたガイドブックを見てみんなで決めている。しかし暦(よみ)は当日朝、風邪をひいてしまう。暦視点のこの回では、ちよたちが遊んでいる場面は描かれない。今ならスマホで実況中継したり、その日のうちに写真をシェアできたりするが、あの頃はそうではなかった。時間差があった。

旅行回では、旅行中の写真は後日みんなにプリントが配られている。写真をシェアするためには、町の写真屋さん(DPE)でフィルムを現像処理して、印画紙に焼き付け、人数分焼き増すことが必要だった。ついこの間まで、それしか方法がなかったのである。そして写真も、ちゃんと撮れているかどうかわかるのは、現像されてからであった。私たちの年代には、こんなことは常識だけれど、やがては解説が必要になるのだろう。

このあたりは私たちが高校生だったころも、『あずまんが』の高校生たちも一緒だけれど、時代は変化している。ピンクのクマがメールを運ぶポストペットは、連載当時に流行していたPCのガジェットである(作中ではポ●トペット。榊さんのかわいい想像が止まらなくなる)。

ゆかり先生の天真爛漫で破天荒なキャラも、『新世紀エヴァンゲリオン』のミサトの影響なくしては考えられない。漫画の女性教師といえば、男子生徒の理想(妄想)を投影したキャラクターばかりだったが、この作品以降、等身大の大人たちが出てくるようになる。


平成時代の女子校を舞台にしながら、女子高校生の誰も携帯電話を所有していない『マリア様がみてる』も、『あずまんが大王』と同じく、貴重な歴史資料だと思う。いまどきは固定電話を持たない家庭も珍しくない。祥子と祐巳がお互いの家に電話しようとして、親が出たらどうしようかと緊張したり、本人が出てホッとしたりという描写は、私の年代には覚えがあるが、デジタルネイティブ世代には解説が必要だろう。





『レイニーブルー』の祥子と祐巳のすれ違いも、携帯があれば起こり得なかったかもしれない。しかし、このトラブルを経たからこそ、ふたりの絆はより強いものになった。携帯が普及したことで、便利になりすぎて、かえって人間関係のトラブルは増え、深まることもなくなった側面だってあるだろう。

『マリみて』の本編終了が2008年、最終巻刊行が2012年だった。これが作品がリアリティを持ちうる、ギリギリだったかもしれない。2008年から2012年時点のリアルタイム高校生は、1998年以前の生まれで、ギリギリ、デジタル・ネイティブではなかった世代でもある。

このギリギリ感を象徴するキャラクターが、写真部の武嶋蔦子であり、彼女がメインキャラになる『マリア様がみてる 28 フレームオブマインド』 (コバルト文庫) かもしれない。2007年6月刊行。

この作品は、写真にまつわる短編作品のオムニバス作品。「タケシマツタコ」と書かれたフィルムケースが、生徒会室に届けられることが、物語の起点になる。武嶋蔦子本人の持ち物ではない。いったい、だれがなぜ? 最後にその謎が明かされる。

しかし今の高校生は、銀塩式のフィルムカメラなど見たことない人のほうが多数派だろう。ここ数年、会社で新人研修をやっても、5人のうち1人知っていたら良いほうである。

このころにはライターの仕事で、予算削減で取材時には写真撮影も兼ねていたが、2006年にはまだフィルムカメラを使っていた。

デジタルカメラそのものは、すでに手に届く値段になっていたが、一眼レフは高かったし、品質にも不安と不満があった。印刷物に使用するとき、RGBデータをプロセスインキのCMYKに変換する技術がまだ確立していなくて(欧米基準のため黒ずんだ感じになった)、デジカメの品質に不信を抱いていたころだ。

翌年、デジタルカメラに移行した。デジカメの恩恵を感じたのは、取材のメモ帳を紛失するミスを犯したときである。取材相手が提供してくれた資料をすべて撮影していたので、なんとか記事をものにすることができた。しかしそのころには、会社がスタジオを立ち上げ、専属のフォトグラファー氏と一緒に仕事するようになったので、私自身が撮影することはなくなったが、スマホで写真は撮っておく。スマホの写真フォルダは、メモ帳代わり、日記代わりである。


ハリウッドにフィルム回帰の動きがあるように、表現できる色域はデジタルよりフィルムのほうが広い。蔦子も最後までフィルムにこだわり抜いた一人ではないか。知り合いの写真家も生産中止に備えて大量にフィルムをストックしていたものである。

そうはいっても、『マリみて』は第一作発表年の1997年4月から2000年3月の物語と考えるのが無難なのだろう。そうでないと、物語のあちこちにいろいろ矛盾が生じてくる。引き延ばせるとしても、祥子が卒業し、本編が完了する2008年が、なんとかギリギリの線であろう。デジタルを認めず、フィルムにこだわる写真家、カメ子は、この頃には普通に存在した。

しかし今もフィルムにこだわっている人たちは、ファインアートの領域に存在するだけではないか。商業写真、報道写真は完全にデジタル化されている。蔦子のデジタル移行物語(あるいはアナログ貫徹物語)は、それだけで一編の物語になるであろう。

2000年3月に高校2年生なら39歳、2008年3月に同年なら31歳。
祐巳や志摩子や由乃、そして蔦子はいまなにをしているだろうか?

と、以上は「ネット以前の学生運動の宣伝活動」というテーマのエントリの前フリのつもりだったが、長くなったので、独立したエントリとする。


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