kurenaikaede's site

ジュブナイルステークスで活動をしている作家『紅楓』の公式blogです。

言葉の花束

2006年08月09日 07時00分57秒 | 私らしい賛美と祈り♪
あなたのいる世界に生まれ落ちた事を感謝するわ、神様
まずはそれだけでも、とっても大きな喜びだと私は思うから
当たり前な事だって本当は大切なものなんだって私は知ってるの

人に話せば笑われるかもしれないけど、私なりのラブソングをあなたへ

いつでも穏やかな気持ちでいられたらいいのになんて
あなたの優しくて暖かい愛に包まれていると思うの
今はまだ未熟なままの私だけどそばにいてね、いつでも

私は変わっていけるのよ、あなたとならいくらでもね
見つけた真実はあなたとでなくちゃ叶わないわ、きっと

歩き出す力をあなたはくれたから その愛で
涙も拭ってくれたから その手のひらで
抱きしめてくれたから その腕で

愛しているわ、穏やかで静かな胸の中からあなたのことだけを

あなたに出会えて良かった

今日は聖書の話を書きます。

2006年08月08日 07時21分17秒 | 私らしい賛美と祈り♪
皆さんの手元に聖書があれば、どうぞ開いて見て下さいね。
持っていません、という方もいらっしゃるかと思います。
でも、聖書はwebでもありますので活用してみてください。

では、本日はマタイによる福音書 第十八章 1~4節について触れます。

 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った。
「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」
 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた。
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」

人は皆、自分を認めてもらいたい、自分勝手でわがままな生き物です。
『自分だけは一番だとは言わないけど、あの人より上だ』
『あんな奴になんか私が負けるはずないんだ、あいつは自分より劣るから』
そうやって、自分を無意識にか故意になのか、優れたものであるかのように振舞おうとする。
しかし、そもそも人間の優劣と言うのは人間によって定められるものではないのです。
本当に優れているというのは、上記のように子供のような素直さと純真さではないだろうか。
疑う事を知らず、信じた道に迷わず進んでゆく事が出来るのは大人では難しい事だから。
大人になると、さまざまなしがらみが自分の周囲を取り巻いて、うまくやっていく為に嘘も虚勢も張りますね。
人によっては職場で生き残る為に、ありもしない噂をたてたり、陰口を仲間とたたく。
生き抜く為の知恵というのではなく、それはただ「自分を否定されない為の手段」なのです。
それも、悪い意味でしかない。生き抜く為の知恵という言葉の持つ、本来の意味ではあり得ないのです。
生きる事に貪欲な人間はいるし、もちろんそれが悪いというわけではありません。
ただ、人生の上でそれを行うことについては賛成をしかねるし感心もしない。
ケースバイケースだと書いてしまえば、きっとそれまでのことなのです。
神様から見れば、きっと同じ人間同士でありながら、何故ぶつかりあうのかと思うのかもしれませんね。
人間と言うのは、お互いに不完全な存在同士であるが故に、多少の意見の衝突くらいはあるでしょう。
しかし、私たちクリスチャンであるにしろないにしろ、神様から愛されている存在であるはずなのです。
神様が私たちを愛す為に行われる事柄のひとつひとつに、個人差がありますか?
あの人には酸素を濃く、あの人には酸素を薄く、だなんてしていますか?
それが今の所、私の周囲で見掛けないということは、神様はどんな人であろうと皆を同じ愛を注いで下さっているということにはならないだろうか。
人に優劣と言うものは無いと私は考えます。そもそも誰もが優れていたのでしょう。
しかし、真理から遠ざかったり、悪魔の誘惑などによって世の中が荒れるからこそ、人は変わってしまうのです。
本来の人の姿は幼い子供のような無垢なものだとしたなら、きっと世界の無益な戦いは無くなるだろう。
あれをもし、小さな子供が武器を持っているのだとイメージしてみるならば、私はそんな武器を取り上げて絵本をあげたい。
子供に、殺戮のための道具などというものは不釣合いであるし、不相応だからだ。
同じ人間であるのに、戦いの中にいるわけでもないのに、同じ日本と言う国に生きているだけで、私たちは解りあえない人間を作り出そうとしてしまう。
なにかあれば、つい悪く言ってしまおうとする心理が働いて、うっかり相手を傷つける。
だから、善人と言うカテゴリーの中に私はきっと入っていないことであろうと考えている。
誰でも愛せる博愛主義者ではないからであろうか。いや、きっとそれは違うのだ。
世の中と言うものが人間というものを愛し、愛されるということを忘れているのだ。
愛されるためには愛される自分で無くてはならないだろうし、愛さなくてはならない。
私もよっぽど自分勝手が過ぎていたらしい。精進して生きてゆきたいものである。

長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さり、有難うございました。
皆様の心に平安が、そして上には祝福が常に豊かにありますように。
戦いの続く異国の地には平穏と平和と知恵がもたらされますように。
そして早いうちに終焉に向かいますように、傷ついた彼らを省みて下さい。
それは、イエス様、あなたが望まれた世界ではないからです。
あなたの愛が世界のすみずみまで行き届きますように。
栄光が永久にありまように。ハレルヤ。



 

私の祈り

2006年08月08日 04時45分35秒 | 私らしい賛美と祈り♪
つないだ手 2005年12月15日(木)
神様 あなたの手が わたしを導く
祈りへ 平穏へ 癒しへ

神様 あなたの手が わたしを導く
争いの無い場所 平和な場所 幸溢れる場所

迷子になりそうな弱いわたしを
見つけ出して導く その手は強く

導きたもう 導きたもう
愛しかない世界へと

道からはぐれて 暗い闇路に迷い込み
光を探して 涙にくれることはもう無いでしょう

あなたの手が あなたの手が
わたしの手を握っていてくれる限りは

信じてついてゆける
あなたがいるから

憎んではいけない、裁いてはいけない。

2006年04月18日 09時37分19秒 | 私らしい賛美と祈り♪
あなたは 許しあう為にその強さを得る

決してその力は誰かを傷つける為のものではありません

憎んではいけない
憎んではいけない

そのつまらない小さないさかいが起こったとしても

裁いてはいけない
裁いてはいけない

あなたの心を広く解き放ってあげればいいだけ

許しはそこからやってくる

きっとあなたに


助けて下さい、主よ

2006年03月13日 07時46分26秒 | 私らしい賛美と祈り♪
主よ、私の病を癒して下さい
私の苦しみを顧みて下さい

私はまだ、あなたと共にあります

会いたい人がいるのです
大切に思える人なのです

ですから、まだ今、くずおれるわけにはいかないのです

いつか世上の苦痛があますところなく癒されますように

善が報われますように

涙がかわきますように

悩める全ての人に祝福あれ
私の思う人たちの上にも限りなく祝福あれ

主には栄光が永久にあります

私からはあなたに、永久の忠誠を誓います

あなたこそ、私の王の中の王

どうぞ、あなたの強さで私の苦痛を取り去って下さい

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人の中での祈り

2006年02月18日 02時22分08秒 | 私らしい賛美と祈り♪
ねえ、神様 歩く道を間違えたの?
悩みや苦しみがたくさんあるよ

ねえ、神様 生きる道を間違えたの?
人の汚さなんかが見えてくるのよ

いつも正しくさせてください
いつも清くいさせてください

神様がいつも傍にいてくれているからこそ祈れる

いつも生かせてくれて嬉しい
いつも支えてくれて嬉しい

神様、私のあやまちは 人には容易に許されないものかな?

どんな風にすれば良かったの?
答えを下さい ああ、早く

ハレルヤ 

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忘れないでいてね

2006年02月18日 02時11分41秒 | 私らしい賛美と祈り♪
そんなにあなたの心が痛むほど 苦しまなくてもいいの
あなたの愛は 思いと共に伝わるの

傷つけあうことに慣れないで
悲しむことに慣れないで

ただ、毎日を生きるだけで 私はひとりじゃなくなるのだから
あなたがそこに 生きてくれてるだけで良い

自分らしさを忘れないでいてね
みんなは自分じゃないのよ

ただ、あなたがあなたであればこそ 自由の意味を知ることが出来るの
流されないでいてね あなたらしくいていいのよ

この苦しみはいつか贖われる
想像を超えた大きな愛が世界をいつか包むから

傷つけあうことに慣れないで
傷つける人に慣れないで
罪に加担しないでいてね

あなたの為に泣く人もいる
あなたはいつかそんな自分に泣く日も来るかもしれない

踏み留まれる強さを 胸に強く刻んで

忘れないでいてね
あなたも愛されていること
生きていてもいいこと

愛されてもいいこと