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好きな時間
焼けるような一日の残りの熱気を覚悟しながら外に出たら、風は思いのほか涼しかった。
夜に少しだけ雨。 今朝は再び猛暑。
先日の診察室での会話。 というか 唐突な質問。
まあ、相手にとっては「いまそれ?」のような質問で、しかも「それ、俺にきく?」みたいに思わせたかも。
他の人にそのことを話したら「そりゃ、坊さんに聞くことだよ」とも言われた。
うん。わかってる。わかってる。わかってる。
だけどね。あの日、診察の少し前に夫からラインが来たんだった。
「(義母の)病院から連絡、熱が出たので抗生剤を入れます。」 とのこと。
緊急性は無いらしいけど、なにしろ「103歳」だから。
いつ何が起きてもおかしくはない。 いつでもそのつもりでいる。
ただ、そういうときに 「これでいいのか?」と 思ったりする。
あの時、あの選択を 本当にそれでよかったのか? と 考えたりもする。
しかも、その「選択」が本人の意思ではないところが さらに ・・さらに。
こういった話題を広げると、たぶんエンドレスで 夫と二人だけで話したって結論は出ないし、出せない。
「選択する」という意味では おそらく私も 今まさにそういう選択を繰り返しているわけで。
それが、義母の状況と絡んでしまって
だから、あんな質問になった。
万物に始まりと終わりがあってそれが自然の流れと思う
人の感情は 始まりは喜びであり 終わりは悲しみになる。それも自然な感情と思う。
これがポジティブ思考とネガティブ思考に分けると、悲しみはネガティブ思考の部類で
「ポジティブ思考推し」の世の中では ネガティブな事項はなるべく遠ざけたいと蓋をするようになってしまったから
自然な流れが ややこしいことになってやしないかとか 思ったりするんだよね。
古くからある地元神社の神様は「万物を産み育て 満ち足らしめる」神様だという。
ご神体が「土」なので本来は五穀豊穣の願いを祈る神様なのだと思うが 私の勝手な解釈では「人の一生」にも当てはまると思っている。
花が咲き実り充実して落下する。生きるものはみな同じく。
なにで満ち足りるのかは人それぞれ。それを感じられることが幸せ。
古来、人はそれを願ってきたのではないかと思う。
必ずしも充実した落下ばかりではないから 人は願う。
始まりを喜び 充実した終わりがまた喜びであるように。