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新潟県新潟市北区の畳屋のブログ 畳士のつれづれ日記  その日の思ったこと、感じたことをありのまま書いてるだけ

新潟県新潟市北区の熊田タイ畳店の小童
なんと無謀にも技術日本一目指してる?

未熟者でおかしな畳士の独り言

ついに

2008-08-21 01:01:07 | 祭り
始まりました。

何がって祭りの準備が・・・・・・・。


ほぼ毎日アルコール付けですぜ

来月8日まで続きます。
寝不足と二日酔いの毎日です。
自分よご自愛ください
もう若くわない( ̄□ ̄;)!!

お祭り

2007-09-12 00:13:24 | 祭り


三歳児にしてデビュウ~。
左隅の赤いTシャツの子なんとわが子です。

今年、灯篭に乗ってみたいとの事、連れて行きました。
ものすごいハイテンションで疲れましたが。
喜んでいたので○。



二枚目は8日の我が町内の出発寸前の画像です。



三枚目はお店前の画像です。
畳組合青年部で作った畳ベンチ、休みなく座る人で大人気でした。


お祭り

2007-09-02 07:38:48 | 祭り


年に一度の大祭です。
9月の7,8日にあります。
「葛塚祭の由来」

 葛塚という地名は、昔この土地が沼地で石動神社の場所だけが
小島だったころ、舟の航行の目印となっていたこの小島にあった、
大きな木にからみついた葛の花の素晴らしさから、
いつしか葛塚と呼ばれるようになったというのが由来とされています。

 当時、一面の湿地であった場所は、1731年(享保16年)松ヶ崎浜で阿賀野川の
分水路を掘削し、日本海へ直接流れ出るようになったことで、福島潟の水位も
2メートル低下し、干拓が進んで集落が形成されるようになりました。
特に、新井郷川を中心とする水運に恵まれた葛塚は、
人や物の交流の場として発展しました。

 1754年(宝暦四年)葛塚は新発田藩領から幕府領となりました。
庄屋の遠藤七郎左衛門らは、葛塚を公認の交易の場とするため、
幕府に開市の請願を行いました。そして、1761年(宝暦11年)10月8日、
幕府から正式に市を開くことを認められました。

これが葛塚市(いち)の起こりです。

 この認可を受けた日を記念して、1762年(宝暦12年)から8月7・8日が
葛塚稲荷神社と石動神社の祭りの日と定められました。
これは、年月が変っても開市を許可された日を忘れないためです。

 1873年(明治6年)からは、旧暦の8月8日にあたる新暦9月8日に
稲荷神社の秋季祭礼が執り行われています。

どうですか
わかりました

ちなみにこの灯篭の上げ物その遠藤七郎左衛門なんです。
分かりづらくてスイマセン。







テレビ放送されました。

2006-09-18 20:23:19 | 祭り
16日の夕方五時からВSΝ放送で葛塚祭りの番組がありました。
なゃんと、ドアップでしかも名前まで出ました
今年町内の総取締役に任命?されて引き受けたんですが、
テレビの取材があるとは、知らなかった。
緊張しているのか、何なのか、微妙に笑っているんです。
でも数秒だったので、よく分かりませんでした

4年後今度は誰が出るのでしょうかねぇ~。
また自分だったりして・・・・。そりゃ無いか、たぶん