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チヌの海

2019年08月24日 | 大阪

 関西では、クロダイ(黒鯛)のことを「チヌダイ」という。

 漢字で書くと、「茅渟鯛」である。大阪湾の古称である「茅渟の海」で多く獲れたのが、語源だろうといわれている。

 クロダイは、なんでも食べてしまう雑食性の魚だ。中国では「汚物を食らう魚」「死人を食らう魚」ときらわれたり、いやしまれてきたという。

 「チヌ」の語源も、あまり縁起のいいものとはいえない。日本書紀では、「血沼海」という漢字が当てられている。

 日本書紀によると、神武天皇(まだ即位していないが)の第一次東征の大船団は、瀬戸内海を進んで、難波(なにわ)の浜に上陸し、生駒山を越えて大和に進撃しようとしたところ、長髄彦(ながすねひこ)の軍勢に行く手を阻まれ、激戦になった。天皇の兄の五瀬命(いつせのみこと)が敵の流れ矢に腕を射抜かれ、重傷を負ったところで、神武は兵を引き上げることを決める。その撤退の途中、五瀬命が海水で傷口を洗うと、あまりの出血に海は赤く染まり、まるで血の沼のようになったので、この辺りの海を「血沼の海」と呼ぶようになった、というのである。

 日本書紀に出てくる「南方」は、「南の方角」ということでなく、長柄橋にほど近い「南方」のことだという説もある。そんなに古くからあった地名なのだろうか。このあたりは、戦後しばらく、雨が降ると膝下まで水に浸かったといわれる場所だ。縄文時代や弥生時代には、海の底だったのではないか。まあ、熊楠の姓の「ミナカタ」のように、潮が引けば上陸もできる「水潟」くらいではあったかもしれない。

 神武東征は、あくまでも神話であり、フィクションだろう。しかし、モデルになった戦いがあったことまでは否定できない。南方から徒歩2、30分の場所にある淡路からは、弥生期の軍事施設らしき遺跡も見つかっている。この近辺で、血で血を洗うたたかいが行われたこともあっただろう。

血沼(チヌ)の海 (大阪汐見公園より)

 


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