くに楽 2

"日々是好日" ならいいのにね

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十九話

2020-11-18 22:57:29 | はらだおさむ氏コーナー

ある“ざれことば”のこと     

                           

 「ざれごと」は漢字では戯言と書くが、その意味はどうなるのか。

 戯れ(たわむれ)、ふざけて言うことばになるのだろうか・・・。

 

   あの事件のあと 90年代のはじめ。

   中国で<「北京 愛国」「上海 出国」「広州 売国」>という言葉が流行っていた。

   広州の「売国」はすこし説明がむつかしいが、この厳しい時期“密輸”もふくめ商売に明け暮れているさまに顰蹙、非難しているのだろうか。

 

   あの事件のあと 90年4月。

 李鵬総理は上海で「浦東開発」を宣言した。

   橋も架かっていない黄浦江対岸の「浦東地区」の国有地を条件付き・有期限であるが、外資を含め「有償譲渡」(売却)するとのこと。

それまでの中国では考えもつかない画期的な政策決定であった。

 

あれから三十年がたった。

十年ひと昔というが、九十年代はその助走期間、外資導入・技術援助受入れの時期。労働集約型輸出・外貨獲得奨励の時期でもあった。

今世紀に入って08年の北京五輪、そして10年の上海万博の開催成功で内外ともにその「地力(じりき)」を証明、国際社会に打って出た。

2012年11月 習近平中共総書記に。「中国の夢」を語る。

2013年3月 習近平国家主席に。「一帯一路」政策を打ち出す。

2014年9月 少数民族へ「普通話(中国標準語)」教育の強制

 
   


月面探査車「玉兎2号」のパノラマカメラが撮った「嫦娥4号」の着陸船(新華社) 

2019年1月 月探査機「嫦娥」4号 月の裏側に到着

 

2019年末 新コロナ 武漢市で発症、パンデミックに。

 

あの事件のあと 90年代のはじめ。

わたしの上海だけの見聞だが、日本総領事館の周辺を取り巻く上海の青年男女たちの長い列があった。これから大海原を乗り越えねばと、まなじりを決した子亀たちの長い、長い行列であった。

92年の留学生は6千人位と推定されているが、そのころはまだ改革開放がはじまったばかり、進軍ラッパを手にはっぱをかける鄧小平はパリ労学の体験者だがそこまでの余裕がなく、のちにバトンを引き継いだ江沢民は官費ソ連・東欧在留の経験はあるが見識を広める機会であったかどうか。まだ海外の「人材呼戻し政策」には着手していない。

95年1月 阪神淡路大震災で上海からの留学生衛紅さんが倒壊家屋で

  圧死。5月 上海からの視察団を大阪港から神戸まで船で移動・案内して、三宮、元町、長田、鷹取の被災地区を視察。

そのころ外国との合弁・合作企業の増加につれ技術交流や商談で幹部の外国訪問の機会が多くなって来ていたが、留学生の帰国はまだそれほど多くはない。しかしその必要性は次第に高まり、上海ではベンチャー企業向け団地が建設され、視察したのもその頃であったと思う。

中央でも「海帰族」の優遇措置が検討されはじめたのもその頃であろう。それと共に「ひとりっ子」の高等教育の需要と受入れ大学などの教学レベルの向上もあり、今世紀に入ると帰国留学生の「質」が比較され、「海

  待族」が問題になり始めている。

子亀の淘汰、海流に乗って行く先を自分で探さねばならない状況になってきている。それは新しい拠点つくりに励むことになるのかもしれない。

 

習近平の「中国の夢」は、阿片戦争以後中華人民共和国成立までの中国の、被侵略と屈辱の歴史を取り戻したいま、明代の永楽帝時代の鄭和により実行せしめた七次の大航海で東南アジアからインド、アフリカに至るところで朝貢国を増やしたその歴史に思いを馳せ、「一帯一路」で大中華圏をつくること、換言すれば「大中華帝国」を建設することである。それはすでにアフリカと中南米をその影響下におき、「一帯一路」の加盟・賛同国を増やしてきている。さらには、遠藤誉さんご指摘の「一空一天」にまで及ぶのかもしれない(『徒然中国』第四十七話ご参照)。

 これは「ざれことば」ではない、ホントに考えねばならないことである。           

          (2020年11月12日 記)


日々徒然之私記 

2020-10-14 20:00:32 | はらだおさむ氏コーナー

  紅葉も日一日と北の国から南へ伝播し、秋の深まりを覚えるようになってきました。

先月号の末尾で予告いたしました『日々徒然之私記』が出来上がりました。

本文PSでご案内致しています手順で、ご注文を承ります。

よろしくお願い致します。

ぜひお手元に置かれて、原田氏の見たまま中国を楽しんでください!!

 

日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十八話

読書週間(習慣!)     

                           はらだ おさむ

  酷暑の夏が台風10号の通過で一気に吹き飛び、爽やかな中秋の名月を愛でると金木犀の香に酔う暇もなく秋が深まってきた。

  読書の秋!! ことしも読書週間(10/27~11/9)がやってくる!

  今年の当選標語は、野呂美由紀さんの『ラストページまで駆け抜けて!』との由だが、これは耳が痛い!!

 

  夏のはじめ 元中国大使宮本雄二(日中関係学会会長、日中友好会館館長代行、ほか)著の『日中失敗の本質―新時代の中国との付き合い方』(2019年3月刊、中公新書ラクレ)を読んでいて、中国人を理解するには論語より道教の方がよい、との説に、へぇ~道教ねぇ~、これは全く気がつかなかったと大阪の道教協会の友人に推薦図書を求めた。

  坂出祥伸著『道教とは何か』(ちくま学芸文庫)

  これがまたムツカシイ。

  始めと終わりを読んで、ギブアップ。

  近在図書館の蔵書から関連図書五冊すべて借り出してページを拾ったが、その歴史や宗派、その変遷など眺めてもどうも宮本先生のお説のようにはいかない。わたしのように訪中回数は多くとも、現地での生活経験のないもには

 これはむつかしい設問とあきらめた。 

 

  『神戸新聞』の夕刊に「本屋の日記」という連載コラムがあり、わたしはかなり以前から愛読している。

  執筆者は全国展開の大型書店の現在は姫路店長、尼崎の一般書店のユニークな店員さん、神戸市内の骨とう品も扱いそうな書店のオーナーの三人が交替で「本屋の日記」というコラムを担当、二週ごとに四分の一ページ位のスペースを埋めている。 

  いま手元にある尼崎と姫路のコラムニストの「日記」を覗いて見よう。

  9月24日は尼崎、ひとつは新刊ものの紹介。その筆致が楽しい。「商売をしている人にはバイブルとなる小説」とPR.写真は「あきない世博」特設コーナーにわたしの本の表紙にもなった「アマビエ」の色紙も。

  いま届いた10月8日号は姫路、縦見出しに「『ずるい言葉』には訳がある」、思わず本文に目をやる。

  店のスタッフが面白いと教えてくれた「社会学」の本棚の本。「ちょっと多めに注文しときなはれ」とレジ前の話題書台に置くと、「思った通りに売れていく」。この『ずるい言葉』という本、「言葉の底にひそむ『ずるさ』がわかると・・・人間関係のちょっとしたしきみを考えるヒントとなる」と。写真は店頭に山積みのこの本。あとは芝居と美術館のお話。

 

  このところ本は出来るだけ自分では買わずに、図書館にお願いすることに。

  次の本もそうしたのだが、申し込みが少し遅かったのだろう。

  地元の図書館が3月から三カ月コロナ休館になったこともあって手元に届いたのは先月であった。 

  宮崎紀秀著『習近平VS中国人』(新潮新書、2020年3月刊)

  結論から言えば先予約者も含めこれは題名を買いかぶり?過ぎたのではないかとも思えた。

  日本テレビの中国総局長も務められた筆者が、キャリアーの道を捨て一ジャーナリストとして在中国で取材されたネタということだがどうだろうか・・・扉に付された「一党独裁が強化されている中国でも、『個人』を貫く人たちはたくさんいる。その存在は共産党体制への『アリの一穴』となるのか。中国社会『剥き出しの現実』を、在北京のジャーナリストが描き出す」覚悟と心意気には敬服するが、「いま」の地の底の動きはあぶり出すことはなかなかムツカシク、その分鮮度が落ちる。

 

  本を読むことが楽しい習慣になるにはどうすればいいのだろうか。

  子供のころ、わたしは小学校を出ていないと自己紹介でよくひとをからかうのだが、国民学校四年の七月に農村へ疎開して五年の夏敗戦、翌三月までその地で過ごした。この二年弱、読む本が無く五歳年長の兄の中学の国語の教科書などを読んでいた。読めない漢字も多かっただろうが、小泉八雲や芥川龍之介の短編はいまでもかすかに記憶がある。

  いまのような情報過多のなかで読書の習慣を身につけることはむつかしいかも知れないが、わたしのような年代のものからみると逆にそれは不幸なことかもしれない。

 

    “老いて学べば死して朽ちず”

           ― 佐藤一斎『言志四録』 ―

                      (2020年10月14日 記)

 

PS

  前号末尾で簡単にご紹介いたしました『日々徒然之私記』が先月末できあがりました。新書版より少し大き目の本文191頁。添付目次ご案内のように三部建てで、どこからでも読めるように工夫しました。頒価1,200円、ご注文いただきますれば送料は当方負担で、お支払いは同封払い込み料金加入者負担の振替用紙にてお願いさせていただきます。

 

表紙(申し訳ありません 

写真が送付されたのですが、UPできませんでした

 

 

    ぷろろーぐ                        

 

   なめるんじゃねーぞ!!。

コロナくん(性別不明)はふてくされている。

 

わたしたちは四月から二カ月、家に閉じこもってキミの通り過ぎるのを待った。キミはイナゴの集団ではないことは知っていたが、ただ家に蟄居しておればきみの先輩の、サーズやマースのときのように消え去るものと思っていた。

 

本書に収録の作品はすべて業界紙『日本ミシンタイムス』に毎月寄稿のもので、目次トップの「庚子年之過半年」は今年一月からの掲載分を収録(敢えて時系列を逆にしている)のほかは、内容別に分別、どのページからでも拾い読みできる。

 

巻頭の『この夏のむかぶ(向伏)すに・・・』(2020年7月2日 記)の冒頭部分で、わたしはつぎのように記している。

「日本のコロナ対策は手ぬるいのか・・・東京の患者増はまだ『向伏す極み』を見据えることが出来ない」

 

その後一か月、東京どころではない、全国に患者は累増、伝播し続けてている が、『緊急事態宣言』の再発令はあるのか、その必要はあるか・・・。

 解除後の二カ月、患者増というマイナス面はあるが、それぞれの分野で工夫しながら日常の営みを取り戻そうとの努力が積み重ねられて来ている。

 いまは特効薬の開発まで、キミとの緊張のある日々を過ごさねばならぬこ

とだろう。

アマビエさんの故事来歴に思いを馳せつつ・・・                 

                    (二〇二〇年八月)

 

日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)

 ぷろろーぐ

  第壱部

■ 庚子(かのえね)年之過(どしのすぎし)半年(むつき)

この夏のむかぶ(向伏)すに・・・

三度目の敗戦?

あたらしい五月

なぜか、だれか?

生かされて、生きる

白 鳥

  乙女の舞

 

  第弐部

 ■ 聴く/歌う

歌 う

 雪

  いい日旅立ち

  防人の詩

 

 ■ スポーツ

TV観戦のあとで

“神ってる”と“神速”

男たちの挑戦 パートⅠ

男たち 挑戦 パートⅡ

・・・のてっぺん

 ■ シネマ雑感

  ある映像

  ふたつの結末

  西郷どん

  映画を観るまでに

  ジャー・ジャンクー

  きみと旅たとう

 

  第参部

 ■  大和路紀行

  初一念

  二階の書棚

 ■  海外歴遊

  ソーリー、タイピーオンリー

  あのときと、それからと、

  はじめての留学

 

 

 

 

 

 

   


日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十七話

2020-09-16 23:50:24 | はらだおさむ氏コーナー

月亮 代表 我的心

                       

  九月になったが、残暑はなお厳しい。

  台風がひとつ、ふたつと現れては西へそれ、夕立も思い出したかのように局所ゲリラシャワーをふりまいて、サウナのような湿気が立ち籠る。

 それでも九月 日の暮れるのが日一日と早くなり、月の出をそぞろ待つ気がめばえてくる。

 

表題の「月亮 代表 我的心」(ユエリアン/タイピャオ/ウオディシン)は、テレサテンのヒットチャートテンには入るメロディだが、なぜか日本語の歌詞になったのは少ない。日本語に訳しにくいというか、甘ったる過ぎてアルコールが入っても・・・というところだが、八十有余歳になると厚顔無恥もいいところ、今年のコーラスの新年会の余興で、独唱した!(中国語で・・・)。誰も知らないと思っていたが、上海に在住二年のメンバーがいてあのころよく流行っていましたねえ~、に、ドキッ!!(いまや、中国は、遠い国ではない)。

  月に託した乙女の愛の告白だが、お月さまにはお聞き伝えいただけたのだろうか・・・。

 

  今年の中秋節は、10月1日だそうだが、そもそもの由来は平安時代に唐から伝来の風習とか。すすきに丸いお団子を添えての慣習も昨今では薄れてきているが、暑い夏が過ぎて台風などが通り過ぎた空に浮かぶ満月は何か願い事でもかなえてくれそうな安堵感をもたらしてくれる。

  本場中国では「月餅」の販売キャンペーンがひと月も前からはじまる。  各家庭で慎ましく一家団らん、丸い「月餅(ユエビン)」をいただくのが基本だが、三十年ほど前の改革開放の初期にはこの月餅の贈呈ブームがおこり、たらい回しから底に人民元の束を忍ばすことも“話題”になった。

キャッシュレスが生活の主流になってきているいまの中国、賄賂もIT(人工知能)のお世話になるのか・・・。

 

  今年はコロナのせいで日本の夏のイベントはすべて中止になったが、先日 中島 恵さんのリポート(8月28日:ダイアモンドオンライン)を見て驚いた。

 上海や杭州など中国各地で日本風の“夏祭り”が、早いところでは数年前から行われている由。リポーターの中島さんも中国の友人から写真を送られてはじめて知ったとのことだが“知日”の若者たちが、“貸出し”の浴衣姿で屋台を廻っている。

  今年はコロナで日本へ行けなかった、そのうっぷん晴らしが中国の若者たちの、日本式“夏祭り”ブームを盛り上げているようだ。

 

  話は変わるが、遠藤誉さんの「『中国製造2025』の衝撃」(PHP出版、昨年1月刊)を読んで、オドロいている。

  いまや「月の世界」を支配しかけているのは、中国とか。

「宇宙空間と通信手段はアメリカとほぼ互角」、「『情報通信』に関しては、中国はいま世界の最先端をいっている」(p269)。

  古くなった通信衛星を打ち落として更新しているが、これはアメリカの衛星も打ち落とせる!? 

  「一帯一路」は、いま「一空一天」をも目指しているのか!

  九ちゃんの♪見上げてごらん 空の星を・・・♪の世界をこわす、オソロシイ動きがこの天空を巡っている。

 

  ところで地上の政界、日本は安倍総理の残任期限まではということで落ち着くところに決まるだろうが、アメリカはどうか。コロナ対策よりも人権問題が決め手になるのではないだろうか。

  読めないのが中国だが、30年前のあの事件の後「中国包囲網」を崩したのは、日本(海部→宮沢内閣)であり「天皇訪中」が決め手になった。そしてそれを支持して“浦東開発”を喧伝していたわたしたちであったが、ときの外交部長銭其琛の『回顧録』を読んでガクッときた。「日本は最も結束が弱く、天皇訪中は西側諸国の対中制裁の突破口になった」。そして江沢民の言いたい放題の来日発言とその後の「反日愛国教育」。(中国は戦略・戦術に長けているが日本はムード派、温情主義)。

 

  習近平国家主席の語る「中国の夢」は、どうみればいいのか。

  5月28日 全人代閉幕のあと、李克強首相の記者会見での発言(テレビ中継)=「(総人口14億のうち)6億人が月収千元前後(@15円)」は、習近平主席の看板政策「今年(2020)、脱貧困、小康社会の全面的実現」が、希望的スローガンに終わることを示唆している。

  選挙戦でラッパを吹いているのではない、最高権力者の発言は重い。

  実務権力者・李克強総理の発言には、厳しい思いがある。

          (2020年9月2日 記)

 

PS 私事ですが、いま本紙連載のこれまでの「日々徒然」をまとめて、「日々徒然之私記」と題する本を発行準備中です。順調にいけば、来月発行も。新書版より少し大きめの(US 5x7)版。連載(年月日順)を組み替え、どこからでもパラパラと読めるようにしています。表紙はコロナ退治を念じて江戸時代の「アマビエ」の古絵図。

 


日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次)

2020-09-15 09:23:15 | はらだおさむ氏コーナー

日々徒然(ひびつれづれ)之私記(目次) 

 ぷろろーぐ

 

第壱部

■ 庚子(かのえね)年之過(どしのすぎし)半年(むつき)

この夏のむかぶ(向伏)すに・・・

三度目の敗戦?

あたらしい五月

なぜか、だれか?

生かされて、生きる

白 鳥

  乙女の舞

 

  第弐部

 ■ 聴く/歌う

歌 う

 雪

  いい日旅立ち

  防人の詩

 ■ スポーツ

TV観戦のあとで

“神ってる”と“神速”

男たちの挑戦 パートⅠ

男たち 挑戦 パートⅡ

・・・のてっぺん

 ■ シネマ雑感

  ある映像ふたつの結末

  西郷どん

  映画を観るまでに

  ジャー・ジャンクー

  きみと旅たとう  

第参部

 ■  大和路紀行

  初一念

  二階の書棚

 ■  海外歴遊

  ソーリー、タイピーオンリー

  あのときと、それからと、

  はじめての留学

  ユメはいつ・・・

  ホタル

  聖徳太子のこと

  あのとき(天皇訪中)

  いまは、むかしか・・

  三十年と五十年

  旅をする

 ■ あのひとたちのこと

  あのひとたち

  ある作家展から

  初冬の京都

■  歴史のなかで

戊戌の歴史

ある春の日に

歴史を歩く

浦島伝説のこと

世の移ろい

「非常事態宣言」発令後の数日

 

えぴろーぐ

 

 


日々(ひび)徒然(つれづれ) 第四十話

2020-09-10 14:17:41 | はらだおさむ氏コーナー

あなたと旅立とう

♪コンテ、パル、ティーロ♪

     

 地震後の再開発で隣の駅前にできたビルの5階に、全国でも珍しい公立民営のシネマPがある。100シートの観覧室が二つあり、独立系で「洋・日」自在の選択で話題作を比較的早く上映している。

 二十年ほど前の開館当時はわたしも若く(60代)、このシネマの会員になって毎月のように話題作は見に出かけていたが、このところチラシはよく見るがシートに座ることは少ない。いつぞやの猛暑の折は、昼寝タイムに利用するなどと不心得なこともしたことがあるが、このところ感度が鈍くなったのか涙腺の緩む場面に出会うような映画にも出くわさない。それでも見かけるチラシだけは手に取っては、眺めている。

                              

先日の午後 三時間ほど空いたので「アンドレア・ボチェッリ~奇跡のテノール歌手~」のチケットを購入(予約番号11)、昼食の後上映十数分前ロビーに行くとかなりの人出、婦人が多いが、そうか、わたしとおなじ、ボチェッリの「コンテ・パルティ―ロ」(あなたと旅立とう)に魅せられた人たちかと何か安心感を覚える。チラシで見るかぎり、これは、ボチェッリの生い立ちから舞台に立つまでの物語で、音楽映画ではないが、シートの周辺を70代の女性に囲まれるとなにか、二十年ほど前の気分になる。

 

 あのころ 昼食時にはビルの七階にあった事務所から地上に出て、ここかしこの食堂に首を突っ込んでいたが、食後のおしゃべりがまた楽しかった。女性たちの話題にはなかなかついていけなかったが、あるときCDが話題になり、サラ・ブライトマンだの、ボチェッリだのが出てきた。わたしはちんぷんかんぷん、ご講義を受けることになり、後ほどそのCDを拝借して耳にすることに。

 そのころ上海でお目にかかったのが機縁に加古 隆のフアン会のメンバーとなり、近在でのコンサートに出かけてはCDにサインをいただいたりしていたので、よく楽器店のCDコーナーなどにも立ち寄っていた。

 女性たちの話によると、中国ではボチェッリなどの海賊版CDがすでに出回っている、音質もかなりよく価格は日本より半額以下で手に入るがどうでしょうかということになり・・・その後の出張時に、上海の人民公園の近く、いまはあるかどうかわからないが、南京東路/福州路の楽器店のCDコーナーを覗いたことがある。中国もその後国際協議を経て海賊版の規制に努めたので、いまはもう出回っていないはずである。

 いま手持ちのCDをチェックした。

 「アンドレア・ボチェッリ」二枚(版権江西・・・出版社)、(貴州・・・、中国大陸限定販売)

 「サラ・ブライトマン」日本製(東芝EM)二枚、中国製四枚 莎拉・布莱曼

「重回失楽園」(権利取得)、「月光女神」(中国唱片・・・出版)、「再見」(福建・・・出版)、「安徳魯・葺伯 作品選」(雲南民族・・・出版)

 よくぞ買ったものだが、当時聴いたのでは不備はなかったはずである。

 

 さて映画―。

 ボチェッリの自伝に基づく作品。

生まれた時からの弱視で両親の悩みを叔父がカバー、ピアノなどで音感教育を進め、少年時代は歌唱にも才能を発揮するが声変わりで落ち込み、その上12歳のときサッカーの練習で顔面にボールが当たり、完全に失明。

両親などに励まされ、点字で勉学に励んで法学博士の資格を取り、弁護士開業後、夜はジャズバーで歌っている。そこで誕生日パーティーを開いていた女性と出会い、のちに結婚。その前後、かれの歌を聴いていたピアノ調律師の紹介でオペラの指導者のレッスンを受け、そのつてでオペラ歌手と会うが、パートナーとしての出番がなかなか回ってこない。

待つこと二年、ついにステージに立ったかれのバリトンの歌声は、全ヨーロッパに響き、イギリスのソプラノ歌手サラ・ブライトマンの申し出によるデユエットは全世界に響く。

映画は世界各地での舞台を早送りしながら、この「コンテ・パルティ―ロ」(きみと旅立とう)を流し続ける。

わたしもここで二十年ほどのむかしを思い出し、すこし鼻がツンとした。

 

歌詞の一部を拾い出してみる。

コンテ・パルティーロ(タイム・トゥセイ・グッバイ)

 

   一人でいるとき 水平線を夢見て 言葉を失ってしまう

   太陽のない部屋は暗くて あなたが傍にいないと

   太陽は消えてしまうの(中略)

 

       **************

 

   別れの時が来たわ 

   あなたが一度も見たことも 行ったこともない場所

   いま私はそこに あなたと共に旅たとう(中略)

   ♪コンテ・パルティ―ロ…   あなたと共に旅立とう♪ (後略)

                         日訳By Maria Karen

                                (完)

                2021年2月9日 記 (2020年?)

 

 PS 前29号の海南島の「白毛女」について、一読者から「『白毛女』の話の元は河北省の『白毛仙姑』の伝説が元となっておるようです。海南島の革命的な女性は、『紅色娘子軍』(日本名「女性第2中隊長」)の主人公・呉瓊花のことないでしょうか」とご指摘がありました。

 再調査の結果、海南島のはなしは1930年代の悪徳地主に手向かう女性の物語を謝晋監督が1960年に映画化(「紅色娘子軍」)、文革中バレー化されたものでした。

 わたしの記憶間違いをご指摘いただき、ありがとうございました。